Denshi ashiato since2016
電子足跡:中山道歩き旅
高崎宿から横川へ
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プロローグ
これまで北西方向に進んでいた道筋は高崎宿から西方向に向かいようやく本格的に京都への旅が始まるという感じがしてきます。
西に向かうと関東平野からは離れて碓氷川などが作った河岸段丘や谷底(こくてい)平野を歩きます。道も僅かながら傾斜を増し高崎から横川までで約300m程標高が上がります。また,この区間は鋸の歯のように切り立った明峰妙義山の荒々しい山塊と山並みの向こうに今なお噴煙をたなびかせている浅間山が見えて,これまでと風景が変わります。
板鼻宿では皇女和宮が宿泊した木島本陣書院を見る事ができて幕末の歴史に思いをはせながら歩くことができる良い道です。
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ルート
高崎宿-板鼻宿-安中宿-松井田宿-横川
区間 |
歩いた日 | GPS移動距離 | 天候 | 備考 |
JR高崎駅-JR横川駅 |
2017/11/16 | 29.6㎞ | 晴れ |
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↑GPSログと写真がマッピング された地図が開きます |
GPSログを GoogleEarthで ツアーする方法 |
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↑ 再生ボタン ▶ をクリックすると、街道筋を空撮した様な動画が再生されます。 *上のの GPS Log をGoogleEarthProでツアーして動画化した映像です。 |
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カシミール3D 国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)
高崎宿
高崎は1945年(昭和20年)終戦の年に何回か空襲を受けています。最も被害が大きかった空襲は8月14日から15日の早朝にかけての空襲で現在のJR高崎駅周辺の軍需工場,官公庁や市街地が大きな被害を受けました。
15日正午の玉音放送は火災で建物がくすぶり続けているなかで流れたとの事です。(高崎市ホームページより要約) 車が行きかい,ショーウインドウの華やかなイルミネーションが輝く都会の街からは想像出来ませんが,歩いている道の下に幾多の歴史が埋まっています。
岡醤油醸造事務所と煙突
高崎市本町を西に向かって歩いて行くと,三国街道の追分を過ぎた辺りから烏川に降りて行く坂になります。
坂を下ると天明7年(1897年)創業の岡醤油醸造の建物が在ります。建物は明治30年(1897年)に建てられそのまま使われているとの事です。
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君が代橋からの風景
烏川に架かる君が代橋は明治11年9月に明治天皇 北陸東海行幸の時に当時木橋だった橋を馬車で渡った事を記念して命名されました。
君が代橋を渡るとこれまでの都市の風景から変り,旧中山道沿いの佇まいをみせる街道筋の道に変っていくのを感じます。
写真左:北方面 榛名山の山なみ
写真右:南方面 白衣観音
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下豊岡の道標
君が代橋を渡って500m程進み国道406号線と分かれる三差路に自然石に彫られた道標
があります。数10m離れた八坂神社にも角柱の道標が在ります。右に進むと草津・榛名方面に行くと示しています。草津と聞いて改めてここは群馬だったと思いおこしました。
写真左:三差路の道標
写真右:八坂神社の道標
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上豊岡の茶屋本陣
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日光列幣使や皇女和宮の降嫁の際にはここで休憩したとの事です。
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板鼻宿
板鼻木島本陣書院 和宮宿泊地
中山道を歩くと所々に和宮降嫁の時のエピソードに出会います。例えば板橋宿の”縁切り榎”は和宮降嫁の時には縁切り榎を避けるために迂回路が作られたなど和宮にまつわる話が散見されます。
ここ板鼻本陣書院は 文久元年(1861年)11月10日に皇女和宮が宿泊した建物です。この日,15歳(1846年7月3日生まれ)だった和宮は体調不良を訴え,ここで初潮を迎えたと言われています。
現在で言えば中学生の少女が,自分の意にそぐわず,京都から見れば異国の江戸に,国家安寧を願い嫁ぐ事を受け入れたという事になる訳でその高潔さに驚くばかりです。
和宮様御留
さて ”和宮替え玉説” をベースにした有吉佐和子の小説「和宮様御留」の ”その15 文久元年11月9日・10日”の章では この板鼻木島本陣で和宮の替え玉の少女 フキ が,替え玉を幕府に送るという虚偽に耐え兼ね,「違うのえ。違うのえ。私(あて),宮さんやおへん」と涙ながらに訴える情景が描かれています。その訴えを,虚偽を知りながら虚偽を押し通そうとする女官達の冷徹なやり取りに背筋が寒くなるのを覚えます。
そしてフキは皇女が知るはずもない「コンコンチキチン,コンチキチン。」と祇園囃子を口ずさみながら発狂していきます。
それにしても小説「和宮様御留」は有吉佐和子の創作だと分かっていても,その迫真の描写に,まるで史実であるかのような錯覚を覚えます。
現在の板鼻公民館にあった本陣の建物は取り壊されましたが,和宮が宿泊した書院は同じ敷地内の現在地に移築されました。
保存の為に外部は板張りにしたとの事ですが,板張りの壁や書院だけがポツンと建っている外観は,和宮降嫁の歴史を知っている事もありますが,華やかな降嫁の行列とは裏腹に,和宮の生涯を象徴する牢獄の様な建物と思うのは私だけでしょうか。
どんな高貴な方でも人の感情はそれ程変わらないと思いますが,時勢に翻弄され,たった4年の結婚生活,31歳という若さで亡くなった和宮の生涯を思うと和宮の哀れさ・儚さを思います。
ただ14代将軍徳川家茂と夫婦仲が良かったと言われている事は救いのように思います。
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双体道祖神
板鼻宿では双体道祖神を見る事ができます。道祖神は路傍や三差路,村の境界などに建てられる石碑や石像で村の守り神としての性格や子孫繁栄・旅の安全などを願う民間信仰の石仏です。
他の地方でも道祖神を見る事ができますが,夫婦をモチーフにした双体道祖神は信州を中心に周辺の地方に多いとの事です。素朴な図柄が旧街道を旅しているという感じにさせてくれます。
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鷹之巣橋からの風景
板鼻宿も西の外れの碓氷川と九十九川の合流点付近は昔は舟渡でした。現在は鷹之巣橋が架けられています。GoogleMapには”上毛三山パノラマ街道”と表記があるように開放的で眺望が良い道になります。
鷹之巣橋からは視界を遮るものが無いのでこれまで家並の間に見え隠れしていた妙義山が全容を表します。
妙義山
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600万年前の火山活動の噴出物が風雨で削られて現在の様な山容になったとの事です。
荒船山
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山並みを進む船の様に見える事から荒船山と言われています。
この地域では950万年前と700万年前に大規模な火山活動がありました。600万年前には火山活動もおさまり火山活動は北側の妙義山の方に移って行きました。
火山活動が終わり噴出物が出なくなると山肌は削られて,たいらに流れた溶岩が固まった安山岩質の岩石が残った為にテーブル状のメサ(mesa 卓上台地)と言われる地形になります。
碓氷川北側の露頭
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榛名山からここまで直線距離で16㎞ほどありますが,16㎞も離れていてもこの厚さの地層を形成する火砕流の規模は想像することすら難しいです。
安中宿
安中宿は碓氷川と九十九川に挟まれた河岸段丘の上に発展した宿場です。安中藩の城下町ですが,宿場としては長さ三丁四十間(約400m),家屋数64軒と小さい方でした。
東邦亜鉛(株)安中精練所
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安中市内の街道筋
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新島襄旧宅
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新島襄は良く知られているように同志社大学の設立者です。
説明員の方が仰るには,新島襄は安中藩の江戸詰め下級武士の長男として生まれたので安中のこの地で育った訳ではなかったとの事です。
明治になり10年間のアメリカでの苦学から帰国してこの地で父母姉妹とこの家で再会したとの事でした。
安中原市杉並木
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日光の杉並木と異なるのは杉並木沿いに民家や商店が並び現代と江戸時代が融合していて,生活感を感じながら歩く事ができます。
安政遠足(とおあし)
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現在でも毎年5月第2日曜日に市民参加のマラソン大会として開催されています。次のページの”碓氷峠越え”をご覧頂くと分かりますがマラソンというよりトレランに近いのではないかと思います。
写真は杉並木の途中にある貯水タンクに描かれている安政遠足の風景です。
松井田宿
松井田宿まで来ると妙義山,浅間山がぐっと近づいて来ます。街道筋も狭い谷底(こくてい)平野の中を通り,山並みが両側に迫ってきます。
写真左:街道筋から見える妙義山 (中央のピークは白雲山)
写真右:松井田宿から碓氷峠越しに見える浅間山
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写真左:琵琶ノ久保付近の石仏・石塔群
写真右:石仏・石塔群付近から見た妙義山
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JR横川駅
今日も写真を撮りながら歩いたので到着は日没後になりました。横川駅前には ”峠の釜めし” で有名な荻野屋があります。
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横川は次の ”横川から軽井沢宿 旧碓氷峠越え”のページ でも記載します。NEXTボタンを押して次のページへどうぞ。
ふろく
”道の駅 みょうぎ” から見える妙義山
![](image/IMG_7329c.jpg)
END
2018/01/19 作成
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