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電子足跡:中山道歩き旅
 日本橋から大宮宿へ


プロローグ

いよいよ中山道歩き旅の始まりです。
前日車で移動して郊外に車を置いて日本橋に向かいます。何時もの事ですが電車で移動すればすぐに着く距離をわざわざ歩いて,早く着くも遅く着くも自分次第の何者にも拘束されず時間をタップリ使った旅はなんと優雅で贅沢なんだろうと思います。

ルート
日本橋-JR巣鴨駅-板橋宿-蕨宿-浦和宿-大宮宿‐JR大宮駅

服装
11月ですがそれ程寒くもないので
化繊の速乾性シャツ,ウールの山シャツ,マウンテンパーカー という出で立ちでした。マウンテンパーカーは昼の日差しが強い時は脱いでいました。
ダークスーツのビジネスマンが行きかう街をマウンテンパーカーを着てリュックを背負って歩く姿はかなり浮いています。サングラスをかけて照れ隠しをしながら歩きました。


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区間
歩いた日 GPS移動距離 天候 備考
日本橋‐JR巣鴨駅
2017/11/10 7.5㎞ 晴れ
JR巣鴨駅‐JR大宮駅
2017/11/11 24.6㎞ 晴れ



↑GPSログに写真がマッピングされた地図が開きます
GPSログを GoogleEarthでツアーする方法

カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)



↑ 再生ボタン ▶ をクリックすると、
街道筋を空撮した様な動画がみれます。
*上のの GPS Log をGoogleEarthProでツアーして動画化した映像です。


日本橋

旅の始まりは日本橋です。2014年2月に歩き始めた日光街道歩き旅以来の再訪です。
重厚な日本橋の上を走る首都高速ですが,景観を損なっているのは多くの人が認めるところだと思いますが,歩き旅で首都高の下をくぐって日本橋を渡るとき非日常の旅へのトンネルをくぐっている様な感覚になります。

日本橋


中山道の入口に門の様に建つ日本橋三越本店


神田周辺

神田界隈は都心に在りながら,そこはかとなく江戸を感じる事ができる場所です。

JR中央線のガード下


中山道の道筋からは少し離れますが,都会のビルの谷間に取り残されたように 趣きのある店舗があります。

神田藪そば
神田藪そばは,言わずと知れた明治初期から営業する蕎麦屋さんです。新緑のようなさわやかな色の蕎麦と,注文を板場に伝えるときの 「せいろう~,いちまい~。」 という間延びした声が店内に響き古き良き時代を感じさせます。

甘味処 竹むら
竹むらは昭和5年(1930年)に創業した甘味処です。戦火を逃れたので入り母屋造りの建物がそのまま残っています。しっとりと落ち着いた店内で頂くお汁粉は格別です。

神田明神


奇跡の小路
神田明神の鳥居の隣にある,下の写真の天野屋の左側の道が中山道です。100mにも満たないコの字形の小路ですが中山道の道筋を残しています。よく残ったなと驚きます。
天野屋は1846年(弘化3年)に創業した甘酒や芝崎納豆を商うお店です。

写真左:明神甘酒 天野屋
写真右:天野屋の塀に掲げられている道標


本郷


”本郷も かねやすまでは江戸のうち”

春日通りの都営大江戸線 の本郷三丁目駅がある交差点はかつて 「本郷も かねやすまでは江戸のうち」と川柳に謡われ江戸の境とされていました。”かねやす”とは今も本郷三丁目に在る雑貨店の事ですが,1730年(享保15年)に大火があり,町奉行 大岡越前守は春日通りの南側は耐火の為に土蔵造りや塗屋にすることを命じ,一方 北側は従来どうりの茅葺や板葺きの町家のままだった為 ”かねやす”を挟んで景観が変わったため洒落好きの江戸っ子がそのように詠んだとの事です。”かねやす”を過ぎると直ぐに東京大学です。

写真左:東京大学赤門
写真右:安田講堂に続くイチョウ並木


巣鴨付近


ゴロ―  オーダーメイドの靴屋さん
日本橋から歩いてきてJR巣鴨駅の手前500m程の所にあるオーダーメイドの登山靴・ワークブーツなどを専門とする靴屋さん。私も2足作って頂きました。

植村直己さんが極地探検した時に履いた靴を製造したことで有名です。

巣鴨 とげぬき地蔵
中山道はとげぬき地蔵の通称で知られる曹洞宗満頂山高岩寺の前通っています。
とげぬき地蔵の通称の延命地蔵菩薩は秘仏なので公開はされていませんが,洗い観音の前は大勢の人が列をなしてお参りしています。朝早いので人通りは少ないですが,通常は毎日がお祭りのような賑わいです。

写真左:朝の地蔵通り商店街
写真右:高岩寺 洗い観音(聖観音)


板橋宿

板橋は中山道最初の宿場です。板橋宿は平尾宿・中宿・上宿で構成され五街道細見(岸井良衛 青蛙房)によれば町の長さは15丁(約1635m) 家屋数403軒との事です。
現在は街道沿いに多くの商店が並び少々雑然としていますが雑然さが活気を感じます。



板橋の地名の由来になった 石神井川に架かる板橋 です。
宿場は歓楽街としても発展しました。旅立つ人や,帰って来た人を,宿場まで見送りや出迎えをする事が一般的で,ついでに歓楽街で遊んでから帰るというのが普通だったようです。

「板ばしと 聞いてむかいは二人へり」という川柳は,歓楽街としては品川が一番で次が内藤新宿,千住,板橋は最後の四番目でした。
出迎えより歓楽街で遊ぶ事を主目的にしていた江戸っ子の本音を感じる川柳です。

志村付近


齋藤商店
板橋から2.5㎞程の所に1933年(昭和8年)に建てられた入り母屋造の齋藤商店と志村一里塚が隣り合っています。齋藤商店は昭和8年の中山道の拡幅工事の時に新築されたとの事です。



志村一里塚

日本橋から3番目の一里塚です。国道17号線の両側に一対の塚が残り立派な一里塚です。旧街道の道幅にしては対がかなり離れているので拡幅工事に伴って移動したのかと思いましたが,拡幅工事の時に土砂の流失を防ぐ為に周囲に石積をして保存したとの事ですが2基とも元の位置にあるとの事です。

清水坂

志村一里塚を過ぎて100m程行くと国道17号線と斜めに接続している路地が旧中山道です。
日本橋を発って最初の難所と言われた清水坂です。現代は「ここが難所?」と思う程度の坂です。隅田川・荒川が作った河岸段丘を20mほど下ります。

荒川付近


舟渡の板碑
隅田川(新河岸川)を渡ってすぐの住宅街の中の一坪ほどの場所に舟渡の板碑があります。
板碑とは石製の卒塔婆ですが,作られた年代が文明年間(1469~1486年),明応年間(1492~1501年)大永年間(1521~27年)と古く徳川家康が江戸に入府する以前からこの地で人々の生活が営まれていた事が分かります。

戸田の渡し
東京と埼玉県との県境の荒川を渡る渡し場です。
五街道細見(岸井良衛 青蛙房)には「出水の時は土手を廻りて川口へ廻るべし。」,「・・・。この時は江戸に入るには,岩淵,千住へ廻るなり。」と記載されています。増水の時はより流れが穏やかな下流を渡った事が伺われます。川口・岩淵までは直線距離で3~4km,千住までは12㎞の遠回りになります。

木曽街道 蕨之駅 戸田川渡  (案内板の画像を使わせて頂きました)


河川敷が広がり 昔は船で渡ったとは思えないです。
左の高架は新幹線です。


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蕨宿

蕨宿は旧中山道を国道17号線が通らなかった事と鉄道の駅からも少し離れている為か所々古い家屋が残っていいます。
また”中山道まちづくり協議会”の方達が”中仙道蕨宿まちなみ協定”を自主的に定め,蕨市は基準に合った建物などに助成するなど住民と自治体が一体となって景観の維持向上をはかっているとの事です。

旧中山道の街並み




大宮宿

大宮に近ずくと街路樹が印象的な道になります。ふと思い返すとこれまで街路樹らしい街路樹が無かった事に気付きます。
大宮宿は2400年以上の歴史をもつ武蔵国一宮である氷川神社の門前町として発展した宿です。
元々中山道は氷川神社の参道を通っていましたが,参道を生活道路として通行するのは不敬であるとして1628年(寛永5年)に道が付け替えられました。本殿は下の写真 一の鳥居から2㎞程北にあります。

写真左:埼玉新都心付近の街路樹
写真右:氷川神社 一の鳥居


市内は残念ながら旧街道の面影はありません。


END

2017/12/09 作成

Column


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