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電子足跡:北海道縦断歩き旅
 名寄から天塩中川へ
  北海道命名の地を通る道


プロローグ

北海道をほぼJR鉄道路線に沿って函館から宗谷岬まで歩いて縦断しました。
このページは名寄から美深-紋穂内-音威子府-筬島を通り天塩中川まで天塩川に沿って歩いたページです。


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この道は南北に続く天塩山地と宗谷丘陵の境目を天塩川が音威子府から天塩中川付近まで東西に削った切り立った山並みの間を通る道です。今回の北海道縦断歩き旅で最も ”秘境感” が強かった道です。

この地を安政4年(1857年)に探検した松浦武四郎が筬島(おさしま)付近でアイヌの長老と出会い、北海道と命名する発想を得た地で、現在は北海道命名の地として知られています。

筬島から中川町佐久地区に至る山間の道は携帯電話が圏外になる場所がありました。

 
   
 
  ↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。
 
 
  GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法

この地図は収集したGPSログをカシミール3Dにより国土地理院地形図に表示した画像を加工したものです。

名寄

名寄の街は天塩川と名寄川が合流するYの字のデルタ状の地形に発達した街で比較的大きな街です。
北海道のほかの都市と同じように整然とした格子状の道路に家が並んでいます。

旧西田直治郎邸
街中に大正11年(1922年)に建てられた建物がありました。住宅展示場の建物かと思うような、100年近く前に建てられた建物とは思えない洒落た現代的な建物です。

名寄郊外の風景
名寄の中心部から郊外に行くと家並が日本ではない様な感じになります。

2000年頃、中国に行った時に車窓から見た郊外の農村の風景に似ていいます。
広い耕作地に平屋の集合住宅が並び、集合住宅も見えなくなると所々に農家が点在するするような風景で、都会の喧騒とは打って変わり人や車も見えなくなり茫漠とした広い風景が広がっていました。
でも、そこには人の生活があり、夕方になれば家族が集まり温かい食事が並ぶ食卓があったのだと思います。

天塩川
名寄市街を越えると、天塩川と名寄川が合流する付近に架かる恵名大橋を渡ります。

ここを過ぎると天塩中川までは天塩山地と宗谷丘陵の境目を天塩川が削った山間の道へと徐々に変わっていきます。

東雲峠付近
写真左:名寄市街遠望


美深付近


下の写真は南美深駅付近の風景です。
遠くから見ている時は分からなかったのですが、耕作地のそばに近寄ってみると砂礫の土地だと気づきました。
この付近はペンケニウプ川が天塩川に合流する場所です。川が運んだ砂礫が堆積したのだと思います。
まだ重機が無い時代に、これだけ礫が混ざっている土地を開墾するには大変な苦労をしただろうなと素人ながら思いました。

美深パンケ川
北海道に来てから何度も川を渡りましたが、この川は名前がカタカナ表記になっています。
元々のアイヌ語では パンケニウプ(Panke-ni-u-p)=川下の-木-多き-川 の ”パンケ” に美深を付けたと説明板に書いてあります。
地形図を確認すると確かに北東側の山から流れて来た川が天塩川に合流する川下付近を流れています。
漢字を当てないで発音をそのままカタカナ表記にした地名を見ると、かつては多くのアイヌ民族が暮らしていた土地を歩いていると感じます。


紋穂内付近

紋穂内もアイヌ語の モヌプオナイ(mo-nup-o-nay)=小さい・野・にある・川 に漢字を当てた地名です。と調べて、写した写真を見ると、 ”川” は天塩川の事だと思いますが、天塩川を挟んで東西に山が迫ってきていて ”小さい野” という感じがする様な気がします。



紋穂内駅で出会った青年の話
日にちは変わり、昨日の曇天と打って変わり青空が広がっています。
車を筬島駅(おさしま)に置いて、昨日のゴール地点の無人駅紋穂内駅まで電車で移動です。

紋穂内駅の駅を降りたとき、旅行者と思われる好感が持てる青年が一緒に降りました。無人駅で人に会う事は稀なので、話しかけると大阪から来たとの事で、秘境駅を訪ねるのを趣味にしているそうです。今回は5日間休みをとって宗谷本線の秘境駅を訪ねるとの事です。
「連休でも無いのによく休みが取れましたね?」と聞くと、非正規で働いているので、休みを取り易いとの事で、自分の時間を大切にしたいので非正規で働いていますとの事でした。

最近は多様な働き方があるし、自分の時間や家族を大切にしたいと思う方達が増えていると感じます。
それは健全な考え方だと思います。私も会社員だった頃を思い出すと、仕事を休んで家族と長期間旅行したいと思う事が多々ありましたが所詮かなわぬ夢でした。

仕事や生活、大仰に言えば人生をどの様に考えるかは人それぞれの価値観の問題だと思います。願わくば、人生や仕事に対して真摯に向き合っている多様な価値観を持った方達が、その価値観を曲げずとも普通に生活できる社会になってほしいと思います。

紋穂内を流れる天塩川




天塩川温泉付近から見る」 敏音知岳(ピンネシリダケ)


音威子府

音威子府まで来ると、これまで北に向かって流れていた天塩川は90度方向を変えて西に向かって流れる様になります。いよいよ山は狭まり山間の道が続いています。
音威子府から天塩中川までの行程は今回の旅で最も 「秘境」 と言っても良い土地に足を踏み入れる感じがします。
実際、音威子府から佐久付近までの25kmくらいの間は筬島(おさしま)に小さな集落があるくらいで集落らしい集落はありません。

音威子府は小さな村です。村のホームページに ”北海道で一番小さな村” と書いてあります。
町の中に食料品店があったのでジュースとおやつを買って街はずれの ”道の駅 おといねっぷ” で休憩してから 「秘境」に足を踏み入れました。

写真左:音威子府駅前
写真右:千見寺商店


天塩川を渡って音威子府の街を離れると天塩川を挟んで北側に宗谷本線が南側に国道40号線が走っています。地形の関係で国道40号線の道幅は狭く白線だけの狭い歩道が続きます。

このホームページのメールIDに 「音威子府あたりから白線歩道が多くなるので気を付けてください。」 と かつてこの道を歩いた方からメールが入っていたのでどんな道だろうと思っていましたが、想像以上の歩道の狭さで、特にトンネルやスノーシェッドの中は歩くのが少し怖かったです。でも事前に情報を貰っていたので心の準備が出来ていましたので先に進む事ができました。
メールを送って頂いた方は2年前の5月から6月にかけて松前城から宗谷岬まで957km歩いたとの事です。アドバイス有難うございました。

写真左:天塩川
写真右:国道40号線


筬島(おさしま)

筬島は山の中のわずかばかりの平地にある集落です。かつては住民がもう少し多かったのだと思います。集落を遠望すると今は廃校になった赤い屋根の小学校が見えます。



砂澤ビッキ記念館
その赤い屋根の廃校は ビッキ文様と言われるアイヌ文化的な作風が特徴的な現代彫刻家である 砂澤ビッキの記念館 になっています。
取り壊し寸前だった廃校に移り住み亡くなるまでの10年余りアトリエ兼住居として居住してました。
現在は記念館になっており遺作が200点展示してあるそうです。

以前TVで砂澤ビッキ氏の作品を紹介していた番組を見たとき、プリミティブな作品に魅かれた事を覚えています。
なんと言うか、火焔式土器を見たときのようなエネルギッシュな衝撃、円空仏を見たような素朴な造形に安らぎを感じました。

残念な事に筬島に到着したとき閉館時刻を過ぎていたので中に入る事が出来ませんでした。



筬島駅
筬島駅は秘境駅として人気のようで駅舎に置かれてあるノートには訪れた多くの方達の感想文や絵が沢山書かれていました。なかには1ページをフルに使って他の駅舎で見た同じタッチの絵がありました。秘境駅を訪ねる事を趣味にしている方があちこちの駅を訪ねて絵を残しているのでしょう。



窓のストッパーの形状が懐かしいです。

子供の頃 父がこのストッパーを外して窓を開け、駅弁を買ってくれた事を思い出しました。

北海道命名の地

今年(2019年)は蝦夷地と呼ばれていた土地が北海道と命名されて150年目とのことです。
”北海道”という地名は江戸晩期から明治の探検家 松浦武四郎とアイヌの古老がこの地で出会った事がきっかけだったとの事です。

この地は筬島の集落から直線距離で1km程西に行った天塩川のほとりにあります。



説明板によると
安政4年(1857年) 天塩川流域をアイヌの人達と共に探索した松浦武四郎はこの地でアイヌの長老から 

”アイヌの通称である「カイナ」の「カイ」とは、この国に生まれた者という事で、「ナ」とは、貴人をさす尊敬の言葉である。” と聞きます。

松浦武四郎は
「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、アイヌは髭が長いところから、蝦夷(かい)の字を用いたが、もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」 と考えました。

明治2年7月17日(1869年)、武四郎は道名に関する意見書を提出し、候補に、日高見道(ひたかみどう)・北加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、この中から「北加伊道」が採用され、「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて、「北海道」名が誕生したとの事です。

と説明板を読むと、北海道という地名は 北のアイヌの国(土地) という意味になる訳で、よくぞ北海道と名付けたと思います。松浦武四郎という人物を初めて知りましたが、武四郎は先住民であるアイヌ民族に敬意を持っていたのだと感じます。



鹿に遭遇しました
話は変わりますが国道40号線から北海道命名の地に行く道で鹿の親子に遭遇しました。
北海道に来て鹿と出会ったのはここが初めてです。秘境感が一気に増しました。


天塩川流域

説明板によると
松浦武四郎が天塩川流域を探索した記録は「天塩日記」として残されています。

説明板の写真
探索をしたのは安政4年(1857年)、黒船が浦賀に来てから4年後、今から162年前にこの地をアイヌの男性4名と探査しています。
季節は6月、私が歩いた時期と同じ頃です。
*写真をクリックすると説明板の大きな画像が開きます。

162年前は ”探検” と言っても良いような未開の土地だった訳ですが、現在は天塩川に沿って国道40号線と対岸には宗谷本線が通っています。

説明板に引用されていた ”天塩日記” の記述には
「両岸は岩の崖になり舟に綱をつけ引いて上がる。やがてカムイルウサン(中川町神居山)という高さが900mもある絶壁そびえ立ち、遥かその頂にエゾ松などが岩を這うように生えていて奇景である。」と書かれています。
162年前に松浦武四郎が見た風景が今も広がっています。


写真:神居山方面

注:神居山は地理院地図に載っていますが、標高は398mです。

天塩中川

天塩川を西に進んで ”中川町佐久” 付近に来ると流れは再度北に向きを変えます。
ここまで来ると両側の山は遠ざかり空が開けます。
天塩中川の街は大きくはないですが、駅のそばに小さなスーパーマーケットや食堂などがあり、取り立ててこの部分がという事ではないのですがどことなく懐かしい感じがする街です。

歩き終わって、天塩中川駅から2km弱の所にある ポンピラアクアリズイング という温泉宿泊施設で入浴しました。中に入るとロビーに大きなアンモナイトなどの化石が多数展示されていました。
調べたら中川町の白亜紀の地層から多くの化石が発見されていて、少し離れた中川町エコミュージアムセンターに国内最大の首長竜やアンモナイトの化石が展示されているそうです。



エピローグ


道の駅 びふか
名寄駅から紋穂内駅まで歩いた日
紋穂内駅から3km程離れた 「道の駅 びふか」 で車中泊をしました。ここは天塩川が残した三日月湖畔にある道の駅で対岸には「びふかアイランド」というキャンプ場やパークゴルフ場などと共に温泉があります。勿論 温泉にも入りました。

びふかアイランドには世界3大珍味のキャビアで知られるチョウザメを飼育している施設があります。
キャビアはこれまで数回しか食べたことが無いですし、食べたと言っても卵の粒を数えられるくらい少量でしたので味がどうだったのかは分からないくらいでした。まあ、貧乏人のヒガミと言われても仕方ないですが、同じ魚卵でしたら回転寿司のイクラの方が美味いのではないかと思います。


END

2019/09/21 作成

Column


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