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電子足跡:旧甲州街道歩き旅
  下鳥沢宿から阿弥陀海道宿へ
    日本三奇橋 甲斐の猿橋を通る道


プロローグ
 


旧甲州街道を下鳥沢宿から笹子峠の手前の阿弥陀海道宿まで歩いたページです。
通過した宿場は、上鳥沢宿-猿橋宿-駒橋宿-大月宿-下花咲宿-上花咲宿-下初狩宿-中初狩宿-白野宿-阿弥陀海道宿と10宿に及びます。本文にも書きましたが甲州街道45宿の内12宿が大月市に集中しています。ですので街道沿いは家並みが続き安心して歩けます。

この区間は笹子峠に向かって300m程の登りですが急峻な勾配はなくダラダラとした比較的平坦な道が続きます。
この区間はなんと言っても日本三奇橋の一つ ”甲斐の猿橋” を通るとだと思います。
また、街道沿いの道は猿橋以外にこれと言って旧跡や名所がある訳ではないのですが、桂川、笹子川に沿った山間の道は落ち着いた日本の田舎を感じる良い道です。


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都道府県 区間 歩いた日 GPS
移動距離
備考
山梨 鳥沢駅~笹子駅 2019年12月01日 19.8km

↑GoogleMapと地理院地図にGPSログと写真がマッピングされた地図が開きます GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法
 

カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


上鳥沢宿


鳥沢駅を出て直ぐ西に向かって歩きます。
現代では上鳥沢宿と上鳥沢宿は家が並んでいて、どこが宿場の境なのか判然としません。
五街道細見(岸井良衛 青蛙房)では 山谷-中の-下鳥沢-鳥沢-襟巻-生神場 と記載されています。下鳥沢と鳥沢の間は5丁(約550m)と記されています。鳥沢が上鳥沢宿の事なのだと思います。

上鳥沢宿問屋場
鳥沢駅から数100m歩いた所にありました。
登録有形文化財になっていますが、個人所有の家で改築して現在も生活しているようです。

築100年は超えていると思いますが、昔の家は柱や梁が太い為か長年の風雪に良く耐えるものだと思います。

ここが旧甲州街道???
地理院地図に ”小向” と書かれた集落の西の外れです。
この道はGoogleMapには旧甲州街道と表記がありますが行き止まりになっています。
地理院地図はこの場所で北に折れ曲がり宮谷川を渡って斜面を登る道が記載されています。

おそらくですが、本来の旧街道はここから北に進み、川幅が狭くなった所で川を渡ったのではないかと思います。

地元の人達か旧甲州街道を歩く人達が、この小道を歩いて20号線に降りるので自然と道になったのではないかと思います。

猿橋宿
 


猿橋宿には特徴的な構造の甲斐の猿橋を渡って入ります。五街道細見には猿橋宿の家は80軒余りと記載されています、鳥沢宿が150軒と書いてありますので規模としては半分位だったようです。

甲斐の猿橋
”岩国の錦帯橋” ”木曽の棧(かけはし)” と共に日本三奇橋のひとつです。長さ30.9m、幅3.3m、高さ31mですが橋脚を使わない両岸から張り出した四層のはねぎで支えられています。それもその筈で橋の下は桂川の深い峡谷で橋脚を作る事がかなり難しいです。過去幾度か架け替えられ、現在の橋は昭和59年完成との事です。
橋は勿論ですが、紅葉の渓谷の美しさは日本的な感じがします。
猿橋は軍事上の要衝の地で、応永33年(1426年)武田信長と足利持氏、大永4年(1524年)武田信虎と上杉憲房の戦いの場になりました。
(説明板および大月市観光協会のホームページを要約)





岩殿山はヒマヤラ山脈???
JR猿橋駅付近から西の方角に特徴的な岩殿山が姿を現します。標高が634mでスカイツリーと同じ高さです。

やまなし地球科学研究所だより 第6号 2017年7月 に書いてあることですが
岩殿山は関東山地と丹沢山地の境目にある複雑な地質です。山頂付近から西側は 海成層 礫岩 ですが東側は 安山岩・玄武岩質安山岩 で全く成因が異なる岩塊で出来ています。

岩殿山の西側の地質はかつて浅海に堆積した砂礫層が600~400万年前にフィリピン海プレートに乗ってやって来た丹沢地塊によって押し上げられた地質で、東側の地質は丹沢地塊の地質という事です。
世界の最高峰が連なるヒマラヤ山脈も岩殿山と同じように元々は海だった所がプレートによって北上したインド大陸がユーラシア大陸に押し上げられ山脈になったとの事です。
ですので、山としての成因はヒマヤラ山脈と同じという事だそうです。

そう思って右の写真を良く見ると岩殿山の右1/3くらいのところで明らかに地質が異なっていると感じます。たった634mの山ですが、そう思って見ると大きな地球の長い時間の営みを感じる雄大な山に見えてきます。
と言っても、私の説明では分かりずらいと思いますので、今度ブラタモリで岩殿山を取り上げてもらえると面白いと思います。



駒橋宿
 


駒橋宿にはJR中央本線の第五甲州街道踏切を渡って入ります。

旧街道とJRの路線が交差する踏切には ”第N 〇〇街道踏切” と表記があります。
いつも思う事ですが、国鉄の時代からだと思いますが、旧街道と交差する踏切に旧街道の名前を付けるというのは、当時の鉄道マンがそれまで交通の中心だった旧街道をオマージュして名前を付けたのかなと感じます。

当時の鉄道マンの意図はさておき、旧街道を歩く者にとっては道標の様でもあり、道が間違っていないと確信が持てるので本当に助かります。

街道沿いの風景
お地蔵様なのかどうかは分かりませんが、世俗を離れた優しい笑顔に癒されます。
今日は12月1日秋も過ぎ初冬と言っても良いような季節です。少し残った柿の実と物見やぐらに田舎町の風情を感じます。


大月宿
 


大月と言えば、富士急ハイランドに行くときに通る町、三遊亭小遊三の出身地と言うくらいの印象でしたが、意外と大きな町です。
江戸時代は宿場町として栄え、おそらく江戸から来る富士講の大勢の人達も大月に宿泊したのではないかと思います。
また、東京都の高尾付近を過ぎたあたりから宿場間の距離がかなり短くなりますが、甲州街道の45宿のうち12宿が現在の大月市内にありました。

旧甲州街道は大月駅前を通っていましたので、大月駅前の道は町の中の裏道を歩いているような感じでした。


下花咲・上花咲宿
 


下花咲・上花咲宿の間は600m程しか離れていません。2宿でひとつの宿場として機能していました。

下花咲 星野本陣
星野本陣 参勤交代の殿様が 『今日は星野リゾートに宿泊じゃ!』 と言うはずもありませんが重厚な建物です。国指定重要文化財に指定されている建物です。
現在の建物は天保6年(1835年)に焼失した後に再建された建物だと言う事です。

街道筋から見える部分は少し大きな農家の様に見えますが、インターネットに載っていた間取りを見たら、畳敷きの部屋が11部屋、畳の枚数を数えたら116畳ありました。

旧甲州街道ツアーの皆さん
上花咲宿を過ぎて、笹子川に架かる源氏橋の手前の自動販売機のベンチで休んでいたら、目の前を30人以上の人達が通り過ぎて行きました。何事か!?と思っていたら、ガイドさんと思しき女性が ”小田急トラベル” と書かれた旗を持っていたので、ツアーで甲州街道を歩いている人達と分かりました。
年齢的には私より歳上の方と思える人も大勢いました、数名マメが出来たようで足を引きずっていましたが、殆どの方達はハツラツとした笑顔で足取りもシッカリ歩いていました。旧街道歩きが、高齢者に人気と再認識しました。



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下初狩・中初狩宿
 


下初狩・中初狩宿は合宿で問屋業務は月の半分づつで分担していました。
街道筋の家並みはこれと言って特徴があるわけではないですが、田舎町の落ち着いた風情が残っていました。
惜しむらくは、下初狩の奥脇本陣跡に”山本周五郎生誕の地”の碑があるのですが見落としてしまいました。



写真左:小林本陣


白野宿
 


笹子川に沿った山間の道を歩きます。建物は建て替わっていますが、そこはかとなく旧街道の雰囲気を感じます。



親鸞上人念仏供養塚
説明板によると
昔、この地の ”よし” という娘が、京から来ていた修行僧に恋をし、相手は修行僧の身で恋が叶う事はなく、嘆き悲しんだ娘は大沼に身を投げて毒蛇になったとの事です。
その後、この地を訪れた親鸞聖人に毒蛇になった娘を成仏させてほしいと懇願し、親鸞聖人は
小石に名号を墨書きして沼に投げ入れると、”よし”は成仏したとの事です。

阿弥陀海道宿
 


不思議な宿場名ですが、阿弥陀堂があったことが地名の由来だとの事です。
”海道”は、今でも東海道と表記しますが、”海道”は”街道”の古い漢字表記で山奥の道で海も無いのに”海道”と書くのはおかしいという事になって”街道”と表記するのが一般的になったらしいです。ここからは推測ですが、阿弥陀海道宿は街道沿いに阿弥陀堂がある宿場ということなのではないかと思います。

写真左:笹子川から笹子峠方面を望む
写真右:笹一醸造


笹子駅前から笹子峠を望む
今回は甲州街道最大の難所笹子峠を前にして一旦終了です。

新型コロナが収束したら再開する予定です。
それにしても、自由にどこにでも行けるという事がこんなにも有難い事だとは思ってもいませんでした。

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エピローグ
 


ようやく下諏訪まであと半分くらいの所までたどり着きました。
今回は小仏峠が台風19号の影響で通行止めでしたので、次回は小仏峠を歩いた後に笹子峠手前から再開する予定です。
それにしても都心からこんなに近くに富士山を望む事が出来る良い旧街道が残っているとは思いもしませんでした。首都圏にお住まいの皆さんも土日を使って遠足気分で歩いてみたら如何でしょうか。


END

2020/07/21 作成
 

Column


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