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電子足跡:北陸街道(北国街道)歩き旅
 浅水宿(大土呂駅)から今庄宿へ


プロローグ

北陸街道(北国街道)を 歌枕のあさむつ橋がある 浅水宿(あそうず) から 水落宿-鯖江宿を通り,かつて越前国府があった武生(府中)宿を過ぎ,今宿-鯖波宿から湯尾峠を越えて今庄宿まで歩いたページです。


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福井平野の東西から山が迫りこれまでの広々とした風景から山間の風景へと変わります。
なんと言っても武生宿(府中),今庄宿と昔の面影が残る町並みと,湯尾峠の山道が魅力的な街道筋です。

武生(府中)宿はかつて国府が置かれていたこともあり古く重厚な木造家屋が多く残っています。またメルヘンチックな画風で有名な ”いわさきちひろ” の生家が北陸街道から少し入った場所にあります。

湯尾峠は鯖波宿と今庄宿を隔てる峠で,かつて京に上る木曽義仲が陣を敷き平家軍を防いだと言われています。戦国時代には柴田勝家が湯尾峠を改修して現在に伝わる姿になりました。実際歩いてみると峠というより山城の様な雰囲気で高い石垣が印象的です。
驚いた事に湯尾峠を下った場所で3頭のイノシシを目撃しました。それだけ自然が残っている道という事です。

今庄宿は伊吹山地の北端に位置しており,栃の木峠,木の芽峠,山中峠,湯尾峠とどのルートを通っても今庄宿を通る為,山間の宿場にしては随分と規模が大きい宿場でした。現在の家並は袖壁が設けられた家屋が続いて雰囲気の良い家並です。

ルート
区間 ルート 歩いた日 GPS移動距離
JR大土呂駅-今庄駅 浅水宿-水落宿-鯖江宿-武生(府中)-今宿-脇本宿-鯖波宿-湯尾峠-今庄宿 2017/04/26 33.9km

北陸街道 JR大土呂駅から今庄宿概略ルート地図 電子足跡

↑GPSログをGoogleEarthでツアーする方法


↑地理院地図(電子国土web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。


浅水宿(あそうず)付近


歌枕 あさむつ橋

歌碑が建っていなければ通り過ぎてしまう様な目立たない橋です。
清少納言が枕草子で "橋はあさむつの橋。長良の橋・・・" とたたえて以来西行,松尾芭蕉が和歌や俳句に詠んだ歌枕の地です。

 越に来て 富士とはいはん 魚原の 文殊がだけの雪のあけぼの  西行法師

 朝六や 月見の旅の 明けはなれ  芭蕉

あさむつ橋   げんざいはチョットがっかりな橋です


秦澄寺(たいちょうじ)
白山を開山したと伝えられる奈良時代の高僧 ”秦澄大師” 誕生の地と言われているお寺です。
街道筋にはいくつもお寺がありますが,全て参拝する訳にもいかない為,通常は山門を見て通り過ぎるのですが,秦澄寺は雰囲気が少し異なったので境内に足を踏み入れてみました。



神明町・水落宿付近

この付近は具体的に何が旧街道の面影があるという事ではないのですが,道筋沿いがどことなく懐かしい感じがします。

写真左:神明町の街道筋
写真右:兜山古墳 樹木で覆われていますが長径約70mの兜を伏せたような大きな円墳です。


写真左:近藤醤油味噌醸造元(株)
写真右:水落宿跡


鯖江宿付近

1720年(享保5年) 越後村上藩主間部氏が鯖江に転封し鯖江藩が成立しました。当時は北陸街道を挟んで東側が町家屋,西側が武家屋屋敷に分かれて町割りをしたとの事です。
街道筋はビルが立ち並ぶ商店街に変貌しています。そして現在は眼鏡フレームの生産地として有名です。

写真左:鯖江本町付近
写真右:鯖江藩陣屋跡にある道標


上の道標の南側の面に ”南 武生迠 壹拾四町 大正十一年 鯖江市青年団”と表記されています。

1891年(明治24年)に政府により度量衡法が公布されメートル法への移行が始まっていますが大正11年ではまだまだ尺貫法が主流だったという事だと思います。

1966年(昭和41年)にメートル法が完全実施されましたが,尺貫法を使う職人達が逮捕された事に抗議して永六輔が鯨尺を製造し逮捕する様に挑発した事件があった事を思い出しました。
生活に密着した事を変えるのは大変な月日がかかるものだと思います。

鯖江で傘を差しだして頂いた女性にお礼を申し上げます。

鯖江市街の中心部を少し離れて鯖江高校付近に来たら雨脚がかなり激しくなりました。
軒先を借りて雨具のズボンをはいていると,女性の方が「良かったらどれでも好きな傘を使ってください。」と言って折り畳み傘を3本差し出してくれました。傘は持参していたので気持ちだけを頂いてお礼を述べただけで分かれてしまいました。急な申し出に気が動転してしまいお名前を聞く事すら忘れてしまいました。歩いていると見ず知らずの方に本当に親切にして頂く事があります。雨は冷たかったですが心が温かくなりました。本当に有り難うございました。

武生(府中)付近


越前国 総社大神宮

武生は現在町村合併により越前市になっています。もともとは越前の国の国府が置かれていて”府中”と呼ばれていました。紫式部の父藤原為時は越前守に任ぜられ996年(長徳2年)に赴任してその時に紫式部も武生で暮らしたとの事です。

武生は災害・戦災に会わなかった為に街道筋には所々に立派な造りの町家が残り落ち着いた感じのする街並みです。

写真左:清酒 ”一献の春” 蔵元
写真右:藤井善商店


写真左:市街地の町家
写真右:特産打刃物 製造卸のレトロな看板


いわさきちひろ生家

皆さんも少なからず目にした事があると思いますがメルヘンチックな画風で有名な ”いわさきちひろ” の生誕の地です。北陸街道筋から少し東に入った所にあります。街道沿いに看板がありましたが見落すところでした。

今宿付近から鯖波宿付近

この辺りまで来ると伊吹山地に向かって山が街道の両側に迫ってきます。
家もまばらになり折からの雨で寂しさがひと際増します。
雨で歩きは難渋しますが,安藤広重の東海道五十三次の浮世絵 大磯宿や庄野宿の雨をモチーフにした浮世絵の様なモノトーンの風景が広がりむしろ郷愁を感じます。

写真左:今宿付近の風景 伊吹山地北端は雲の中
写真右:脇本宿付近


JR南条駅付近の北陸街道


街道が途切れている?
ルートを調べている時,鯖波宿を越えたあたりで街道筋がJR北陸本線で遮断されている場所があったので歩けるのか不安に思っていました。
実際に現地でも途切れていました。2017年2月にタレント2人が無許可で軌道内に入り書類送検された事件がありましたが,軌道内は立ち入り禁止なので引き返そうと思いましたが,目を右に移すと白山神社の下に鯖波トンネルが開削され道が続いています。
鯖波トンネルは地理院地図にもGoogleMapにも記載されていません。新しい発見をしたようなちょっと ”ヤッタ!感”がある嬉しい気分です。

写真左:本当に途切れています・・・
写真右:白山神社の参道脇にある鯖波トンネル


トンネルを越えると旧街道が続いています。


湯尾峠(ゆのおとうげ)

どんな旧街道も山間部の開発されていない往時そのままの道筋は魅力的ですが湯尾峠も例外ではありません。
峠とは言え麓の登り口から高度100m程の登りですのでそれ程きつくはありません。

地形的にも鍋倉山と三ヶ所山の鞍部を通り,突き出た三ヶ所山の先は日野川と田倉川の合流地点で自然の水堀として機能するので木曽義仲は湯尾峠に陣を張って平家の攻撃を防だとの事です。
現存する石垣などは戦国時代 柴田勝家が湯尾峠を改修した時に築かれたとの事です。その為,峠というより山城の雰囲気が漂っています。

また松尾芭蕉も”おくのほそ道”で 「・・・。鶯の関を過ぎて。湯尾峠を越えれば,燧が城,帰山・・・。」と湯尾峠を越えたと書いています。

湯尾部落はずれの登り口
湯尾峠直前の急登



写真左:峠周辺の石垣
写真右:湯尾峠


写真左:今庄宿への下り道
写真右:JR北陸本線のトンネルの上を行


イノシシに遭遇
JR北陸本線のトンネルを越えて山側の平坦な場所に出たときにイノシシ3頭に遭遇しました。
20m程先に居たのですが私の存在に気付くや否や山の方に脱兎というか脱猪と言うべきか一目散に逃げて行きました。猪突猛進という走りを生まれて初めて見ました。

今庄宿

今庄宿は栃の木峠,木の芽峠,山中峠,湯尾峠どのルートを通っても今庄宿を通るため山間部にある宿場にしては随分と規模が大きい宿場です。現在の街道筋を歩いても往時の賑わい感じる家並が続きます。

写真左:今庄宿入口付近 電車のはるか向こうまで家並が続いています。
写真右:桝形 軍事の目的からクランク状に曲がった道筋


写真左:往時を彷彿とさせる家並
写真右:脇本陣跡


JR今庄駅の駐車場に置いた車まで行き今日の歩きは終わりです。
一日中雨だったので衣類も身体もグチョグチョです。

エピローグ

今日は雨だった事と,次は栃の木峠を越えて今庄から木之元までの最難関の行程なので休息と洗濯と靴を乾かす為に明日は休みにすることにしました。
せっかく休むので,松尾芭蕉は木の芽峠を越えて敦賀に行ったので敦賀まで車で行って見る事にしました。


END

2018年12月19日 ver5.17.0 ポップアップで開く地図をGoogleMapから地理院地図(電子国土web)に変更
2017年6月5日作成
 

Column


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