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電子足跡:北国街道(北陸街道)歩き旅
 木之本宿から鳥居本宿へ


プロローグ

2017年4月29日北陸街道(北国街道)を新潟県上越市高田城下から滋賀県鳥居本宿まで完歩しました。

このページは琵琶湖の東岸に続く北陸街道(北国街道)を木之本宿から長浜城下-米原宿-中山道追分を越えて,北陸街道の始終点の鳥居本宿へと歩いたページです。

途中,姉川や長浜など戦国時代によく耳にする地名を通り歴史を感じながら歩く事ができるよい道です。羽柴(豊臣)秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から拝領した地に築城した長浜城下を通る北国街道は古い建物が多く残り観光客で賑やかな街並みです。

滋賀県に入ると街道筋の石柱などの表記が ”北国街道” になっている事に気付きます。
富山,福井では”北陸道”の表記が多かったです。そこでこのページでは主に北国街道と記述します。

近江鉄道鳥居本駅の駐車場(無料)に車を置いて近江鉄道,JR北陸本線と乗り継いで木之本まで行き今日の歩きが始まります。


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ルート
区間 ルート 歩いた日 GPS移動距離
JR木之元駅-
近江鉄道鳥居本駅
滋賀県木之本→高月→虎姫→長浜→長澤→米原→中山道追分→鳥居本宿 2017/04/29 29.6km

北国街道 木之本宿から鳥居本宿ルート地図
↑GPSログをGoogleEarthでツアーする方法



↑地理院地図(電子国土web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。


カシミール3D 国土地理院 (カシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画しそのイメージデータを加工したものです。)

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木之本宿

木之本宿は木之本地蔵尊が安置されている地蔵院浄信寺の門前町として栄えた宿場です。
また中山道鳥居本宿(滋賀県彦根市)に行く道筋と中山道関ケ原宿(岐阜県)に行く北国街道の追分がある場所でもあります。街道筋は袖壁がある町家が続き昔の面影が良く残っています。



写真左:木之本地蔵 地蔵院浄信寺
写真右: 旧本陣(現 本陣薬局)の軒の薬の看板
 
浅田飴,中将湯など今も販売されている名前が見える


北国街道と北国脇往還の追分
北国街道と北国脇往還の追分にある道標

 みぎ京いせみち
 ひだり江戸なごや道

私は右に曲がり鳥居本宿(彦根)→京都を目指します。
松尾芭蕉は左に曲がり大垣(岐阜県)に向かっいます。大垣で”奥のほそみち”は終わっています。

ここから先”奥のほそみち”をネタにして記事を書けません。困った。

木之本から姉川へ

追分を過ぎて木之本廣瀬を過ぎると田園地帯を歩きます。
圃場整備の為にJR北陸本線の踏切付近までの500m程の区間は旧街道は消滅しています。

消滅した旧街道
写真の様に
圃場部分の街道は消滅していますが,写真下部の木之本千田の住宅地には旧街道が残っています。

©Google

馬渡(もうたり)地区
珍しい地名であると同時に難読地名です。
足利尊氏が北陸へ向かうとき増水した高時川を渡河できず難渋していたとき村人が川渡を助けた事から"うまわたり村"と呼ぶ様になったのですが後年訛って"もうたり"と呼ばれる様になったとの事です。地名ひとつにも歴史的な背景がある事は興味深いです。
この高時川は昨日越えてきた栃の木峠を水源としている川です。

竹生島詣で
高時川の堤防の道に大きな "左 竹生島本道" の道標があります。竹生島は琵琶湖北部の島で都久夫須麻神社(竹生島神社)と宝巌寺があります。ここ以外にも街道沿いに大小幾つかの道標がありました。
都久夫須麻神社は元々は弁才天(そう言えば弁財天は琵琶を抱えています)でしたが明治の神仏分離令の時に改称したとの事です。
江戸周辺では江戸期に同じく弁才天を祀る江の島詣でがブームになりましたが近畿では竹生島詣でがブームになったのかなと思います。平たく言えば私の様に歩いて旅行して楽しんだ庶民の先祖達が沢山いたという事です。

写真左:馬渡付近の高時川
写真右:竹生島への道標


虎姫町唐国
高時川を越えるとすぐに唐国です。道路の拡幅工事をしたのか旧街道の道筋にしては道幅が異様に広いです。唐国は山之内一豊が朝倉氏との戦の戦功により初めて下賜された土地だそうです。

部落途中に
"左元三大師" "?ぐ京いせ長濱?"と読める道標がさりげなく建っています。 
元三大師(がんざんたいし)は"おみくじの元祖"と言われ,ここから東に2㎞ほど離れた三川町の玉泉寺で生まれたとの事です。 

写真左:唐国の家並
写真中:道標
写真右:伊吹山


姉川付近  姉川の戦い
1570年(元亀元年)織田信長は越前の朝倉を討つ為に越前に侵攻するも,お市の方を正室にして姻戚関係にあった近江の浅井長政の寝返りにより福井県敦賀市金ヶ崎で袋の鼠になるところを間一髪琵琶湖の西側朽木街道(現国道367号線)を疾風の如く敗走し京都経由で岐阜に帰還。

徳川家康の援軍などを得て兵を立て直した織田軍は再度近江に侵攻し姉川を挟んで朝倉・浅井軍と相対峙し合戦の火蓋が切られました。

古戦場を訪れると 松尾芭蕉が平泉で詠んだ句 "夏草や兵どもが夢の跡" が思い出されます。
古戦場は6.5km程上流にあります。

長浜市曽根町付近
姉川を越えると曽根町です 
ここにも竹生島への道標があります。高さ3mを越える背の高い道標です。
 表:左 竹生島道   裏:文久二年戌孟春 (1862)

街道沿いの家並が静かな佇まいをみせています。

写真左:竹生島への道標
写真中&右:街道沿いの家並


昼過ぎ長浜市祇園町付近で雨がポツポツ降ってきた為昼食を兼ねてスーパーマーケットで休んでいると,雷を伴った暴風雨になり2時間の足止めを余儀なくされました。歩き旅はお気軽な感じがしますがアウトドアの遊びです。いつ何時天候が変わるか分かりませんので雨対策が必要です。

長浜市街


長浜城下

ワクワクする街道筋です
羽柴(豊臣)秀吉が浅井長政攻めの軍功で浅井長政の旧領を織田信長から拝領して築城し,初めて城持ち大名になった城下街です。
市街地の旧街道沿いには古い町家や明治以後の洋風の建物などが続き街道歩きを楽しむ者にとってはとても興奮する街並みです。観光地としても賑わっていて多くの観光客行き来しています。
北国街道(北陸街道)をずっと歩いてきましたがこれ程賑わっていた街道筋は初めてです。今もなお街道が活きていると感じます。

ところが顔面蒼白の事態なのですが,写真のデータがどこに行ったのか分からなくなってしまいました。
残念ながら写真で長浜城下の紹介をする事ができません。申し訳ありませんが皆さんが自分の足で歩いてその風景を味わってください。

長浜下坂浜町から米原宿


琵琶湖大仏

湖畔の逆光の中にいきなりヌット現れる平安山良疇寺(りょうちゅうじ)の28m青銅製の大仏です。
仏像の事は殆ど知りませんが阿弥陀如来ではないかと思います。南無阿弥陀仏と念仏を唱えましたが罰当たりな言い方ですが突然現れるので有り難いと言う前に少し驚いてしまいます。

琵琶湖の風景
琵琶湖大仏を過ぎてすぐに長浜新川に差し掛かります。意外に思うかもしれませんが北国街道(北陸街道)は琵琶湖の東岸を通っていますが家並で琵琶湖を望める場所はあまりありません。街道は長浜新川の河口を通っているので琵琶湖を臨む事ができます。琵琶湖は本当に穏やかな風景です。


米原宿周辺  北国街道・中山道追分

巨大なUFOが降り立っているかの様な長浜バイオ大学ドームを西に見ながら先を急ぎます。
かつては天野川の川渡し場だった飯村を過ぎるとJR米原駅が近づきます。
東海道新幹線,東海道本線,北陸本線が近接して通っていて本来の街道は消滅しています。

写真左:米原駅操車場 昔も今も交通の要所です
写真中&右:米原宿入り口 陸橋を渡り 何て事ない曲がり角を曲がると米原宿です。


北国街道・中山道追分
1889年(明治22年)創業のかめや旅館前が追分です。
下の写真 左が北陸街道, 右が中山道です。
かつて旅人が往来した街道は今は米原高校の生徒の通学路として,そこに暮らす人達の生活道路として活きています。
ここまで来たら北国街道(北陸街道)を歩き終わった様な安堵感を感じました。

旅館かめや前の追分道標
 東面: 弘化三丙午年再建之 (1846年)
 南面: 右中山道 はん八 さめかゐ
 西面: 左北陸道 なかはま きのもと



米原宿の風景




もう一つの追分 中山道摺針峠越え

中山道は番場宿付近でYの字を横にした様に米原宿に行く道筋と鳥居本宿に向かう道筋に分岐します。
番場宿から摺針峠を越えて北国街道と合流する追分が下矢倉町の国道8号線沿いにあります。

昔は中山道の摺針峠に望湖堂があり安藤広重の木曽街道六十九次 鳥居本は摺針峠からの風景を描いているとの事です。

写真左:中山道追分付近の石柱 GoogleMapでは摺針峠望湖堂石碑と記載されています
写真右:安藤広重 木曽街道六十九次 鳥居本
 鳥居本宿交流館 さんあか に展示されていたものを撮影して掲載いたしました。



鳥居本宿  北国街道(北陸街道)始着地点

矢倉川を渡るとすぐに国道8号線を斜め入る北国街道が続いています。
いよいよ夕暮れが迫った鳥居本宿の家並が見えてきます。

少し複雑な気持ちになりますが,路傍の石柱に"中山道"と刻んであります。「あれ?北国街道の終着点を目指しているのに中山道なの?」 「追分の摺鉢峠望湖堂石碑までが北国街道なのか?」などと思いを巡らせますが,昔は現代の様に事細かくキッチリしていなくて,ゆったりおおらかだったのでしょう。細かい事は気にせず先に進みます。

写真左: 鳥居本宿宿入口のモニュメン
写真中: 中山道と刻まれた石柱
写真右: 茅葺の民家


赤玉神教丸 有川製薬(株)店舗
クランク状に曲がった桝形の所に寺社以外の民家としては北国街道随一と思える有川家があります。
有川家は現在でも販売されている1658年(万治元年)創業の赤玉神教丸の製造販売元です。
有川製薬株式会社のホームページによると建物は宝暦年間(1751~1764年)に建てられたとの事です。



豪風雨で足止めを食らった為鳥居本宿に着いたのがかなり遅くなりました。暗くて写した写真がブレているものが多かった為,翌朝再度訪れて写した写真です。それにしても ”うだつ” が上がり重厚な建物です。




鳥居本本陣跡 寺村家
本陣屋敷は合計201帖もある広い屋敷だったとの事です。元々は小野宿の本陣役でしたが1603年(慶弔8年)鳥居本に宿場が移った時から鳥居本宿の本陣役を務めていたとの事です。昭和10年頃写真奥の洋館に建替えられ,手前の倉庫の扉は本陣の門を転用したものだという事です。
(以上 説明板より)

ご主人と思われる方が庭の掃除をしていたので撮影許可を貰って敷地に入らせて頂いて撮影しました。

近江鉄道鳥居本駅

懐かしい駅舎です。赤い腰折れ屋根,三角屋根,四角い煙突が印象的な駅舎です。待合室のドーム型の入口と相まってどこか外国の小さな駅に座っているような感じがします。
”市振から魚津”のページで紹介した富山地方鉄道本線東三日市駅の駅舎が”和”ならこちらは”洋”の感じです。
この空間に身を置くだけでゆったりとした時の流れを感じます。



佐和山城址
ホームからは石田三成の居城だった佐和山城址が東海道新幹線高架の先に望めます。
佐和山に隠れて見えませんが山の向こうには彦根城があります。

地図を見ながら実際に歩いてみると,佐和山城は中山道,北国街道,琵琶湖の水運とが交わる場所に位置しており畿内,遠江,北陸への結節点の交通の要所だった事が分かります。

北陸街道(北国街道)は完歩です

新潟県長岡城下から歩きはじめて北陸街道(北国街道)を新潟県高田城下→富山県→福井県→滋賀県鳥居本宿と歩いてここ鳥居本宿で終わります。
でもまだ当面の目的地京都までの旅が待っています。まだまだ歩き旅は続きます。

エピローグ

三人の旅人
有川製薬(株)店舗の前で20代後半~30代前半と思える3人の男性が如何にも街道を歩いているといういでたちで写真を撮っていました。
話しかけると,3年かけて中山道を歩いていて今日は関ケ原から鳥居本まで歩いてきたとの事です。
面白い事に3人の住まいは神戸,名古屋,小田原と別々で今日は関ケ原で落ち合って一緒に歩いてきたとの事でした。学生時代の友人なのか,同じ会社で勤務地が異なるのかは分かりかねますが時々3人で会っては歩いているとの事です。今日はこの後,彦根で宴会だそうです。良い友人関係だと思いました。

本日の温泉
かんぽの宿 彦根 6階展望風呂
彦根市松原町の琵琶湖湖畔にあります。風呂の琵琶湖側はガラス張りで琵琶湖の眺望が広がるそうです。"そうです"と書いたのは夜だったので真っ暗な中に遠くの明かりが見えただけでした。残念でした。


END

2018/12/19 ver5.17.0 ポップアップで起動する地図をGoogleMapから地理院地図(電子国土web)に変更
2017/6/12 作成
 

Column


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