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電子足跡:日光街道 日本橋から草加

プロローグ
2014年2月9日 計画を立案したものの少し前に関東地方でまさかの大雪。東京の雪はすぐ融けるという甘い予想のもと計画を実行する事にしました。東京で生活したのは10年程ありますが東京でこんな大雪を見たのは初めてです。ローカットの靴を履いてきた為に歩き難くて往生しましたが,見慣れた東京の街が雪化粧をして新鮮な感じで眼に焼き付きます。

GPSログをGoogleEarthでツアーする方法 |
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↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます |
本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。
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西部渋谷店パーキング館 1階 CHOOSEBASE SHIBUYA内 渋谷区宇田川町21-1 map ONLINE shop はこちら。click |
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日本橋から浅草へ
旅の始まり日本橋
スタート地点の日本橋 "日本国道路元標(複製)" です。
日本橋を訪れるのは3回目。何度来てもこれから始まる旅にワクワクします。
小学生のときの遠足前夜のワクワク感を思い出します。


注:本物の道路元標は日本橋の橋の中ほどに埋め込まれています。
馬喰横山町問屋街
まさかの都心での雪ダルマ。
学生時代,同級生が住んでいたので何回か訪れた事がありますが雪景色の街並み を見たのは初めてです。ごちゃごちゃした街並みが江戸時代の賑わいを彷彿とさせてくれます。



浅草橋 神田川河口付近

日本橋ではあまり感じませんでしたが神田川を見ると江戸が運河の都市だった事を思い起こさせてくれます。
駒形 どぜう

浅草浅草寺 雷門
雪化粧をした雷門。凄い賑わいです。目を東に移せばスカイツリーといつもお話になっているビール会社のジョッキ型の社屋が見えます。今日も歩き終わったら何杯もお世話になります。
東京の下町は新旧が混然一体となったゴチャゴチャ感が魅力と思います。



浅草から千住宿へ
山谷掘り跡(山谷掘公園)
・吉原に続く水路跡です。今は埋立てられて公園として整備されています。かつては猪牙船で隅田川から山谷掘りを通り吉原に行くのが粋だったと杉浦日向子さんの本に書いてありました。
・公園の脇に在った創業元禄二年の神輿太鼓屋さんの看板。
元禄2年(1689年)は松尾芭蕉が奥の細道の旅に出た年です。


南千住 泪橋交差点付近
南千住駅から南に数100m付近にある交差点です。
小塚原刑場が在ったことから処刑される罪人とかつて思川に掛かっていた橋で別れた場所です。今は暗渠になっているので泪橋の名前だけが残り当時の面影はありません。
記憶が定かではありませんが鈴ヶ森刑場の少し手前にもなみだ橋という小さな橋があったと思います。



千住宿(北千住付近)
隅田川の橋を渡ると千住宿になります。
橋を渡ると国道4号線は左にカーブし旧日光街道はそのまま直進して千住宿に入ります。ここから北北東方向に荒川河岸付近までの道は下町の風情が残り興味深い道です。
入り口は”千住宿奥の細道”という小さな公園になっていて芭蕉の像が建っています。元禄2年3月27日(陽暦1689年5月16日)芭蕉は深川から船に乗りここ千住宿で上陸して旅に出ています。千住宿で最初の句 ”行く春や 鳥啼(なき)魚の目は泪”を読んでいます。




これまで幾つかの芭蕉の像をみましたが,こんなに優しい顔をした像は初めてです。
千住宿 やっちゃ場(千住河原町)
やっちゃ場とは青物市場の事です。近郷の農村からここに野菜が集まり江戸に流通し江戸っ子の食卓に上った場所です。


上の写真はは当時の町割りです。 現在の街並みは残念ながら面影がありません。
千住ほんちょう商店街・千住宿場通り

足立区が設置した説明文によると”千住が宿場となって栄えたのは慶長二年(1597年)に人馬引継駅として以来で嘉永二年(1625年)に東照宮建立によって日光街道初宿として繁栄して現在に至っている”との事です。
写真左:商店街の途中にある横山家住宅。江戸時代後期建築の商家。
写真右:名倉医院建物 接骨と言えば名倉ですがそのルーツとの事です。
私が育った町にも名倉堂という接骨医院があります。


荒川から埼玉県境を越えて草加宿へ
荒川周辺
ようやく荒川。千住新橋を渡ります。まだ日本橋から9㎞程度しか歩いていません。
河川敷では家族が雪遊びに興じています。残雪に散った椿の花。歩きで無ければ見過ごす小さな光景です。



"右旧日光道中"の道標(足立第九中学校付近)
道標の裏側には"左東武鉄道旧線路跡"と書いてあります。下の写真では右側の道路は線路跡という事になります。地図を見ると足立第九中学校で分断されていますが東武スカイツリーライン西新井駅まで直線的に道路が伸びています。


埼玉県県境
いよいよ毛長川を越えると埼玉県草加市です。夕暮れが近づいてきました先を急ぎます。"毛長川"その悩みがある方にはご利益がある感じがします。


草加市内
"草加せんべい"の看板が迎えてくれます。
せんべい屋さんのそばにある"火あぶり地蔵尊"。
名前が気になったので"地図でたどる日光街道"の記事をよむと,奉公に出ていた娘が母危篤の知らせを受けて奉公先に暇乞いをするが許されなず。母に会いたい一心で火をつけた為火あぶりの刑に処せられた。憐れに思った村人が地蔵を建てて弔ったとの事です。


草加駅に向かう道。
写真左側が旧街道です。
旧街道沿いの商家造りの家。昔は同じような家が軒を連ねていたのでしょう。
あと数100mで草加駅です。今日の行動は終わりです。ビールが待っています。


END
2018/11/29 ver5.17.0: 地図変更
2016/09/08 ver3.30: 地形図画像を変更
2016/05/01 作成
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