Contact
admin


電子足跡:日光街道 小山から宇都宮城址


プロローグ


この前、小山まで歩いたのは2014年5月31日。まさか再開するのが2年近く後になるとは思ってもいませんでした。その間,近所の河を遡ったりして時々歩いていましたが,仕事が一段落してようやく小山駅から歩きはじめました。風は冷たいですが良く晴れた日です。ネックウオーマー兼フェイスマスクが活躍します。ところで帽子をかぶりサングラスをしてフェイスマスクをして歩いている姿は少々危ないオジさんに見えます。以前,前から歩いて来た小学生の女の子二人が私を見るなり身構えた事がありました。


Amazonでショッピング 楽天市場でショッピング 楽天トラベルで予約
お買い物
   


2016年3月1日 晴れ
小山駅-新田-小金井-石橋-雀宮-宇都宮城址
GPSでの移動距離 32.4km



GPSログをGoogleEarthでツアーする方法



↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

第一奥州街道踏切 両毛線踏切


市街地を歩くとほどなく両毛線の踏切に差し掛かります。
踏切の名前が 〔第一奥州街道踏切〕 になっています。
日光街道と奥州街道は日本橋から宇都宮市内の裁判所付近の清住町通りの追分までは同じ道筋です。

ところで緑とオレンジ色の電車が懐かしい感じがします。
私は新潟県出身ですが学生の頃はこの車体の色の急行佐渡という列車を使って上野駅まで行きました。急行佐渡の車体が両毛線を走っているのでしょうか?鉄道ファンの方がこのページを読んでいましたら教えて頂けると嬉しいです。

小山市喜沢付近

小山市喜沢付近の旧街道は国道4号線から離れて東側に旧街道の道筋がありました。
JR東北本線の工事で旧街道の一部の道筋は消滅したらしいのですが面影が残っている道が有りましたので紹介します。

地図の下側から北上して歩きましたので下側から見て頂いた方が良いです。

 本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

新田宿

道筋が不明確な喜沢付近を越えて国道4号線に戻り北上します。
小山駅から直線距離で5km程の国道4号線の小山市羽川付近に新田宿が有りました。
昔は旅籠が多かった様で,かつて旅籠を営んでいた家に板戸屋,青木屋など屋号が書かれた札が掲げてあります。
左端の写真はひと際立派な門に〔本陣〕と書かれた札が掲げられていたお宅です。


周辺には趣のある家屋が点在しており往時の雰囲気が伝わってきます。


小金井宿


小金井付近地図

消えた街道 (再整備される予定)
新田宿を越えて小金井宿までは旧街道は国道4号線の西側を通っています。
道を間違えてしまって国道4号線との分岐点から500m程4号線を歩いてから県営羽川住宅付近で気が付いて旧街道に入りました。
旧街道は如何にも暗渠という感じの道が続いています。地図では川になっています。
歩いて行くと突然道が無くなってススキが生い茂った資材置き場の様になっています。公道ではないようなので,行くか戻るか逡巡しましたがススキの中に歩いた跡が見えたので先に進む事にしました。ススキの中を100m程歩くと舗装道路に合流します。


注:本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

舗装道路に合流して写真を写していると,少し年取った恰幅の良い男性から「街道を歩いているのですか?」と声を掛けられました。
ススキの中を歩いている男を見て興味を持ったようです。若寿司のご主人との事です。日本橋から日光街道を歩いている事や,旧街道は新しい道と違って歴史を感じる事が出来るので歩いていると面白いです。などをお話をさせて頂きました。

「昔は馬車も往来して賑やかだったけど,新しい道が出来てこんなになってしまいました。」とのこと。
「でも今度旧街道を再整備する事になって,前の土地は私の土地だけれど再整備の為に土地を提供する事にしました。」「新しくなったらまた歩いてください。」とおっしゃっていました。子供の頃から( もしかしたら先祖代々)この地に住んでおられて旧日光街道に強い愛着を持っておられるのでしょう。

私はそこにある道を歩いているだけですけど,その道をいろいろな立場で守っている人達がいらしゃるのだなと感じました。有難い事です。新しくなった道を歩いてみたいものです。

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

小金井一里塚
小金井宿は何といっても小金井一里塚です。JR東北本線小金井駅のそばにあります。
住宅街を北上していくと遠くに大木が見えてきます。なんか期待感でワクワクします。
道をクランクに左に曲がると一里塚が目に飛び込みます。


こんなに綺麗な形で一対で残っている一里塚は珍しいです。
惜しむらくは旧街道が付け替えられて一里塚の間を旧街道が通っていない事です。
想像ですが拡幅工事をして一里塚を壊すより,道を付け替えて一里塚を残すという選択をしたのではないかと思います。 とすれば,街道に対する地域の方達の並々ならない愛着の強さを感じます。
多くの旅人がこの一里塚で休憩し,ちょんまげ姿でどんな話をしたのだろうと想像します。
そして現代人の私もベンチに座って一休みです。


他の街道で見た一里塚を幾つか紹介します。
左から,
旧東海道箱根畑宿一里塚,三島市錦田一里塚,奥州上街道一関市苅又一里塚,大崎市岩出山天王寺一里塚

注:奥州上街道は奥の細道のルートです。

慈眼寺の石仏群
小金井一里塚を越えて少し行くと旧街道は国道4号線と合流します。
道路西側に江戸時代は将軍の休憩所になった慈眼寺(じげんじ)があります。
最初に大きな布袋様が満面の笑顔で迎えてくれます。 
立派な山門,天明3癸卯(みずのとう 1783年)と書いてある石仏が歴史を感じます。
天明3年は浅間山が噴火し天明の飢饉の真っただ中の年です。なんとなくですが旧街道を歩くと天明と書かれた石仏が多いように感じます。飢饉から救われる祈願か鎮魂の為に安置したのかと思います。
学校の時はただ単にテストの為に覚えた歴史ですが,その痕跡が意外と身近にある事に気付きます。
それにしてもこの布袋様の笑顔は辛い事を忘れさせてくれる日光街道随一の笑顔です。


石橋宿


国道4号線を行くと田園風景が広がります。男体山も望まれ日光が近くなってきた実感が沸きます。


自治医大の手前あたりから国道4号線から西側に分かれます。しかし再開発が進み分岐点付近は旧街道の道筋が不鮮明です。

写真のビルの下を旧街道が通っていたのではないかと思います。

開発地帯を越すと国道4号線の西側の田園に住宅が点在する長閑な感じの道を歩きます。何てことのない道ですが微妙に曲がっていたり路傍に苔むした石があったり,最近出来た道とは明らかに雰囲気が違います。交通量の少ない道を歩くと小鳥ののさえずりも聞こえてホッとします。


と,丸大食品関東工場手前500m程で旧街道は完全に消滅します。国道4号線に戻り北上します。
ここから宇都宮市内のJR日光線手前の119号線の分岐点までは国道4号線を歩きます。
本来は丸大食品の中を旧街道が通っていた訳です。いくら図々しくても敷地内を歩く訳にはいきません。


JR石橋駅のそばに太宰治の生家である津軽の斜陽館と見まがう立派な建物が在ります。
〔歩く地図でたどる日光街道〕には生糸商を営んでいた旧家と記載があります。


雀宮宿

10km以上ひたすら歩いたので休みたくなりました。言い訳がましいですが写真が少ないのは歩きに集中した為です。なかなか良い休憩場所が無いのでJR雀宮駅で休もうと右折しました。
運よく駅前に [WEST Wood] という喫茶店があったので暫し休憩です。
名前が示す様にアーリーアメリカンな感じの店内とジーンズにテンガロンハットのご主人が出迎えてくれました。
リュックにトレッキングポールを持った男に興味を持ったのか
ご主人がいろいろ話しかけてくれました。
歩いていると人と話す機会が以外と少ないので,ご主人は仕事中であるにも関わらずいっぱい話をさせて頂きました。どこから歩いて来たのか?出身地はどこか?仕事はどうしているのか? 日光街道はどこを通っているのか?などなど。楽しかったです。
ご主人の話によると雀宮は古い建物などはあまり残っていないそうですが,今度駅前の交差点付近にで脇本陣を復元する工事をするとの事です。話をしながら美味しいアメリカンコーヒーを頂きました。この季節はまだ温かい飲み物が嬉しいです。お世話になりました。

宇都宮城下

ここが日光街道かと思わなければなんの変哲もない国道を行きます。
さすがに車が多いですが歩道が整備されているので歩いていて怖いという事はありません。
なんの変哲もない道路ですがやはり旧街道です。レトロな感じの大谷石の蔵に立派な母屋が建っています。この建物を越すと日光街道は国道4号線と別れて左側の国道119号線に続いています。



JR日光線を越して不動前交差点でさらに左に分岐した不動前通りに進みます。
旧街道は必ずしも現在の大通りという事ではないので,GPSにルートを入力しておかないと道を踏み外してしまいそうです。東武宇都宮線を越すあたりでいよいよ夕暮れが迫ってきます。


歌ノ橋番所跡と言われる交差点(と言っても何も表示は無いですが)を右折して旧街道を離れて宇都宮城址に向かいます。戊辰戦争の戦火で焼失し第二次世界大戦後に都市開発が行われた為か市街地を歩いていても遺構に気が付く事はありませんでした。おそらくですがかつて三の筋,四の筋と言っていた通りが三条町通り,四条町通りになったのかなと思われます。とすると国道119号線はかつての一の筋か? もしかしたら東武宇都宮線の高架はかつての土塁の土を使ったのか?などと地図を見ながら色々と想像します。こんな時間も旧街道歩きの楽しみです。

宇都宮城址
宇都宮市役所の建物が見えてきた辺りからかつては城だった雰囲気が伝わってきます。
復元された宇都宮城本丸が見えてきました。夕映えに映える宇都宮城址公園にジャストタイミングで到着し今日の行動は終わりです。それにしても城跡は夕映えが似会います。

本日の温泉湯処あぐり


今回は車中泊なので駅の駐車場まで車を取りに行きます。
今夜は 道の駅うつのみや ろまんちっく村 で一泊です。
ろまんちっく村 は単なる道の駅ではなく温泉施設,ドッグラン,プール,整備された森,勿論 直売所,レストランなどが有る複合施設です。こんなに快適な道の駅はこれまで経験したことがないです。

同じ敷地内にある 湯処あぐり で汗を流します。泉質はアルカリ性単純温泉です。広い露天風呂が快適です。

END 

2018/12/02 ver5.17.0 地図をGoogleMapから地理院地図(電子国土web)に変更
2016/09/10 ver3.30:地形図画像を変更
2016/04/08 作成

Column


広告

広告

広告