Contact
admin


電子足跡: 北陸街道(加賀街道)歩き旅
 魚津から富山城下へ


プロローグ

魚津から富山城下への道は前半が海沿いの道です。成願寺川河口の水橋から海と分かれて田園風景から都市の環景への変化に富んだ街道です。道すがら北アルプス山脈が一望できて海と山そして田園の風景が楽しめる贅沢な街道歩きです。

一応お断りしておきますが歩いた当日風向きは海風でした。海側は晴天でしたが海風が北アルプスにぶつかると山脈に雲が沸いて実は北アルプスは見えませんでした。上の写真は今回の旅が終わって車で帰るときに成願寺川の土手から写した写真です。


Amazonでショッピング 楽天市場でショッピング 楽天トラベルで予約
お買い物
   


ルート
区間 ルート 歩いた日 GPS移動距離
魚津駅-富山駅 魚津-滑川-水橋-富山城下 2016/06/01 33.5km

GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法

↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

北陸街道(加賀街道)魚津から富山城下地図
カシミール3D 国土地理院 (カシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)

魚津 蜃気楼の町

プチ蜃気楼
魚津と聞いてまず思い浮かべるものはなんと言っても蜃気楼。この日は風が涼しい良い天気でした。肉眼では気が付かなかったかったのですが望遠レンズで撮影した写真を見ると対岸の風景がかすかに浮かんで見えます。写真の大きな煙突は17km程離れた富山火力発電所と思われます。


魚津市街
写真左は魚津駅から海岸に向かう中央通りです。明るいオレンジ色に塗られたアーケードが印象的です。
写真右は海岸線と平行に通っている北陸街道の本町付近です。旧街道は直ぐ隣に海を感じられますし所々松の木があり雰囲気がとても良いです。

京まで91里
港の海岸付近に「北陸街道京まで91里」の道標がありました。
出発地点の長岡駅前からここまで195㎞(親不知を除く)歩きました。
ゴールはまだ約360㎞も先です。

ミラージュランド
街道の先に観覧車が見えます。旧街道と観覧車の新旧のコントラストが不思議な感じがします。この先旧街道はミラージュランドの敷地のなかを通っていたとの事で道筋は消滅してます。

海風が心地良い道

ミラージュランドを過ぎて早月川を渡ると滑川市になります。
昔の街道はこんな風景だったのかなと思える道を歩きます。

三ケ(さんが)珍しい地名です。
ここから家屋が少なくなります。富山湾をのぞみ,田植えが終わった早苗の中を爽やかな潮風に吹かれながら歩きます。

右の写真は北陸街道からそれて富山湾に続く農道ですが砂利敷き道は懐かしい感じがします。




写真上左は街道脇にポツンとあった石仏です。風化の具合が歴史を感じさせます。
写真中央は江戸時代北陸街道に植えられた樹齢およそ200年の松です。かつては1町(約109m)毎に街道筋に植えられていたとの事ですが現存する松は珍しいです。
写真右は砂川一里塚跡。道の反対側も一里塚の痕跡があります。

滑川宿

滑川の市内には所々歴史を紹介した看板が建っています。歴史や当時の町割りなどが紹介されていて大変興味深いです。

芭蕉宿泊地
その看板に書いてあったのですが,
芭蕉と曽良は元禄二年七月十三日(太陽暦1689年8月27日)に市振から歩いてきて滑川の川瀬屋に投宿したと言われています。市振から滑川までは40㎞程あります。

滑川宿の街並み


滑川の家屋は上の中央の写真の様に2階立ての家屋の間に中二階の家屋が挟まれるように建っています。そのせいか街並みが独特な感じがします。

写真左は旧宮崎酒造の家屋です。重厚な門が印象的です。

水橋宿

水橋は河口にある為古くからの交通・物流の要所で江戸時代には北前船の港町や宿場として栄えた土地です。
たびたび水害に見舞われた為北陸街道の道筋が変わり,特に安政5年(1858年)の大地震による立山の山崩れによる大洪水で常願寺川の川筋が代わり水橋も破壊され北陸街道も付け替えられました。


写真上左 :水橋一里塚跡
写真上中央:石碑群
写真上右 :下条川に架かる 昭和7年竣工 りくはし 独特な雰囲気です。
写真左  :常願寺川に架かる今川橋からみた水橋宿方面の街並み。

地図をよく見ないで歩いていたので予定していたルートを間違えて成願寺川を渡ってしまいました。約30分ロスしました。

水橋から富山城下へ

水橋で北陸街道は分岐します。ひとつはそのまま海岸線を西に行くルート,もう一つは南下して富山城下に向かうルートです。射水市の手崎で合流します。芭蕉と曽良は海岸線のルートを通ったとの事です。私は富山城下を通る事にしました。ただ水橋は何度も水害にあって道筋が変わっているのでルートが特定できないので圃場整備された農道を歩く事にしました。

第1北陸街道踏切
農道を行くと「あいの風とやま鉄道(旧JR北陸本線)」の水橋駅近くの踏切に第1北陸街道踏切の看板がありました。これまでも旧JR北陸本線の踏切には第n北陸街道の表示があったのですが,第1と書いてあるので,この踏切が北陸街道と旧JR北陸本線がクロスする最初の踏切なのかと思います。


更に南下して国道415号線の成願寺大橋を渡ると西詰に明治天皇が立ち寄った石碑が建っています。
他の場所でも明治天皇の石碑を見ると旧街道筋である事が確認できて助かっていましたが,水橋からここまでルートが不安だったのでようやくルートに確信が持てて安堵しました。この石碑を建てた方達の意図とはかけ離れていると思いますが明治天皇の石碑は本当に役立ちます。

暫く成願寺川沿いの道を歩くと,徐々に川から離れ田園風景の中に民家が増えてきます。人の往来も多くなり北陸街道は今でも生活道路として活躍している道です。


富山城下

薬種商 金岡本店
富山の薬売りは有名ですが,富山市の中心から4㎞程東側の新庄町にある薬種問屋の金岡薬店の店構えです。
門の前に明治天皇が金岡邸で小休止した石碑が建っていました。


富山市街地の風景

この日6月1日は富山市内は日枝神社大祭(山王まつり)でした。
総曲輪(そうがわ)と書かれたアーケード街を御神輿が練り歩いて大きな掛け声が市街に響き,歩行者天国になったメインストリートには人が溢れるばかりです。

総曲輪は富山城の外堀が曲輪(くるわ)と呼ばれていてその外堀周辺の商店街を含めて繁華街になった場所です。
かつて人を寄せつけない為の外堀が現代では人が集まる場所に変わっています。

神通川船橋跡
市内を流れる松川はかつては神通川で川幅ももっと広くそれまで舟渡だった交通を舟64艘をつないでその上に板を敷いて舟橋にした場所です。
広重の六十余州名所図絵 越中富山船橋にも描かれていますが現在の風景からは想像できない風景です。常夜灯は寛政11年(1799年)に寄進されたものです。

富山城址



END

2018/12/13 ver5.17.0 ポップアップで起動するルート地図をGoogleMapから地理院地図に変更
2016/09/05 ver3.20:内部処理修正
2016/07/25作成

 

Column


広告

広告

広告