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電子足跡:長崎街道歩き旅
小倉城下から黒崎宿を通り木屋瀬宿へ
プロローグ
長崎街道歩き旅の始まりです。1日目は小倉城下の常盤橋から黒崎宿を通り、水運で栄えた木屋瀬宿までの歩きです。北九州市は官営八幡製鉄所で知られる様に明治以後
重工業地帯に変貌したので城下町や宿場町の面影は希薄になっていました。ですが、小学校の時に習った八幡製鉄所の高炉が保存されていて街道筋から遠望した時は教科書に載っていた高炉の写真と目の前の高炉が混然一体となって少なからず感動を覚えました。黒崎宿を越えてすぐの所に400mほど松並木が残っています。長崎街道で初めて出合う旧街道の風景でした。東海道などでも松並木を歩きましたが、松の樹種が異なるのか松が真っすぐに伸びていて開放的な感じがしました。
木屋瀬宿はおよそ900mの区間が北九州市の文化財に指定されていて、宿場らしい景観が続く良い家並みでした。
歩きデータ
都道 府県 |
区間 | 通る宿場等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
福岡 | JR小倉駅-筑豊電鉄木屋瀬駅 | 小倉城下、常盤橋、三条の国境石、官営八幡製鉄所跡地(遠望)、黒崎宿、曲里の松並木、立場茶屋銀杏屋、石坂の急坂、木屋瀬宿 | 2023/10/04 | 24.7㎞ |
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小倉城下
江戸時代は常盤橋を挟んで東側が町人が住むエリア、西側が武士が住むエリアでした。
常盤橋西詰の説明板の地図 クリックすると大きな画像が開きます。
西小倉駅前 清張通り
駅付近が小倉城大門が在った場所でした。
駅から南に延びる大通りは "清張通り" と呼ばれている道路です。
標識を見て、そういえば小倉は松本清張の出身地だったと思い出しました。
と書きましたが改めて調べたら出生地は広島とも書かれていました。どこで生れどこで育ったとしても、松本清張の文学が変わる事は無いのであまり詮索しても仕方ないです。
作品は若い頃に何冊か読みました。印象に残っているのは "砂の器" です。何となく"砂の器の和賀英良"と松本清張の出生地が曖昧で、住む場所も何度かかわったり、貧しい家庭で育ったなど、主人公の和賀英良と清張の少年期の境遇に共通項を感じます。
現在、天守閣が在る小倉場城跡や小倉城庭園だけではなく、江戸時代はもっと広い城域でした。明治以後、重工業地帯として急激に発展したのだと思いますが、城下町だった面影は殆どなく、城門跡地がありましたが遺構は見当たりませんでした。
写真左:到津口門跡
写真右:清水口門跡
小倉城下から黒崎宿へ
国道3号線を渡りましたが、相変わらずビルや家屋が密集しています。ですが何処となく郊外に来たかなという感じがします。九州鉄道茶屋町橋梁跡
歩いていたら唐突に赤煉瓦の構造物が眼に飛び込んできました。かつてここを走っていた鉄道の橋梁跡です。
昭和44年9月に廃線になるまでここを列車が走っていました。
何だろうこれ?
住所は北九州市八幡東区荒生田付近に在ったのですが、説明板もなく、何なのか見当がつきません。
草鞋か草履を履いた膝から下の人の脚の様ですが元々は全身像の上が折れて無くなったのかとも思いましたが折れた様にも見えず、結局何かは分かりません。
荒生田(あらうだ)の一里塚跡
板櫃川を渡って北岸を歩きます。区画整理をして整備したのかスッキリとした街道筋です。
GPSログの距離は常盤橋西詰から約6㎞になっています。ルートを間違えたのか、本来の長崎街道は所々消滅していて新しい道を歩いたのかも知れません。
三条の国境石
荒生田の一里塚跡からすぐの所にあります。
『従是西筑前国』と彫られています。
小倉藩と福岡藩の国境を示す石柱です。説明板によると両藩の国境争いが激しく、多くの国境石が建てられたそうです。多くの国境石が減失したり移設されたなかでこの国境石は当初の場所のまま保存されているそうです。
以前、ブラタモリで紹介されていたのでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
官営八幡製鉄所
高炉台公園小高い丘が公園になっています。名前が示す様に製鉄の高炉を模したモニュメントが設置してあるそうですが、登ってみる気力が湧かなかったので下を素通りしました。この公園の斜め後ろに、小学校の時に習った明治34年(1901)操業の 官営八幡製鉄所 が在りました。
東田第一高炉史跡広場
高架越しに保存されている高炉が見えました。最盛期には10基の高炉が稼働していたそうです。『鉄は国家なり』と云われ、日本の近代化の源になった高炉が見え百数十年の歴史が頭の中を駆け巡りました。
旧百三十銀行八幡支店
大正4年(1923)に建てられた建物です。
設計は東京駅や日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾が主宰する設計事務所だそうです。
100年前に建てられた建物ですが、レトロと云うより "お洒落" な感じがします。
黒崎湊の常夜灯・白石村開作成就の碑
鹿児島本線と国道3号線を渡り道伯山の麓に小さな "田町歴史の径(みち)広場" の中にありました。
常夜燈は元々は洞海湾の入り江に在った黒崎湊に灯台として建立されたものをここに移設したとの事です。
上方との船が行きかう湊で賑わったそうです。
白石村開作成就の碑は貞享4年(1687)から洞海湾の藤田の浜の沖を埋め立てて水田にする事から始まり元文3年(1738)まで51年の歳月をかけて完成したそうです。それにしても51年もの歳月をかけて水田にするというのは日本人の米に対する思いが如何に強いかを物語っています。
この碑も元々はもっと西側に在ったものを移設したそうです。その地は現在は安川電機と三菱化学の敷地の一部になっているそうですが、江戸時代は今とは全く異なる風景が広がっていたのだと思います。
この辺りで、チョットひと休み。
Instagramが開きます。
音楽が流れます。音量注意!
黒崎宿
黒崎宿東構口
"田町歴史の径(みち)広場"からすぐの場所が黒崎宿の東側の入口でした。
これまで、宿場の入口は一般的には"木戸" "見附" 東海道藤川宿では安藤広重 東海道五十三次之内 藤川 棒華ノ図 に描かれている様に "棒鼻(華)" と云うのかと思っていましたが、ここでは "構口" と云っていたようです。
旅籠 櫻屋跡
鹿児島本線の踏切を渡ってすぐの所にありました。薩摩藩の定宿となり、幕末には薩摩藩、長州藩、土佐藩など勤王の志士が多く投宿したそうです。
また、政変で京を追われた三条実美などの攘夷派も支援下との事で線路脇の敷地には実美の歌碑が在りました。
九重の春にもれたるうくいすは
世のことを のみなきこそなけ
実美
黒崎宿西構口跡
現在の黒崎駅から南に延びるメインストリートの手前にありました。かつての黒崎宿は現在の市街地の東側が中心地だったようです。
曲里の松並木
黒崎市街の中心を少し越えると400mほど松並木が続いています。
松並木を見ると旧街道を歩いていると実感できます。ただ江戸時代から残っている松は2本だけになったそうです。
そのうちの1本がこちらの松です。
黒崎宿から木屋瀬宿へ
松並木を過ぎてほぼ国道211号線に沿って南下します。写真は八幡西区付近ですが、この辺りまで来ると、これまでずっと続いていた家並みも途切れる様になりました。立場茶屋 銀杏屋
坂を少し登った峠の付近に在ります。住所は、地形そのままの地名で八幡西区石坂1丁目です。
立場は宿場と宿場の間にあり、旅人や人足・駕籠かきが休んだ場所です。
おそらくなのですが、現在でも登山をやる方達が休む時に 『一本立てる』という事がありますが、昔は歩いている途中で休む事を『一本立てる』と云っていたのがそのまま休む場所を "立場" になったのかなと想像します。
この銀杏屋は武士が休む為の施設で屋内には上段間が在りました。
それにしても太い柱と梁です。天井も高く、室内はそよ風が吹き抜けで、屋外の暑さが嘘の様に涼しかったです。
銀杏屋を後にすると今度は下り坂です。Google Mapには "石坂の急坂" と表記されています。
銀杏屋にいらした係りの女性が話して下さったのですが、今は舗装されているけど江戸時代は石がゴロゴロ転がる急坂で、象が長崎街道を通ったときは象を鞭で叩いて歩かせたそうです。
その女性が云うには、『将軍に献上する象を鞭で叩いて良いのかしら?』とおっしゃっていました。
象のエピソードと相まって、僅かな区間でしたが良い道でした。
少し驚くのですが、銀杏屋が在るこの小高い丘の下を山陽新幹線が通っています。
木屋瀬(こやのせ)宿
宿場らしい景観の家並みが見えてきました。木屋瀬宿付近は長崎街道と遠賀川が出合う場所で、水運と陸運で栄えた宿場でした。
下の写真のあかり民芸館付近が木屋瀬宿の東構口でした。
ここから西構口までの約900mは北九州市の文化財に指定されています。
写真左:江戸あかり民芸館
写真右:あかり民芸館前の民家
写真左:問屋場跡付近
写真右:みちの郷土資料館
今日はみちの郷土資料館前まで歩いて行動終了です。
エピローグ
私は車中泊で街道歩きをするので、車の駐車場を探すのに苦労する事があります。大きな町ですと多くの場合駅周辺にコインパーキングがあるので良いのですが、小さな町ですと駅周辺や街中に駐車場が無い事があります。木屋瀬駅周辺で駐車場が無くでどうするか考えながら木屋瀬の町を運転していました。遠賀川の土手を走っていたら、みちの郷土資料館の裏手に駐車場がありましたがコインパーキングではなく普通の駐車場になっていました。
駐車場だとしても無断で駐車する事は出来ないので、みちの郷土資料館の受付に行って事情を話したら、快く駐車の許可を頂く事が出来ましたので朝から駐車させて頂きました。担当の女性の方に親切に対応して頂いて本当に有難かったです。
END
2024年5月17日 作成
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