電子足跡ルート地図:奥州街道歩き旅 前沢宿から金ヶ崎宿
  胆沢扇状地と胆沢城跡を通る道

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奥州街道 前沢宿から金ヶ崎宿へ

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奥州街道を前沢宿-折居宿(間宿)-水沢宿-(胆沢城址)-金ヶ崎宿へと歩いたページです。

この道は奥羽山脈から流れ出る胆沢川などが作った広大な胆沢扇状地の扇端部分を歩く道です。
胆沢扇状地は扇頂部から扇端部までおよそ20km,面積約2万ヘクタールと日本でも指折りの大きな扇状地です。扇央部では伏流水になっている水が扇端部で湧き出すため扇端部では集落が出来易かったのだと思います。
集落があればそこを往来する道ができ,その道が現代まで続いているのだと思います。

またこの道は日本史の教科書にも出て来る桓武天皇の治世,坂上田村麻呂らによる東征のとき,それに抗った蝦夷の族長と言われている阿弖流為(あてるい)と母礼(もれ)をリーダーとした蝦夷軍との10数年に渡る戦いの地でもあります。
蝦夷軍降伏直後に造営された胆沢城址の広大さは当時の朝廷の東北地方侵略支配が如何に強大だったのかを物語っています。

注:GPSの測定誤差,カメラ時刻の狂いなどで写真の位置が実際の位置とずれている場合があります。
注:歩いた道が必ずしも旧街道のルートを正確にトレースしている訳ではありません。
注:ピンク実線=実際に歩いたGPSログ   青実線=推測したルート