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電子足跡:北国街道歩き旅
 越後一ノ宮 弥彦神社から出雲崎宿へ


プロローグ


北国街道を越後一ノ宮の弥彦神社から良寛さんの生誕地である出雲崎宿まで歩いたページです。
この道は最初は弥彦連山の東側の麓に続く里の道です、麓集落付近で西に進路を取って猿ケ馬場といわれる峠越えの道になります。
猿ケ馬場付近は弥彦スカイラインや麓集落から野積集落に抜けるアスファルトの道が出来た事などから旧北国街道はほぼ廃道になったようです。
猿ケ馬場を越えて日本海に向かって進むと野積集落です。野積は宮尾登美子の小説『蔵』に登場する杜氏の里として知られています。
野積からは日本海の海岸線に沿った道が続き、義経伝説や日蓮が佐渡に島流しになるとき風待ちをした寺泊を通り、潮風を受けながら良寛の生家橘屋跡がある出雲崎まで歩く変化に富んだ道です。

都道府県
区間 歩いた日 GPS移動距離 備考
新潟県
弥彦駅‐出雲崎良寛堂駐車場
出雲崎からバスで出雲崎駅に移動。越後線、弥彦線利用
2020年5月14日 26.9km

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GoogleEarthでツアーする方法

カシミール3D  国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)

越後一ノ宮弥彦神社

弥彦神社は続日本後紀や万葉集にも出てくる古い神社です。
御祭神は 伊夜日子大神(いやひこのおおかみ) 御名 天香具山命(あめのかぐやまのみこと)との事です。
創建は第六代孝安天皇元年(西暦紀元前392年)に越の国開拓を終え神劔身峰(弥彦山)に葬られ、御子の第一嗣・天五田根命が廟社を築いた事に始まるとの事で、創建から2400年の歴史を有するとの事です。(弥彦神社ホームページより抜粋)

神代の時代の言い伝えはともかく、弥彦山を背景に鎮座する場所も良いですし、鬱蒼とした森に囲まれた社殿の荘厳さも良いです。訪れると清々しい気持ちになります。









弥彦宿

弥彦宿は弥彦神社の門前町でもあります。現在は新潟県有数の温泉地としても知られています。参道には温泉旅館が並んでいますが、その多くはかつての旅籠で今でも江戸時代の屋号をそのまま使っている温泉宿が多いです。





温泉街を外れると参道の杉並木の中を進みます。静寂の中を歩くのは気持ちが良いです。


里の道


参道も終わると、里の道になります。建物は建て替わっていても、江戸時代から続く風景なのだと感じます。

写真左:国上山
写真右:弥彦山
国上山は良寛が五合庵という庵に20年ほど住んだ場所です。春、縁の下に竹の子が生えてきた時に縁側の板を外して成長を見守ったエピソードで知られています。


と、突然 繁みの中に動く気配を感じ、視線を向けると、なんと!キジが歩いているではないですか! 多分キジですよね?ニワトリがハロウィンで仮装しているなんて事はないですよね。


猿ケ馬場越え


新潟湊から歩いて来て、初めての峠越えです。
猿ケ馬場付近は弥彦スカイラインが出来たので旧北国街道の道筋は廃道になったようです。
ですが、所々に痕跡が残っています。道も定かでない所を歩くのはチョットした冒険心をくすぐります。

麓集落
道の感じがそこはかとなく旧街道を感じさせてくれます。


猿ケ馬場付近地図
ピンク実線:実際に歩いた道
青破線:推測したルート

カシミール3D  国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)

地理院地図には麓集落から西に直登する道が掲載されています。山道になって直ぐ十字路になっていますが、実際に訪れたら西に直登する道は沢とも道ともつかない道で、無理すれば歩けたかもしれませんが、ぬかるんだ感じでしたので左(南)の道に進みました。
程なく神社と思われる廃屋があり、その付近にふみ跡が見えたのでそこを登っていきました。
途中から下草が生えていましたが、明らかに旧北国街道の痕跡と思える道が続いていました。


写真左:弥彦スカイラインと旧北国街道出会い
写真右:宝篋印駄羅尼塔


写真左:猿ケ馬場付近
写真右:下りの道標


写真左:下り途中の道標
写真右:アスファルト道との出会い


麓集落から野積集落へのアスファルト道
時々、鶯が鳴き、木洩れ陽が煌めく、木立の中に続く心地良い道です。

夫婦がウオーキングを楽しんでいました。

推測したルート付近にあった石仏と国土調査の杭
おそらく、この付近の尾根筋に旧北国街道が通っていたのではないかと思います。
道の痕跡は認められませんでした。


野積集落


アスファルトの道を進んでくると、日本海が見えます。
ここからは日本海の海岸沿いに北国街道が続いています。

野積杜氏の里
野積集落は杜氏の里として知られています。
宮尾登美子の小説 『蔵』 に出てくる蔵人は野積杜氏です。


野積集落から見る弥彦山
野積は海と弥彦山に挟まれた僅かな平地の集落です。
大正時代、大河津分水路が出来て河口となった野積集落付近の海はそれ以後魚影が変わり、漁業もままならくなった為、冬場の出稼ぎで杜氏に出る人達が多くなったとの事です。

大学を出て直ぐの頃、埼玉県の工場で仕事をしていた事があります。
その時、年配の方に新潟県出身ですと話したら、『出稼ぎで仕事に来ているのか?』と言われた事がありました。

大河津分水路
この人工の河が越後平野を稔り豊かな穀倉地帯に変えてくれました。


寺泊宿


今は大きな魚屋さんが並ぶ町に変貌しました。休日ともなると大型バスに乗った観光客が大勢訪れてお祭りの様な賑わいです。
その魚屋さんが並ぶ海岸通りから一本外れた通りが北国街道です。



聚感園 義経伝説
聚感園は北陸地方に勢力を振るった豪族、菊屋五十嵐氏の邸宅跡です。
寺泊には義経伝説が残っていて、文治三年(1187年)頼朝に追われた義経主従が平泉に落ち延びるときに、ここ五十嵐家にかくまわれたと伝えられています。
左の写真は義経主従がかくまわれていた時に弁慶が手で掘った井戸と言われています。

写真左:聚感園(五十嵐氏邸宅跡)
写真右:弁慶手掘りの井戸


日蓮聖人 風待ちの地
説明版によると、文永8年(1271年)日蓮聖人が佐渡流刑の際に、この地の石川吉広邸で風待ちで7日間滞在したとの事です。
その時に書いた書状は 「寺泊御書」として日蓮宗門で高く評価されているとの事です。


海岸に続く北国街道


いろいろ調べると、かつての北国街道は海岸線ギリギリの所を通っていたようで、現在では海中に没してしまった部分も多いようです。

図説 新潟県の街道(監修 小村弌 郷土出版社)に掲載されている、十返舎一九の「諸国道中金の草鞋」のこの付近の挿絵は海岸の波打ち際を歩く旅人が描かれています。

寺泊を過ぎると海岸と海食崖の間の僅かな平地に道が続いています。
集落はその狭い土地に肩を寄せるように点在しています。

特に何が美しいという風景ではないのですが、この付近から見える海岸線はどことなく雄大な感じがし、どことなく優しい感じがする風景です。





郷本の良寛空庵跡
説明版によると、出雲崎出身の良寛は寛政8年(1796年)39歳の頃、備中(岡山県)玉島円通寺での長い修行を終えて越後に帰ってきたが、出雲崎の生家前を素通りして、ここ郷本の空庵に草鞋を脱ぎ、半年程生活したとの事です。
実際に在った空庵はこの説明版より10m先の海中だったと伝えられています。

良寛さんの心中は計り知れませんが、跡取り息子だった栄蔵(=良寛)が突然出家して家を捨て、長い修行の末に故郷に帰って来たものの実家には帰り難いという気持ちは、修行などした事がない私でも何となく心情的には理解できるものがあります。

お春瞽女の碑
瞽女(ごぜ)は盲目の女性芸能者で、近世までは全国的に活躍していました。20世紀になると越後を中心に北陸地方・北関東などを転々としながら各家を回り三味線に合わせて唄を歌い生計を立てていた方達です。
亡くなった母が子供だった頃、家に瞽女達が時々訪れて唄を歌っていたと話してくれた事がありました。

説明版には、お春瞽女は唄も上手くこの地の人たちに人気があり、可愛がられていたのですが、昭和22年の冬は大雪で、この付近で吹雪に合って倒れ、そのまま絶命したとの事です。
瞽女に興味を持ち、瞽女の絵を多く描いている洋画家の斉藤真一氏がこの話を聞き、今は海に埋もれましたが、昔はこの碑の海岸側に茶屋があって、この碑を建立したとの事です。
碑文は作家の今東光(当時平泉中尊寺住職)の筆によるものです。
今は瞽女達が歩いた道も海の中です。哀しい話です。


出雲崎宿


出雲崎は江戸時代になり佐渡で産出する金銀の荷揚げ湊として栄えた湊であり宿場です。
北前船の寄港地でもあり、多くの産物が行きかった湊でもあります。また、良寛さんの生誕地でもあります。




街道に沿った民家は宿場の面影を色濃く残して切妻造りの街並みが印象的です。


良寛堂 生家橘屋跡


エピローグ

今日は良寛の生家橘屋跡に建つ良寛堂まで歩いて終わりです。
出雲崎宿は次のページにも記載します。

実は野積から出雲崎への道は2017年に歩いた事があります。
その時は信濃川の河口から海岸線に沿って歩いて、キャンプをしながら日本海の夕日を見る事がテーマでした。
その時の歩きは 日本海夕日海岸歩き旅 にまとめてあります。
似たような写真もありますが、歩きのテーマが違うのでページの印象はかなり異なります。宜しかったら合わせてお読みいただけると嬉しいです。


END 

2020年10月21日 作成

Column


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