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電子足跡:北国街道歩き旅
 高田城下から二本木駅へ


プロローグ

このページは北国街道を新潟県 高田(上越市)から南下して二本木駅まで歩いたページです。
この道は高田で京都に向かう北陸街道との追分から高田平野(上越平野・頸城平野とも)を南下して長野に向かう道です。平野部の平坦な道から徐々に長野県との県境に向かって坂道になって行きます。
なんと言っても、進む方向に秀峰 妙高山がそびえ、その奥に黒姫山を望む事が出来る日本の原風景の様な良い道です。と言いながらトップの写真は妙高山も黒姫山も山頂が雲に隠れています。

現在の上越市は海側の直江津市と少し内陸の高田市が合併して上越市になりました。
直江津は港町、高田は城下町と云う個性が異なった都市です。
高田は町の中心部に高田城址があり、桜の名所として知られています。
豪雪地帯としても知られて、市街地は雪国ならではの 雁木通り が長く続いています。
また、上杉謙信の居城だった春日山城は直江津と高田の中程の西側の山にありました。

今日は二本木駅の駐車場(無料)に車を駐車して、えちごトキめき鉄道で高田駅まで移動。
高田駅から北陸街道と北国街道の追分がある本町7丁目まで行ってそこからスタートです。


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都道府県
区間 歩いた日 GPS移動距離 備考
新潟県 高田駅-追分-二本木駅 2020年10月02日 17.0km

↑GoogleMapと地理院地図に
GPSログと写真がマッピング
された地図が開きます
 
GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法
カシミール3D  国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)

高田城下

北陸街道・北陸(加賀)街道追分
以前この追分に来たのは2016年5月24日です。その時はこの追分を西に曲がり京都に向かいました。今日は南に曲がって長野を目指します。

追分の道標
元々は現在の本町7丁目の角にありましたが、昭和10年頃そばの宇賀魂神社に移されたとの事です。

 右おゝしう道 左かゝみち と書かれています。
当時上越付近では、ここから北に向かう北国街道は おゝしう道 と呼ばれ、西に向かい加賀に向かう道は かゝみち と言われていた事が分かります。



本町7丁目交差点
写真の左側がこれまで歩いて来た柏崎へ向かう北国街道
写真の右側の道が長野に向かう北国街道
この交差点は枡形(敵の侵入を防ぐ為に故意に道を直角に曲げた道)になっています。


写真左:柏崎方面に向かう道
写真中:長野方面に向かう道
写真右:富山・金沢方面に向かう北陸街道(加賀街道)


雁木通りの家並み
高田城下は雪国の町です。現在でも町のいたる所に雁木通りが残っています。
雁木(がんぎ)とは 通りに面した家屋の軒(のき)を伸ばして庇(ひさし)を長くし、その下を通行できる様にした構造の家屋の並びで、雪が積もって道路を歩けない時でも雁木を通行出来るようになっています。
現在では道路に地下水を出して消雪したり、重機を使って除雪しますので道路が通れない事はなくなりましたが、昔は大雪の時は雁木通りを通って生活していました。





粟飴翁飴本舗 十返舎一九 ゆかりの地
弥次さん喜多さんで有名な東海道中膝栗毛を書いた江戸時代の戯作者 十返舎一九 ゆかりの地です。
説明版によると十返舎一九は文化11年(1814年)に江戸をたって善光寺を詣でてから高田に来て、ここ高橋家の孫七・孫八父子を中心とする俳諧師のもてなしを受け、即席の狂歌を楽しみながら5日間高田に逗留したそうです。
「横春日町というに 粟にて製したたる水飴至って上品にて風味よく 此の処の名物なり 評判は高田の町に年を経て 豊かに住める水飴の見世」 と描写しているとの事です。

十返舎一九はこのときの旅行を ”金の草鞋” として執筆し出版しています。



高田城址公園の桜
市街の北国街道の東側に高田城址があります。
高田城は戦国時代も終わった慶長19年(1614年)に現在の地に平城として築城されました。
現在は高田城址公園として整備され、桜の名所として知られています。
下の写真は昔 4月14日に撮影した写真です。桜前線は東京と比べて10日以上遅くやってきます。


新幹線上越妙高駅付近

この辺りまで来ると郊外に来た感じがします。
北陸新幹線の駅が出来たので近年になって再開発されたました。

願清寺 越後赤門
新潟県のお寺の印象はどちかと言うと枯れた感じで地味な雰囲気のお寺が多いのですが、ここ願清寺の山門は朱塗りで華やかな感じです。

新幹線上越妙高駅
新幹線の駅舎は近代的な造りで洗練された雰囲気があります。その近代的な駅舎のすぐ隣には旧街道沿いの古い家並みが続いています。アンバランスなコントラストが印象的です。


明治天皇石澤御小休所跡
矢代川に架かる渡瀬橋を渡って直ぐ、新幹線の駅からほど近い高架の下にありました。おそらく明治天皇は馬車か馬に乗ってこの北国街道を通ったと思いますが、まさか百数十年後に新幹線が通るとは夢にも思わなかった事でしょう。

新井宿

新幹線上越妙高駅付近を過ぎると、トップの写真の様に田園が広がり、行く手には妙高山 黒姫山が望める様になります。
路傍には花が咲き、石仏が見守る様になって街道の雰囲気が一段と高まります。



新井別院
真宗大谷派の寺院で貞享2年(1685年)に東本願寺の末寺や門徒を統括する為に建立されました。
明治天皇北陸行幸の時は行在所になりました。

新井は平成の大合併により妙高市になりました。
新井は北国街道の宿場町として栄えた町です。現在はどこの地方でもそうなのですが、かつて人通りの多かった通りからは人が消え少し寂しい感じがする町になっていますが、昭和感が残る家並みがどこか懐かしい感じがする街並みです。


賀茂神社
新井宿の町はずれの小出雲に鎮座している神社です。経塚山を背にしているので荘厳な感じがします。延喜式などは確認できなかったので鎮座したのがいつ頃なのかは分かりませんが、地域の人たちの信仰を集めていると思われ境内に立派な筆塚がありました。


小出雲坂


ここまでは高田平野のほぼ平坦な道でしたが小出雲坂から勾配がきつくなります。
かつては松並木の坂だったとの事ですが、歩いた時は松を見る事はできませんでした。





説明版によると
小出雲坂は『越後見納め小出雲坂よ。ほろと泣いたをなんじ忘られよ。』と歌われていました。
坂の途中の少し平坦になった所には立場茶屋や馬子と馬を泊める馬宿があったとの事です。

今日のゴール地点の二本木駅近くの開けた所に来て振り返ったら唄に歌われた様に越後見納めの風景が遠望できました。



二本木駅

今日のゴール二本木駅です。
二本木宿はもう少し先なのですが、鉄道の都合で二本木駅がゴールです。

駅舎は懐かしい木造の駅舎で、ホームも耐雪強度を高める為なのでしょう無骨な鉄骨の屋根です。
駅舎の裏手は日本曹達二本木工場の大きなプラントがあるので乗降客も多いのだと思います。意外と乗降客が多かったのは少々驚きました。


スイッチバックの駅
ホームの奥の線路は行き止まりです。
二本木駅は新潟県で唯一のスイッチバックの駅として知られています。
長野県境に向かってそれだけ勾配がきついという事なのだと思います。

エピローグ

私は新潟県長岡市在住ですが、昔から上越市に来る機会はあまり多くはありませんでした。
同じ新潟県ですが長岡市とは雰囲気がどことなく異なっている様に感じました。

本日の温泉
えちごトキめき鉄道の妙高高原駅のそばの妙高温泉の関川共同浴場 大湯 で汗を流しました。あまり大きく無い内風呂の湯舟がひとつでしたが入浴料金は250円と格安でした。

地元のお爺さんが入浴していたので少し話をしたら、この温泉施設は地元の人達が共同で出資して温泉施設を建てて運営しているそうです。
単純温泉で少し熱かったです。地元の方達に根ざした良い温泉でした。


END

2020年12月10日 作成

Column


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