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電子足跡:日光街道 杉戸から古河


プロローグ


このページは日光街道を杉戸宿-幸手宿-栗橋宿-中田宿-古河宿と歩いたページです。
関東平野の中心部を北上して埼玉県から茨城県の西端の古河市に至る道です。
日光街道もここまで来ると田園地帯が広がり,日光連山が望め日光に近づいて来たと感じます。
また,天候によりますが遠く筑波山や富士山を望むことも出来ます。日光連山,筑波山,富士山の位置関係を頭の中に思い描くと関東平野の真ん中を歩いていると実感します。


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2014年2月11日。日光街道歩き旅3日目。天候晴れ。
今日は杉戸宿から古河宿まで歩きます。杉戸宿の本陣跡からスタートです。
概略ルート:杉戸-幸手-栗橋-中田-古河。 出発:9時15分-到着:15時50分  GPSでの移動距離22㎞。

日光街道杉戸から古河地図
GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

杉戸宿


大落古利根川

朝,昨日歩き終わった本陣跡に向かう途中で大落古利根川に架かる橋を渡りました。大落古利根川は川というより運河と言った方がよい様な風景です。河川交通が盛んだった頃を彷彿とさせます。

道標
本陣跡地から数100m行ったところに写真右側に"粕壁方面",左側には文字がよく読み取れないですが"?宿方面"と書かれた道標が立っています。
町のホームページによるとかつての鎌倉街道とも重なる部分も少なくないとの事です。いざ鎌倉という時に南に向かって武士が駆け抜けた道だと思うと何故か躍動感を感じます。

街道沿いの旧商家
蔵と母屋が並ぶ商家。河川交通が盛んだった頃は街道沿いに同じような重厚な建物が軒を連ねていたのでしょう。
蔵の扉の厚さに驚きます。扉の厚さ≒壁の厚さとすると蔵の耐火性能が高い事が頷けます。


国道4号線
スタート地点から1㎞程で国道4号線に合流します。ここから2.5㎞程国道4号線を歩きます。少し退屈な道です。歩道橋に上ると遠くに富士山と筑波山が望めました。雪が降ったお陰で空気が澄み切ったのでしょう。


幸手宿


幸手市街

この旧街道沿いの市街地も微妙にカーブしています。
街路灯のさくらマークが街並みを明るく華やかにしています。

明治天皇行在所御跡 幸手駅入り口交差点にあります。
旧街道を歩くと明治天皇が宿泊した場所,休んだ場所などに同じような碑が多く建っています。

下の2枚の写真は宮城県の奥州街道にあった碑ですが,こんな山道にも建っています。碑文を読むと,この場所で御野立(身分の高い方が屋外で休む事)をした場所です。
  

現役 商家造りの店先
幸手市中1丁目にある永文商店の店先です。今では珍しくなったお酒の量り売りもやっているそうです。
店の脇に荷物運搬用のレールが敷いてあります,運搬用のレールって古いと感じるよりむしろ新鮮な感じがします。


外国府間(そとごうま)付近


埼玉県幸手市外国府間。難読地名です。 田園風景が広がります。

右つくば左日光道の道標
説明板によれば安永4年(1775年)に日光街道と筑波道の追分に建てられた道標との事です。241年も前にこの地に建てられて多くの旅人がこの道標を見て自分が進む道を知ったって・・・なんか凄いです。
 

元禄15歳の鰐口
鳥居に雷電宮 権現宮と刻まれた神社の境内の隅に石仏が安置された小さな社があります。
社の鰐口に元禄15歳 午九月吉日と刻んであります。元禄15年(1702年)は赤穂浪士討ち入りがあった年です。
他にも古びた石仏もあり古くから近郷の方達に大切にされてきたのでしょう。
話は変わりますが,今回社寺などのある銅鑼(どら)のような物を鰐口という事を初めて知りました。


栗橋宿


栗橋関所跡

埼玉と栃木の県境の利根川のほとりに栗橋関所跡の碑が建っています。
説明文によれば"房川渡中田・関所"と呼ばれ利根川の渡し場の関所で箱根・碓氷と並んで重要な関所だったとの事です。
元々は現在の堤防の内側にあったとの事です。図を見ると"本陣"の文字も見えるのでこの場所を中心に宿場が発達していたのでしょう。


中田宿


利根川

利根川を渡ると茨城県古河市です。中田宿は現在の河川敷の場所に在ったとの事で,今の中田地区は利根川の河川改修に伴って移転した場所との事です。
利根川橋から日光連山が望めます。あの山の傍まで歩いて行くと思うと少し闘志が湧いてきます。でもまだ行程の半分も来ていません。


茶屋新田
利根川を渡って2㎞ほど行くと"茶屋新田"という地区になります。
徳川秀忠が日光参詣するときに仮設の茶屋を設けた場所が地名になったとの事です。
かつては街道の両脇に松並木が続いていたとの事ですが拡幅工事などで松並木は消滅したとの事です。
現在は街路樹として松を植樹してあります。まだ背丈が低いですがいずれ成長し"平成の松並木"と言われるようになると良いです。


古河宿


いよいよ古河宿です。
古河宿とかかれた灯籠が迎えてくれます。電線が埋設されていて街並みが広く綺麗に感じます。案内板なども"宿"を感じさせるように配慮されていて歩いていてもちょとワクワクします。


エピローグ


歩き終わって古河駅前の喫茶店でコーヒーを飲んでいたら。ウエイトレスの方が赤いアウターシェルを着て一眼レフとザックを持った男に興味を持ったのか「渡良瀬遊水池で鳥の写真を写して来たのですか?」と聞かれました。きっとバードウオッチングをする方達が多く利用する喫茶店なのでしょう。「いや,日光街道を写真を撮りながら歩いています。」と答えたらキョトンとした顔をされました。
きっと何をしているオヤジなのだと思ったのでしょう。


END

2018/12/01 ver5.17.0 地図変更
2016/09/08 ver3.30: 地形図画像を変更
2016/05/20 作成

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