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電子足跡:旧甲州街道歩き旅
 八王子宿から吉野宿


プロローグ

旧甲州街道を八王子宿から吉野宿まで歩いたページです。

高尾駅を過ぎた駒木野宿付近からはこれまでの都会のビルが立ち並ぶ風景から一転して、如何にも旧街道という感じの道になります。
東京駅から電車で一時間程度しか離れていない場所に風情の良い旧街道が残っているとは思いもしませんでした。

2019年11月29日に歩いたのですが、小仏峠への道が台風19号の影響で通行止めになっていて小仏峠を歩く事はできませんでした。 仕方なく小仏バス停でバスに乗って高尾駅に戻り、JR中央本線で相模湖駅に行ってそこから歩きを再開しました。

ルートとして以下です。
八王子宿→駒木野宿→小仏宿→小仏バス停→京王バス→高尾駅→JR中央本線→相模湖駅→与瀬宿→吉野宿→藤野駅


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都道府県 区間 歩いた日 GPS
移動距離
備考
東京都 JR八王子駅~小仏バス停 2019年11月29日 11.3km 高尾駅を越えた駒木野宿付近から旧街道らしい道が始まります。  
  小仏峠は2019年の台風19号の被害で通行止めの為踏破できず。
2020年2月18日より通行止め解除(東京都高尾ビジターセンターホームページより) 
神奈川県 JR相模湖駅~藤野駅 2019年11月29日 5.4km

↑GoogleMapと地理院地図に
GPSログと写真がマッピングされた地図が開きます
GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法


カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


八王子宿


説明版によると、徳川家康の統治下になって以後、この地から西に直線距離で7kmほど離れた八王子城下(現在の元八王子)から今の市街地に移転されて新しい街づくりが始められたとの事です。最初に東西の道(甲州街道)が整備されて、東から横山・八日市・八幡の三宿が開かれたとの事です。
その後江戸時代に入ると甲州街道の宿場町としては勿論、養蚕・絹織物の中心地として経済も発展したとの事です。新しく開発された、と言っても戦国から江戸時代前期の話ですが、計画的に町割りをしたのか直線的でスッキリした感じの市街地です。

八日市宿跡
東京電力多摩総支社ビルの前にありました。

カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


八幡町の見世蔵造りの店舗
城所荘蔵商店です、ビルが並ぶ街並みに突然現れます。朝早かった為か閉まっていました。
新しいビルと古い蔵のコントラストが面白いです。


甲州街道と陣馬街道追分
左が甲州街道(20号線)と右が陣馬街道(521号線)の追分です。この付近の町名は追分町で道の形がそのまま町名になっています。
追分と聞くと追分節の哀愁のある曲を思い浮かべます。曲の印象からのどかな風景が広がっている様に感じますが、ここは東京都です。風景は様変わりして車が行きかう三叉路です。

高尾山に登った事がある方はご存じかと思いますが、陣馬街道は高尾山から更に西にある陣馬山のそばの和田峠を越えて相模湖付近に続いている道です。
この追分で右に行くも、左に行くも、結局同じ所に行きます。

左に曲がって甲州街道を進むと「千人町」という町名になります。
千人の同心が住んでいた町という事で、この場合の同心は半士半農の軍事・警察集団で、同心を統率する千人頭10名は旗本格で知行地を持ち将軍に謁見できる身分だったそうです。

甲州街道いちょう並木
大正天皇の御陵造営を記念して昭和4年(1929年)に植樹された銀杏並木です。この追分から高尾駅北口前まで約4Kmの銀杏並木が続きます。
明るい陽射しのなかで輝く黄色の中を歩くと気持ちが明るく軽くなる感じがします。黄色が持つ力だと思います。





駒木野宿


駒木野宿は鉄道の駅でいうと高尾駅を過ぎて1.5kmほど西に行った所にあります。
この付近は関東山地の麓になるので、この付近からは地形が変わり平野部から山間地になります。
ビルが立ち並ぶ都会の風景から樹木が繁る旧街道らしい風景に変わります。

小仏(駒木野)関所跡
幕府道中奉行の管轄の関所で
「五街道細見 岸井良衛 青蛙房」には「駒木野御関所」と書いてあります。
「のぼり男女とも御手形上がる、下りは手形いらず。」とも書いてあります。
「入り鉄砲に出女」を激しく取り締まったとの証左でしょう。

旧東海道で言えば箱根関所、中山道で言えば碓氷関所の様な位置づけなのだと思います。

当たり前の事で書くまでもないのですが、小仏関所は平野部から山間部に入る、街道の両脇に山が迫った地形の場所に設けられています。

念珠坂
念珠坂の石碑が立っているくらいなので昔はそれなりに急な坂だったのかもしれませんが、今はなんてことの無い坂道です。


八王子ジャンクション付近
中央自動車道と圏央道のジャンクションです。
幾何学的な構造物と自然の地形のままに通じていた旧街道の対比が面白いです。
それにしても、普段、高速道路を走っていても何とも思いませんが、高速道路を下から見上げるとその高さに驚きます。ちょっと怖いです。


現代土木技術の粋を集めて建設した高速道路の高架の下に、旧街道の牧歌的な風景が広がっています。


浅川国際マス釣場


小仏宿


ここまで、それほど険しい道とは感じませんが、小仏宿は峠を控えていた為に宿泊する旅人が多かったとのことで繁盛したそうです。
宿場間もこれまではそれなりの距離で離れていましたが、この付近の街道筋からは宿場間の距離が短くなり、道が険しくなる予感がします。

中央線のレンガのガードを越えたあたりから小仏宿なのですが、現在の街並みは余り宿場のイメージは無く、ここが宿場だったと気が付かず写真を写さないで通り過ぎてしまいました。

小仏峠


この道を歩いたのは2019年11月29日 ですが、小仏峠手前のバス停まで来たら、2019年の台風19号の影響で小仏峠は通行止めとの事でした。
景信山に経由なら小仏峠を越えられるとの事でしたが、山を登って迂回する気力が沸かず歩きを断念しました。
急遽、バスで高尾駅まで引き返して、電車で相模湖駅まで行ってそこから再スタートする事にしました。

東京都高尾ビジターセンターホームページによると、
2020年2月18日より通行止め解除になったとの事です。次の機会に小仏峠を歩いて道筋を繋げたいと思います。

小原宿

未踏破

与瀬宿

相模湖駅から再スタートです。

現在、与瀬宿の目の前は相模湖が広がっています。相模湖はダム湖で相模ダムは約60mの高さですので、宿場の場所から60m以上したが谷底だったと思われます。往時は全く別な風景が広がっていたのだと思います。

「五街道細見 岸井良衛 青蛙房」には与瀬宿から相模川を通る舟渡しがあって、与瀬宿から一旦勝瀬という所に渡り、勝瀬から更に吉野宿に船で行く事が出来た様です。ともに船賃4文と書かれています。
左の写真の橋が勝瀬橋という橋なのでおそらく対岸の地名が勝瀬だったのではないかと思われます。



甲州古道
この付近の旧甲州街道を案内する木柱には 「甲州古道」 と表記されています。
旧甲州街道の道筋は現在の国道20号線よりもう少し山側に続いていました。GooleMapには小さな文字で旧甲州街道と表記されています。
新しい道が旧街道を避けて敷設されると、旧街道には往時の面影が色濃く残ります。



相模湖駅から600m程進むと国道20号線と中央高速の高架の間に歩道が設けられています。
ここが旧甲州街道です。と言ってもなんか釈然としない気持ちで歩きましたが、この様な形であっても旧街道の道筋を残しておいてもらえるのは有難いことです。


横橋付近の石仏石塔
石仏のお顔がなんとも優しそうで思わずホッコリしました。


横橋の坂道


初めて富士山が見えました
今回は小仏峠を通っていないので、橋沢の坂を登りきって初めて富士山を見ることができました。


吉野宿


中央高速の上を渡ると吉野宿に行く下り道になります。
高速道路の風景も現代的な感じがして良いものです。

21世紀になって随分経ちましたが、子供の頃のマンガ雑誌では今頃の時代は車は空を飛んでいたはずで、マンガを読みながら遠い未来を空想してワクワクしたものでした。
それが、なんとこの歳になって旧街道を歩いているとは思いもしませんでした。(笑)

ここが旧甲州街道?
ややもすると道を間違えてしまいます。舗装された道路の脇に土の道があります。こちらが旧甲州街道の道です。入口に掲示板と「甲州古道 赤坂」の木柱が立っています。

僅かな距離ですが未舗装の道が残っています。




写真左:観福寺
写真右:石仏石塔群


写真左:吉野宿への坂道
写真右:高札場跡


旅籠ふじや (藤野町郷土資料館)
現在は資料館になっています。民具や養蚕に関する展示や先史時代の土器などの出土品が展示してありました。説明員の方が民具や養蚕の道具の説明をしてくれて、子供の頃、親戚の家で見たことがあった物もあり、懐かしい展示でした。この日はこの地に居を構えていらしゃる絵本作家の西村繁男氏の特集の展示をしていました。


吉野本陣
現在も末裔の方が住んでいるようで立ち入り禁止になっていました。
道路脇の説明板によると吉野家は名主で五街道の整備に伴い名主である吉野家を本陣と定めたとの事です。
江戸末期本陣は木造五階建ての建物だったとの事です。明治29年宿場が全焼する大火で当時の建物は焼失したとの事です。写真右は説明板に掲載されていたものです。


相模湖付近の旧甲州街道の道筋
藤野町郷土資料館前にあった説明板です。南北が逆さまですが相模湖付近の旧甲州街道の道筋が書いてあります。

*クリックすると大きな画像が開きます。

エピローグ

小仏峠を歩けなかったのは残念でしたが、八王子を過ぎて高尾駅付近からは都会の喧噪は無くなり如何にも旧街道歩きという良い感じの道になります。東京駅から電車で1時間くらいの所にこんなに良い旧街道が残っているとは思いませんでした。

さて、下の写真が何かお分かりになりますでしょうか? 藤野町郷土資料館の床に何気なく置いてありました。

これは昭和20~30年代に使われていた、手動洗濯機です。
脇のハンドルが無くなっていますが、球形のタンクに水と洗剤そして洗濯物を入れてハンドルを回して攪拌して洗濯をします。
かなり小さい頃、隣の家のおばさんがこれを使って洗濯をしているのを見たことがあります。
その後、電気洗濯機が普及したので見かけなくなりました。

インターネットショッピングを検索すると、形は多少異なりますが同じような機能の手動洗濯機が販売されていました。「歴史は繰り返えす。」です。


END

2020/04/09 作成
 

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