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電子足跡:北陸街道(加賀街道)歩き旅
 石動から金沢へ  倶利伽羅峠越え

倶利伽羅峠からの風景

プロローグ

倶利伽羅峠。たった5文字の地名が古代・中世のロマンを感じさせます。富山県と石川県にまたがる砺波山の峠です。
そして古代と中世を分けた峠でもあります。1182年(寿永2年)5月11日,倶利伽羅源平合戦の古戦場です。平家軍総大将平維盛と木曽(源)義仲軍が有名な「火牛の計」で戦い木曽義仲軍が勝利をおさめその勢いで京へ進軍し歴史を変えた地です。


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倶利伽羅峠の道は歴史国道として富山県小矢部市埴生口から石川県河北郡津幡町竹橋口まで古の雰囲気を伝えながら説明版や道標が整備されて歩きやすい道です。
ただ12㎞程の道程で食事や飲み物が有る場所は倶利伽羅不動寺の境内と津幡町竹橋口に在る「道の駅 倶利伽羅源平の郷」だけですので行動食と飲み物を準備しておいた方が良いと思います。

ルート
区間 ルート 歩いた日 GPS移動距離
石動駅-金沢駅 石動-長坂-倶利伽羅峠-前坂-道の駅源平の郷-津幡-金沢 2016/09/27 31.9km

↑GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法
↑地理院地図(電子国土web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

北陸街道(加賀街道)石動から金沢城下倶利伽羅峠越え地図 カシミール3D 国土地理院 (カシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)

木曽義仲進軍の道

石動の街並みを越えると約1300年の歴史を持つ埴生護国八幡宮があります。木曽義仲はこの宮で戦勝祈願を行った後,倶利伽羅山中の猿ケ馬場付近に本陣を敷いた平維盛軍を囲む様に味方の軍を分けて進軍し夜になるのを待ったとの事です。
八幡宮を越えて直ぐ木曽義仲軍勢進めし道と書かれた石碑があり進軍の道が続いています。
「北陸街道紀行(松尾一 まつお出版)」に掲載された北陸街道の道筋とは少し異なりますが義仲軍進軍の道を行きます。

写真左:埴生護国八幡宮
写真右:義仲軍勢進軍の道


若宮古墳

上の義仲軍勢進軍の道の写真の左側に森が見えますがその森に隠れる様に若宮古墳があります。

1959年(昭和34年)と比較的新しいく発見された前方後円墳です。6世紀初頭の築造と推定されて全長約50m,後円部長径約28m,前方部幅約19mです。北陸地方にこれだけ大きな前方後円墳が在るのを知ると少し驚きます。大和政権と深いつながりがあり古代北陸街道を多くの古代人達が往来していたと思うとロマンを感じます。

石坂部落の風景

進軍の道を左に折れて北陸街道に戻ります。農家が続く長閑な田舎道です。石坂部落の農家が途切れると長坂登口と書かれた看板を左に曲がりいよいよ北陸街道の面影が残る倶利伽羅峠への道が始まります。



歴史国道として整備された北陸街道の倶利伽羅峠前後の道は要所要所に写真の様に道標と説明版が設置されています。
歴史国道とは国土交通省が中心になり整備している道路です。歴史上重要な役割を果たした街道のなかで昔の面影が残っている道を歴史国道に指定して整備を進めている国道です。

倶利伽羅峠への登り道

旧北陸街道の面影が強く残る尾根沿いの木立の道が続きます。面影が強く残ると言っても私はその当時生きていた訳ではないので想像ですけど。
街道沿いには新しい家などは無く木立の日陰の中を小鳥のさえずりを聞きながら進みます。

写真左:長坂の登り道
写真右:たるみ茶屋跡 神奈川県藤沢の遊行寺第53代尊如の歌碑があります。


天池峠茶屋跡


矢立観音 倶利伽羅峠三十三観音
江戸末期道標と道中安全の為に33体の観音仏が安置された。明治の廃仏毀釈のおり一度は撤去されたがまた元のこの場所に戻されたとの事。

矢立
来た道を振り返って撮影した写真です。
倶利伽羅峠の戦のおり小競り合いがあった地とされ平家軍が放った矢が突き刺さった事から矢立山と言われるようになったとの事です。

倶利伽羅峠古戦場

砺波山への最後の砂坂を登りきるといよいよ猿ケ馬場の倶利伽羅峠古戦場です。

写真左:砂坂の登り
写真中:砺波山直下の標識
写真右:小矢部市方面を望む


源平倶利伽羅合戦屏風

注:道の駅 「倶利伽羅 源平の郷」に展示してある「源平倶利伽羅合戦屏風(複製)」を撮影したものです。

800年以上前にここで倶利伽羅峠の源兵の戦があったとは思えないほど静かなたたずまいです。
耳を澄ますとかすかに往時の雄たけびが聞こえてくる様な錯覚を覚えます。

写真左:猿ケ馬場 倶利伽羅峠古戦場
写真右:源平供養塔


写真左:倶利伽羅不動尊寺への旧街道
写真右:倶利伽羅不動尊寺


ここまで殆ど休まず歩いたので境内の蕎麦屋さんの店先で休ませて頂きました。
この日は9月も末というのに30度を超える猛暑。自動販売機の飲み物で渇いた体にタップリ水分補給です。

倶利伽羅峠を下る

倶利伽羅峠不動寺を超えると後は下り道です。気のせいか道が明るく感じます。
倶利伽羅峠の西側の北陸街道も面影を良く残しています。

写真左:倶利伽羅部落の道
写真中:龍ヶ峰城址
写真右:龍ヶ峰城址から金沢方面を望む 久し振りに日本海が見えます。


道を間違いやすいですので気を付けて下さい
旧北陸街道と新道が交差する場所ですが旧道がクランク状に曲がっています。

写真左:西側道標   
写真右:東側道標


前坂
新道との交差点から600m程の前坂と呼ばれる道はとりわけ旧街道の雰囲気が良く残っています。


写真左:前坂の登り口
写真右&下:前坂登り口石仏群




道の駅 倶利伽羅峠 源平の郷

倶利伽羅峠からの道がIRいしかわ鉄道線とぶつかる国道215号線沿いに道の駅「倶利伽羅峠 源平の郷」があります。倶利伽羅峠に関する展示やレストランそして小さいですが温泉施設もあります。時間があれば温泉に入って汗を流すのも良いです。今日はここで昼食です。ウエイトレスの方に頼んで100Vの電源を借りてスマホとカメラのバッテリーも充電してお腹も電池も満腹になりました。親切にして頂いて有り難うございました。




注:撮影禁止の掲示が無かったので道の駅の展示物を掲載させて頂きました。

旧金沢下口の松並木

金沢城下の北東の入口にあたる金沢下口,現在の北森本町付近に残る松並木です。近くを北陸新幹線が走り,山側環状道路が交差し昔の面影が消えたなかほんの数百メートル松並木が残っています。加賀前田家の参勤交代は北陸街道を利用したのでこの松並木を大名行列が通った事でしょう。



金沢城下

北陸新幹線の高架をくぐるとこれまでと打って変わって金沢市街地になります。
市街地の中にも旧北陸街道の道筋があり所々当時の町家を彷彿とさせる家並が残っています。
峠や田園の中の旧街道も良いものですが都市の中の旧街道は往時の人々の暮らしや賑わいが感じられて趣があります。

春日町付近の街並み
大樋町付近


写真左:小坂町付近
写真右:浅野川河畔の家並


写真左:尾張町付近の居酒屋さん
写真右:JR金沢駅


今日の温泉


松任海浜温泉
JR金沢駅で今日の行動は終わりです。この日は9月27日でしたが金沢は真夏日の猛暑でした。体中が汗でベトベトです。金沢駅に駐車していた車で15㎞ほど離れた海岸のそばにある松任海浜温泉で汗を流します。
全面ガラス張りの日本海に面した浴場は広くゆったりとしています。



END

2018/12/15 ver5.17.0  ポップアップ地図をGoogleMapから地理院地図(電子国土web)に変更
2016/10/20 作成

 

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