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電子足跡:長崎街道歩き旅
  塚崎宿(武雄温泉)から彼杵(そのぎ)宿へ
  俵坂峠を越えて長崎県大村湾へ

プロローグ

このページは長崎街道を塚崎宿(武雄温泉)から俵坂峠を越えて大村湾沿いの彼杵宿まで歩いたページです。
武雄温泉には東京駅や日本銀行を手掛けた辰野金吾が設計した大正ロマン溢れる楼門や武雄温泉新館があります。
俵坂峠はかつては佐賀藩と大村藩の国境で現在は佐賀県と長崎県の県境です。いよいよ長崎県に入ります。下記の様にこれまで鉄道路線が無かった事が、この地域の経済的発展を阻んできたのだと思いますが、その分旧長崎街道はそのままの雰囲気を残したまま現在に至っていると思える道でした。

この区間は現在は西九州新幹線が通っていて、途中に長崎街道の宿場であった場所に嬉野温泉駅があります。ですが在来線は武雄温泉駅からゴールの彼杵駅までの間は鉄道路線が通っていません。想像ですが、明治期に長崎までの路線を計画するときに山間の地形的に厳しい長崎街道沿いに鉄道を敷設するのは難しかったのではないかと思います。その鉄道の敷設が難しかった区間を歩きます。

歩きデータ
都道
府県
区間 通る宿場等 歩いた日 GPS
移動距離
佐賀 佐世保線・西九州新幹線武雄温泉駅-大村線彼杵駅 塚崎宿(武雄温泉)、嬉野宿(嬉野温泉)、俵坂番所跡、俵坂峠、彼杵宿、そのぎ茶畑 2023/11/01 28.6㎞



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塚崎宿(武雄温泉)

塚崎宿は佐賀県の西側、長崎県との県境に近い現在の佐賀県武雄温泉に在った宿場です。現在は西九州新幹線のターミナル駅の武雄温泉駅が在る温泉地です。


楼門武雄温泉新館
東京駅や日本銀行本店などの設計者として知られ、唐津出身の 辰野金吾 の設計で大正4年(1915)に竣工した建物です。
辰野金吾と聞くとレンガ造りの重厚な建築を思い起こしますが、この建物は現存する中で数少ない木造建築です。本陣はこれらの建物が建っている付近にあったようです。




温泉街
楼門の前の長崎街道は昭和感溢れる温泉街でした。

写真左:代官所跡  ホテル春慶屋
写真右:脇本陣跡  湯本荘 東洋館




蓬莱山
山頂の奇岩が特徴的です


飯塚宿から嬉野宿へ

飯塚宿の外れ付近の推定したルートを進んでいたら、佐世保線を敷設したときに長崎街道は分断された様で歩けませんでした。踏切以外に線路内に入る事は出来ませんので戻って踏切を渡って迂回しました。


御船山
国道35号線から見えた御船山


国道35線を横切り武雄川を渡るといよいよ山間の道になります。
おそらくかつては谷筋の道だったのだと思いますが、現在は渕尾ダムが出来ていて旧長崎街道は消滅しています。
ダム湖の縁を歩いて進みます。

ダム湖を過ぎて低い峠を越えると、懐かしい感じの里山の風景のなかを歩きます。と云っても直ぐそばには西九州新幹線が通っています。






所々に茶畑が広がる道の中を歩きます。




嬉野宿
 

嬉野宿は現在でも温泉地ですが往時も湯宿とも云われ、宿場の中程に藩営の浴場がありました。大名から一般庶民が利用していましたが、浴場は身分に応じて細かく区分されていました。入浴料は安く多くの人達が入浴できました。
なんと表現したら良いのか分かりませんが、街道筋の家並みがレトロというのか複数の時代が混在しているとい言うべきか不思議な感じがする街並みでした。




番号石
別名を "国境石" とも言われています。佐賀本藩と蓮池支藩の境界上に置かれた石です。写真では分かり難いですが漢数字が書かれており、佐賀本藩と蓮池支藩の境界線上約40㎞に約2000個の番号石が置かれていたそうです。明治になり廃藩置県で本藩と支藩の境界そのものが意味がなくなると、邪魔なので移設したり石垣に使われたりされたそうです。

シーボルトの湯
写真を写さなかったのが悔やまれるのですが、嬉野市街の長崎街道から少し塩田川の方に行った川のほとりにゴシック風の建物の日帰り温泉があります。泉質は癖が無く、料金もリーズナブルです。建物の前は駐車場になっていて最初の90分は無料です。旅の途中に訪れると良いと思います。

嬉野宿から彼杵宿へ

嬉野宿を過ぎると長崎街道は新しい国道34号線と着かず離れず残っています。彼杵宿までは大きな町は無く、山間の道を俵坂峠に向かって歩きます。

トトロの顔?
山の木がトトロの顔になって、集落を見下ろしている様に見えました。

立岩谷大水害之碑
前ページの "久保田宿から西九州新幹線武雄駅へ" にも書きましたが。元々長崎街道は東よりの 小田宿-鳴瀬宿-塩田宿‐嬉野宿 を通っていましたが、"塩田川" の度重なる氾濫で宝永2年(1705)に 小田宿-北方宿-塚崎宿(武雄)-嬉野宿 と私が歩いた道筋に切り替えられました。
この碑が在る場所は "塩田川" のほとりです。平成10年に建立したと刻んでありましたので江戸期のみならず、むしろ温暖化の影響が出ている現代も大水害が発生するのだと思います。


上り坂を振り返って見えた嬉野温泉遠望


地理院地図には "柱松" と表記がある付近の風景。
地図には "茶畑" の記号 ∴ が無数に描かれています。
この付近で栽培されるお茶は "うれしの茶" と云うブランドで販売されているそうです。


俵坂
坂道のなかに茶畑が続いています。
現在は国道34号線が長崎街道とは別に通っていますが、かつては左の写真でもお分かりのように、3方向から山が迫る一本道でした。写真の奥の山が佐賀藩と大村藩の国境で、現在でも佐賀県と長崎県の県境の俵坂峠です。

俵坂番所跡
上記の様に地形的に佐賀藩と大村藩の藩境の要所だったのでここに番所が置かれていました。特にキリシタンの取り締まりが厳しく、侍1名、足軽9名が監視にあたっていました。
旧東海道や中山道の関所では『入鉄砲に出女』を厳しく監視した訳ですが、ここでは地政学的にキリシタンの出入りに目を光らせたという事です。


俵坂峠  佐賀藩:大村藩国境=佐賀県:長崎県県境


ここから長崎県を歩きます。
峠を少し下ると "しもだ" というお店が在ります。その付近から国道34号線に斜めに接続している旧長崎街道がありますのでそちらを歩きます。


山の斜面に石垣を築き家を建て、お茶を栽培して生計を立てています。
15世紀に西九州に『釜炒り茶』の製法が伝えられてから栽培が盛んになり、元禄年間に大村藩が栽培を推奨したことから栽培が拡大しました。
そのお茶は "そのぎ茶" として知られていて、幕末 長崎の女性貿易商の 大浦慶 がイギリス、アラビア、アメリカに日本茶を輸出し日本茶輸出の先駆けとなったそうです。


この付近の景観は『長崎県のだんだん畑十選』に認定されています。
個人的には だんだん畑 の景観が美しいと感じるのは、そこに、その地を開墾しそこで生計を建てている人達の努力と苦労を感じるからではないかと思います。
私の写真ではその美しい景観が伝わらないと思いますのでリンクをクリックしてください。そのぎ茶振興協議会のホームページが開きます。



大楠跡及び大楠(東彼杵町指定史跡)
写真のクスノキは二代目ですが、かつてここに大楠があり、シーボルトはその木を測り周囲16.88m、直径5.347m、中は空洞で面積14.577平方m 8畳敷きの広さと記録しています。

左の写真はシーボルトが描いた1代目の楠の絵です。
1代目のクスノキは明治20年代の後半に樟脳の原料にする為に伐採されてしまいました。その跡に苗を植えたところ現在の楠になったそうです。近所の方達の信仰の対象になっているようで碑が建てられて、花が添えられお婆さんがお祈りしていました。
(シーボルトが描いた楠の絵は説明板に掲載されていたものを使わせて頂きました)

長崎自動車道
長崎自動車道が見えてきました。ここまで来ると山間部の道は終わり平坦な道になります。

飯盛岳
長崎自動車道の奥の方に特徴的な山容の山が見えました。飯盛岳362mです。
メサ(mesa 卓状地形)と云われている地形です。
おそらく一番知られているメサは、西部劇などで騎兵隊とインディアンが馬に乗って駆け抜けるシーンの背景に見えるモニュメント・バレーではないかと思います。
日本では中山道を歩いたときに群馬の安中付近から見えた荒船山、金比羅山で有名な香川の琴平山、源平合戦の屋島の戦いで知られる香川県屋島などが知られています。

陽も西に傾き、光る大村湾が見えてきました。もう少しで彼杵宿です。


彼杵宿
 

彼杵宿は大村湾に面した彼杵港に在った宿場です。
この地は古来からの貿易港 平戸と長崎の中間地点に在り、且つこれまで歩いてきた佐賀・福岡、しいては京都・江戸へと通じる交差点の様な位置にあります。また、江戸時代初期から明治にかけて、捕鯨の中継地、鯨肉取引の中心地として栄えていました。

写真右の交差点を右に曲がると平戸へ、左に曲がると長崎に行きます。


彼杵港の夕暮れ


大村湾の日の入り






エピローグ

 

俵坂峠を越えて佐賀県から長崎県に入りました。
この区間は武雄温泉や嬉野温泉がありますが、それ以外にこれと云って名所や史跡がある訳ではありませんが、旧長崎街道沿いの風景が往時のままではないかと思わせる良い道でした。
派手さや目を見張るような絶景はなくても、そこにある空気感が悠久の "とき" を感じさせてくれて、坂本龍馬も勝海舟も河合継之助(長岡藩家老)もシーボルトも、この風景を観ながら歩いたと思わせてくれました。


END
2024年09月09日 作成

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