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電子足跡:中山道歩き旅
 鳥居本宿から武佐宿へ


プロローグ


歩いた日       :2017年5月11日
天気           :晴れ
ルート         :滋賀県鳥居本宿→高宮宿→愛知川宿→武佐宿
GPSでの移動距離:28.6km

これまで北国街道を歩いてきました。ここからは中山道を歩いて京都三条大橋を目指します。路傍の道標も北国街道から中山道に変っています。今日は鳥居本宿から武佐宿までの行程です。

車を近江鉄道八日市線武佐駅に駐車しようと思いましたが駅周辺に駐車場が見当たらなかったのでやむなく隣の近江八幡駅に置きJR東海道線と近江鉄道を乗り継いで鳥居本駅に行きスタートです。
注:インターネットで武佐駅周辺の駐車場を探しましたが見つかりませんでした。また近江鉄道に電話して武佐駅に駐車場が在るか聞きましたが近江鉄道が管理している駅周辺の駐車場は無いとの事でした。


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↑GPSログと写真がマッピングされた地図が開きます


↑GPSログを GoogleEarthでツアーする方法

カシミール3D 国土地理院
(カシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画しそのイメージデータを加工したものです。

↑ 再生ボタン  をクリックすると、街道筋を
空撮した様な動画が再生されます。
*上のの GPS Log をGoogleEarthProでツアーして動画化した映像です。


鳥居本宿

近江越道鳥居本駅からスタートです。
鳥居本宿は街道沿いに所々袖壁がある民家が残る町です。鳥居本宿交流館 "さんあか" は小さな無人の休憩所兼展示館ですが鳥居本宿のイラストマップが置いてあったり昔の様子が分かる資料が展示してあります。



合羽製造販売
鳥居本宿は渋紙製の合羽の製造販売が盛んで,これから雨の多い中山道を旅する旅人が合羽を買い求めたとの事です。
松尾芭蕉 おくのほそ道 草加の宿の記述に ”紙子一衣は夜の防ぎ,浴衣・雨具・墨・筆のたぐい・・・”とありますがこの”紙子”とか”雨具”というのが下の写真のような和紙に柿渋を塗り荏湯(じんゆ:えごまの油)などを塗った油紙で作られた製品だったようです。”紙子一衣は夜の防ぎ”とあるように保温性がかなり良かったらしいです。
アウトドア好きの方は経験があるかもしれませんが,わかり易く言えば新聞紙を体に巻いて眠ると温かいという事です。

写真左:合羽所 松屋
写真右:油紙 (鳥居本宿交流館”さんあか”に展示されていたものです)
子供の頃は時々油紙を見ましたがいつの間にか見ることがなくなりました。

彦根道(朝鮮人街道)の追分
鳥居本宿の外れに中山道と彦根道の追分があります。
もともとは中山道が安土城下を通っていなかった為に織田信長が安土発展の為に中山道から分岐して安土を通って現在の野洲市行畑で合流する道筋を整備したのが始まりです。さらに第二代彦根藩主井伊直孝の時代に再整備された脇街道です。 
今日は彦根道はそのまま通り過ぎますがまた野洲市行畑で彦根道に出会います
この道は将軍以外では唯一朝鮮通信使の通行が認められていたため”朝鮮人街道”と呼ばれるようになったとの事です。
追分に建っている道標は今から200年前の1817年(文政10年)建立されたものです。

写真左:中山道と彦根道の追分
写真右:道標  左中山道 京 いせ   右彦根道


彦根市小野町付近
小野町は荘園”小野庄”とされ,また中世は宿場として栄えていたとの事です。古宿とも称されている地です。

公衆便所跡?
小野町の街道筋にトイレ跡発見。 現在でも使えるのか否か確かめなかったのが心残りです。
説明板も何もないので正確な事は分かりかねますが,公共のトイレなのか個人のお宅が下肥を得る為に外便所として街道沿い建てたのかも定かではないです。建物の造りから昭和初期頃の建物かなと思いますがこれも定かではありません。
街道を行きかう人達とそこに生活する人達の生活感が感じられる良い遺構だと思います。
なお奥州街道白沢宿には江戸時代から在ったと特定されている公衆便所跡があります。



小町塚
小野と地名が付くところには小野小町の伝説が残る所が多いですが,ここ小野町にも小野小町伝説が残されています。
小野小町の父親(父親は諸説あるため単に父と記載します)が奥州の任地に向かうとき小野宿に宿泊し,その時生後間もない娘をこの地で貰い受けて育てた娘が後の小野小町だったという伝説です。
真偽はともかく町外れの名神高速道路の下にひっそりと小町塚があります。

ひるね塚 松尾芭蕉句碑
彦根ICのそば原八幡神社の境内にある芭蕉の句碑です。

 ひるがおに昼寝せうもの床の山

中山道を行き来する旅人が夏の暑い日に涼しい境内で昼寝をしている床と鳥籠山(とこのやま)を掛けて詠んだ句と言われています。

写真左:ひるね塚
写真中:原八幡神社境内
写真右:芹川の西側 床の山の石碑


そこで鳥籠山がどこにあるかという事が気になります。
原八幡神社から中山道を高宮宿方向に2km弱歩いて芹川を渡ると ”中山道旧跡 床の山” という石碑が建っています。芹川の西側の小さな山が鳥籠山かと思います。

高宮宿

高宮宿は中山道の中でも規模の大きな宿場で高宮上布の集散地として賑わい,多賀大社の門前町として発展した宿場です。街道沿いに趣のある町家が続いています。
町の中心部に多賀大社の一の鳥居があって多賀大社への参道が続いていますが,多賀大社はここから東に三十一丁(約3.4km)も離れた所にあります。



写真左:多賀大社一の鳥居
写真右:提灯製造馬場 の店先 提灯が飾ってあるだけで町が華やいだ雰囲気になります


石畑宿(間の宿)

間の宿(あいのしゅく)とは正式な宿場と宿場の間の距離が長いとか峠越えなどの難路であった場合などに休息を目的とした施設が自然発生的に出来て宿場の機能を持つようになった宿をいいますが表向きは宿泊は禁止されていました。石畑宿も高宮宿と愛知川宿の間に発展したそうした宿場のひとつです。
石畑宿に向かう街道筋は部分的ですが大きな街路樹が生い茂り雰囲気が良いです。

写真左:街路樹が続く道
写真中:石畑宿立場跡
写真右:石畑の一里塚


愛知川宿

愛知川宿は琵琶湖に注ぐ愛知川の東側に位置する宿場です。宿場の入口に写真のような木戸?を模したような看板があるのですぐに分かります。街並みは少し鄙びた田舎町という雰囲気です。
中心地から少し離れた所にある料亭竹平楼は創業1758年(宝暦8年)で1878年(明治11年)の明治天皇巡幸の際に侍従長の岩倉具視はじめ大隈重信,井上馨,山岡鉄舟などの明治の重鎮達も立ち寄ったとホームページに書いてあります。ひと際目をひく重厚な建物です。

写真左:愛知川宿北入口
写真中:料亭 竹平楼
写真右:え!婆さんが飛び出す?
 
初めて見ました。老人の方が多い時代になりました。私もその構成員です


五個荘金堂町 近江商人の里

中山道の街道筋からは少し離れていて寄り道するかどうか迷うところですが,足の痛さにも勝る町並みが待っています。
五個荘(ごかしょう),歴史の授業で習う荘園がそのまま地名として残っていて古代を感じさせる地名です。
地図を良く見ると地割りが碁盤の目の様になっていて古代条里制の区画が残っている事が読み取れます。

五個荘金堂町は国の重要伝統的構造物群保存地区に指定された地区です。
複数の近江商人屋敷と神社仏閣が残り,まるで映画のセットの中を歩いている様な感じがします。





五個荘金堂町の西 直線距離で3.6㎞ 繖山(きぬがさやま 別名:観音寺山)を越えると安土城址があります。歴史的な事実関係は分かりかねますが近江商人は”楽市楽座”の風土に育った人達だったのかと思い至りました。

武佐宿


根来陣屋跡

武佐宿手前のこんもりとした森が目を引きます,老蘇の森です。平安時代には既に和歌にも詠まれ歌枕の地でもあります。
その麓の狭い路地を入って行くと根来陣屋跡があります。戦国時代鉄砲の武装集団根来衆の陣屋があったところです。よく戦国時代の小説・ドラマなどで根来衆の名を聞きますがこんな狭い所に陣屋を置いていたのかと少し驚かされました。

写真左:陣屋跡入口
写真中:根来陣屋跡石碑
写真右:説明版の絵図


武佐宿
更に歩を進めると本日の終点武佐宿に入ります。夕暮れ時という事もありますが,街並みは如何にも少し時代から取り残された宿場町という雰囲気です。その分静かな時間が流れている感じがする街並みです。

写真左:武佐宿の街並み
写真右:本陣跡 下川家


八風(はっぷう)街道道標
本陣跡を過ぎると ”いせ (八日市 ひの 三な口) 道”と読める道標があります。八風街道道標です。
鈴鹿山脈の八風峠(標高947m)を越えて近江と伊勢を繋いでいた街道です。
海産物を担いだ商人やお伊勢参りの人達が大勢通り過ぎた交差点だった事でしょう。

エピローグ

本日の笑い
ゴール手前はもう少しでゴールだと思って気がせく割には疲れているので思っている様に歩が進まなくて情けない気持ちになる事があります。

本日の終点の武佐宿の手前で
いきなり,道路に”ハハハハハ・・・”の文字が目に飛び込みました,不甲斐ない自分を道路が嘲笑しているようで少しムカッとしました。

本日の温泉
守山天然温泉 ほたるの湯
JR守山駅から北に少し行った野洲川橋のそばにあります。広い駐車場の奥にあるので駐車場に居るにも関わらずどこが温泉施設なのか迷ってしまいました。和の感じが落ち着く良い温泉です。

本日の宿
道の駅 アグリの里 栗東(りっとう)
100m位離れた所に東海道新幹線の高架が見える場所にあります。新幹線の検査車両ドクターイエローが見える道の駅として有名です。残念ながら私が滞在している間にドクターイエローを見る事はできませんでした。


END

2017/6/27 作成

Column


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