電子足跡ルート地図: 壬生街道歩き旅 小山市喜沢追分から今市追分へ



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壬生街道 小山市喜沢追分から今市追分まで

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このルート地図は壬生街道を栃木県小山市喜沢追分から壬生宿、楡木宿の日光例幣使街道との追分、そして杉並木を抜け今市の日光街道の追分まで歩いたページです。

壬生街道は日光西街道とも呼ばれ、日光街道を栃木県小山市の喜沢追分で日光街道と分かれ、川港としても栄えた壬生城下を経て、楡木で日光例幣使街道と合流し、宿場としても栄えた鹿沼城下を通り、今市で日光街道と再度合流する街道です。宿場は飯塚、壬生、楡木、奈佐原、鹿沼、文挟、板橋の7宿設けられていました。

東照宮に参拝するには小山宿から今市宿まではほぼ直線的に北上するので日光街道よりも1里ほど距離が短いとされていました。
道は舗装され建物は建て替わっていますが、途中下野国分寺跡を通り、その周辺の古墳群を見ながら歩けたり、一里塚も数多く残っています。これまで歩いた関東平野の旧街道と比べても、古代・近世の遺構が多く点在する少し驚く街道です。そして何よりも壬生街道のクライマックスと思える日光の杉並木の中を歩く区間はほぼ江戸時代です。

また、松尾芭蕉と河合曽良は室の八島(大神神社)を訪れていますので少々寄り道していますが、壬生街道は元禄2年(1689年)に松尾芭蕉と河合曽良が歩いた道でもあります。


注:GPSの測定誤差などで写真の位置が実際の位置とずれている場合があります。
注:歩いた道が必ずしも旧街道のルートを正確にトレースしている訳ではありません。
注:ピンク実線=実際に歩いたGPSログ