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電子足跡:中山道歩き旅
 下諏訪宿から贄川宿へ 塩尻峠越え


プロローグ

中山道最大の難所和田峠を越えて気持ちも軽くなり,JR下諏訪駅からスタートです。
言うまでもない事ですが近代になって諏訪湖周辺は養蚕・製糸業が発展しその生糸は海外に輸出され近代日本の経済的基盤の確立に大きく貢献します。製糸業が衰退した後は精密機械工業が発達した地です。

塩尻峠を越えて奈良井川が形成した段丘層を歩いて行くと洗馬宿付近から木曽山脈の西側木曽谷の入口になります。風景はこれまでと異なり深いV字谷が続きます。風景の変化からもいよいよ木曽路が始まると感じます。


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ルート
区間 ルート 歩いた日 GPS移動距離
下諏訪宿~贄川宿 下訪宿-塩尻峠-塩尻宿-洗馬宿-本山宿-(是より南 木曽路)-贄川宿 2018年6月17日 28.6㎞

 
GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法
  GPSログと写真がマッピングされたルート地図が開きます


カシミール3D 国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


下諏訪宿

下諏訪宿は宿場であると同時に諏訪大社下社秋宮・春宮の門前町でもあります。また旧中山道の宿場では唯一の温泉地でもありました。 ”岐蘇路安見絵図” の下諏訪宿のところには ”温泉あり 旅人も入湯す” と書いてあります。現在でも街道筋に温泉施設が幾つも並んでいます。

JR下諏訪駅を降りて旧中山道を西に向かいます。旧下諏訪宿周辺以外は昔の面影は無く,ほどなく岡谷市に入ります。
酒屋さんの交差点に 古びた道標があります。
 右中仙道  左いなミち
と書かれています。
この道を左に行けば伊那谷を進み,中山道とはちょうどついたての様に木曽山脈(中央アルプス)を挟んで並行した道が続いています。

今井茶屋本陣跡付近
岡谷市街市街を歩き塩尻峠の山並みが近づくと家並も途絶えがちになります。
道の傾斜がきつくなる手前に今井番所跡と今井茶屋本陣跡があります。
中山道道標を過ぎると塩尻峠への登り坂が急になります。

写真左:横河川付近から望む中山道
写真右:今井番所跡


写真左:今井茶屋本陣跡 皇女和宮,明治天皇が休息した茶屋本陣
写真右:中山道道標 右 しもすは  左 しほじり峠 と刻まれています


塩尻峠

塩尻峠の登りは標高差200m程度なので峠を越えるのはそれ程困難ではありません。
坂道を登って行く毎に諏訪湖が良く見える様になり,疲れを癒してくれます。
遠く富士山が望めるらしいのですがこの日は雲に阻まれて見えませんでした。

写真左:中腹から諏訪湖/八ヶ岳を望む
写真右:塩尻峠にある塩嶺御野立公園 明治天皇御巡幸を記念した碑が立てられています


塩嶺御野立公園展望台から見る 諏訪湖
突然ですが
昔 ”あゝ 野麦峠” と言う映画を見たとき,飛騨から岡谷の製糸工場に向かう主演の 大竹しのぶ が諏訪湖をみて 「海が見える!」と叫ぶシーンがあった事を思い出しました。飛騨の山奥で育ち,女工として飛騨を初めて離れる娘には諏訪湖が海の様に思えたのでしょう。
そのセリフひとつで女工達の生い立ちに思い至る事が出来るセリフでした。
歩いていると記憶の奥底にある昔の事を突然思い出す事があります。

古い映画の話ですと記憶に無い方達が多いと思います。最近の映画では新海誠監督の大ヒットアニメ ”君の名は” の舞台になる ”糸守町” は諏訪がモデルではないか?と噂になりました。確かに塩尻峠から見る諏訪湖はアニメの映像によく似ています。でも私は ”君の名は” と聞くと ”真知子巻き” の方を思い出す世代です。

本題に戻ります。塩尻峠から見る諏訪湖は私も女工達も皇女和宮も明治天皇も,時を越えて同じ場所から同じ風景を見たと思うと感慨深いものがあります。

穂高岳遠望
展望台で振り返り西側を見ると,高圧電線が邪魔をしますが,
塩尻市・松本市の向こうに穂高岳をはじめ北アルプス連山が望める眺望が開けています。

塩尻宿

塩尻宿はJR塩尻駅からは少し離れた所にあります。国道153号線沿いに宿場があった為か宿場の面影は薄れています。

写真左:塩尻宿本陣跡
写真右:旅籠いてうや(銀杏屋 重要文化財)


塩尻郊外の風景


塩尻宿を離れて昭和電工の工場を過ぎると葡萄畑の中の道を進みます。


平出一里塚
道の両側に一対の塚が綺麗に残っています。
そばに平出遺跡と言われる縄文時代から平安時代にかけての大集落の遺跡との事ですが先を急いでいる為に立ち寄りませんでした。


第1中仙道踏切
中山道がJR中央本線を横切る最初の踏切です。
看板をよく見るとJR東海になっています。
JR東日本の東京駅から歩き始めてJR東海のエリアに入ったのかと思うと随分と歩いたものだと思います。

洗馬(せば)宿

洗馬宿は善光寺西街道の追分に発展した宿場です。現在の町中は昔の面影はあまりありません。
”岐蘇路安見絵図”には「・・・大田の清水にて木曽義仲の馬を洗ひし所ゆへ洗馬という」 と地名の由来が書かれています。

写真左:サークル状に配置された石仏・石碑群
  道路工事か何かのとき集められたものと思われますが,会議をしている様にみえます。
写真右:善光寺道のわかされ(=追分)
 元々は約50m程離れた桝形にあったものを新道が開通した時にこの場所に移されたとの事です。


本山宿


”岐蘇路安見絵図” に本山宿は 「・・・。木曽の本谷にはあらず」 と書かれています。

塩尻宿から中山道を南下して,中山道は山間を通るようになります。
山に挟まれてはいますが,南側の空が開けている為か山間の道を進んでいるという感じがしません。
このまま濃尾平野に出るのではないかと錯覚してしまいそうです。

”木曽の本谷にはあらず”と書かれている様に木曽谷はもう少し先です。

本山宿は写真の様に,観光用に残しているという訳ではないようですが,普通に現代の生活をしている中に往時の雰囲気が残る家があります。


是より南 木曽路


木曽路と言う場合はここ桜沢(境川)が北側の始まりでした。南側は馬籠宿を越えた新茶屋(岐阜県中津川市)が始まりです。その間22里(約88㎞)の道のりです。またこの地は松本藩と尾張藩の藩境でもありました。

有名な島崎藤村 夜明け前 ”木曾路はすべて山の中である。” はここから南側の中山道の事を指します。


境ばしよりさくら沢迄がけ道ゆへ馬に乗べからず
これは”岐蘇路安見絵図”に書かれていることです。
旧中山道は ”是より南 木曽路の碑”と道路を挟んで反対側の崖にある犬走りの様な道を登って進みます。
馬に乗ることが危険と言うだけあってほぼ垂直な崖を横切る細い道が続いています。

急峻な崖に続く細い道と言うだけではなく,防護フェンスが敷設されていますが落石の危険もあります。通行は充分注意してください。

写真左:木曽路への登り道 国道19号線東側斜面に道がつけられています
写真右:京側の登り口


写真左:崖に続く木曽路 写真右側の白い部分は国道19号線
写真右:石仏石塔群 写真左側の細い道が木曽路


崖の木曽路が終わり国道19号線に戻ると桜沢集落があります。
現在は国道19号線が通っていますが,当時は急峻な崖と奈良井川に挟まれたわずかばかりの平地でどう生活の糧を得ていたのか想像する事が難しいです。

写真左:桜沢集落
写真右:桜沢茶屋本陣跡


桜沢集落を越え片平橋を渡って奈良井川の西側を歩きます。贄川宿までは国道19号線と西側に残る旧街道を片平-若神子-中畑-下遠の小さな集落を通って贄川宿に向かいます。

写真左から JR中央本線,国道19号線,旧中山道


下遠付近


贄川宿

本来の旧中山道
”信州木曽路 中山道を歩く”(木曽観光連盟編) によると下遠から南 贄川関所までの道は奈良井川とJR中央本線の間に挟まれた所を通っていたとの事です。現在は消滅したり危険な場所もある為に通行できないと記載されています。

注:”信州木曽路 中山道を歩く”(木曽観光連盟編)は地元の観光案内所などで無料で配布しています。

贄川宿遠景
写真左下はJR贄川駅です。贄川宿は駅から数100m南に行った所が宿場の中心地です。

遠景で見ると,山に挟まれた狭い土地に宿場があり,木曽路はその間を縫う様に続いている事が良くわかります

贄川駅の駐車場に停めておいた車まで行って今日の歩きは終わりです。



END

2018/07/31 作成

Column


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