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電子足跡:奥州街道歩き旅
 三戸宿から七戸宿へ
  10数kmほぼ未舗装の山道

プロローグ


奥州街道を 三戸宿-五戸宿-伝法寺宿-藤島宿-十和田市-七戸宿 まで歩いたページです。


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1日中山道
これはアナウンサーが ”旧中山道” を ”1日中,山道(いちにちじゅうやまみち)” と読み間違えたという笑い話ですが,奥州街道のこの道は ”1日中,山道” と言いたくなる道です。
舗装されていない里山の旧街道をこれだけ長距離歩ける区間はあまり無いのではないかと思います。

この区間は三戸宿を越えて南部利康霊屋を越えたあたりから浅水地区を除いて五戸宿手前の鳥沼新田地区辺りまで10数kmほぼ未舗装の山道が続きます。山道と言ってもそれ程急な登りは無く,かつ現在でも林道や農道として利用されている様で歩き易い道です。
深い森の中,木の葉が騒めく音を聞き,汗ばんだ体に心地よい風が吹き抜ける道を歩くのは車や電車で移動していては体験できない貴重な時間です。

注意事項
・この山道の区間で,街道沿いから見える範囲で商店が在ったのは浅水地区に一軒だけでした。食堂はありませんでした。水・昼食・行動食などを持参した方が良いと思います。

・三戸駅から七戸十和田駅までは鉄道が太平洋側の八戸を通っている為,奥州街道沿いは鉄道の駅がありません。五戸か十和田市で宿泊する事をお薦めします。

区間 通過する宿場 等 歩いた日 GPS移動距離
三戸駅-十和田市 三戸宿-浅水-五戸宿-伝法寺宿-藤島宿-十和田市 2018年10月29日 34.3km
十和田市-七戸十和田駅 十和田市-七戸宿-七戸十和田駅 2018年10月30日 14.1km


         
  GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法


↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

三戸宿

南部利康霊屋(国指定重要文化財)
三戸の宿場から2kmほど北に行った山の麓にあります。この地は聖寿寺館跡で本三戸城でした。霊屋は覆堂の中にあるのですが撮影禁止でしたので説明板の写真を掲載します。
建造された経緯は省略しますが,霊屋なのでおそれほど大きいという事ではないのですが,重厚かつ華麗な御霊屋でした。


高山を越えて浅水地区へ  雨宮坂・水無坂・佐野坂

高山は標高277mの山で奥州街道は高山の直下を越えて浅水地区に続いています。
霊屋を越えると。浅水地区を除いて五戸付近まで10数km民家の無い未舗装の道です。未舗装の道ですが旧奥州街道は林道や農道として現役で活躍している様で整備された歩き易い道です。

写真左:霊屋を過ぎて浅水に行く道   写真右:233号線から高山への登り口


写真左:昔のままの様な細い道   写真右:233号線のトンネルへの分岐点


写真左:水無坂   写真右:水無坂から麓の部落を望む




水梨清水
水無坂の途中にある水梨清水

読みだけ聞いていると,「水が有るのか無いのかどっちなんじゃい!」と突っ込みたくなります。

佐野地区・浅水地区

霊屋から8kmほど歩いて佐野地区に来るとようやく人家が見えてきます。
浅水は間の宿だったのか民家は多いですが,食堂は見当たらず自動販売機が設置された商店が一軒ありました。

写真左:佐野地区 高山から下って最初の集落    写真右:浅水地区遠望


地蔵坂・倉越坂・鳥内坂を越えて五戸宿へ

浅水地区の途中に北側に登る地蔵坂があります。地蔵坂の途中に庚申塔・二十三夜塔があります。庚申塔や石仏を路傍に見かけると急に旧街道の雰囲気が増します。
ここからまた五戸町長下地区付近まで未舗装の道が始まり,鞍越坂 鳥内坂などを登りながら進みます。

平安時代からの道筋
途中にある十峰庵と書かれた東屋の説明板に書かれていた事ですが
この道は平安時代から都への献馬・貢物や産物を運ぶ主要道で,鎌倉時代には奥筋と言われていて,鎌倉幕府
は軍用道路として利用するため道幅を広げたり整備したとの事です。これ以後多くの人々・物資が行きかう道になり江戸時代は奥州街道として整備されたとの事です。

写真左:地蔵坂   写真右:庚申塔・二十三夜塔




鳥沼新田付近の風景
浅水地区から坂を登り鳥沼新田付近に来ると後はダラダラとした下り道になります。
坂の途中に明治天皇御小休所跡があります。説明板によると明治天皇一行が八戸を通らない事を残念に思った八戸村の旧藩士などがこの場所に八戸のパノラマ(ジオラマ)を作って一行に見せたと書かれています。

写真左:ゴッホ”糸杉のある麦畑”の様な風景   写真右:明治天皇御小休所跡


五戸宿

林檎の果樹園が広がる比較的平坦な道を緩やかに下って行くと河岸段丘の上に広がった五戸宿に着きます。
久々に大きな町に来たという感じがします。三戸駅からはおよそ19kmです。

歴史みらいパークに五戸代官所が復元されています。街道筋のそばですので立ち寄ると良いと思います。

写真左:五戸市街   写真右:五戸代官所


サイトウ坂
奥州街道は五戸川の河岸段丘崖を下って続いていました。


坂の途中にある出梁造りの商店
出梁造りは中山道では御馴染みの建築様式です。
奥州街道で見るのは初めてではないかとと思います。

伝法寺宿・藤島宿

五戸川を渡って対岸の段丘崖を登ると国道4号線に合流して十和田市に入ります。
一本松地区で日没でした。

写真左:一本松地区日没 撮影時刻15時56分
それにしてもまだ4時少し前です。ここは東経141.28度位なので東経135度の日本標準時とは25分くらい日没が早いです。

写真左:伝法寺集落    写真右:伝法寺集落から4号線に向かう道


伝法寺を越えて国道4号線を渡ると奥州街道は大窪地区の丘陵地帯を通っていたようですが地理院地図には道が途切れ途切れに書かれていますし,下の写真の 十和田燐寸軸木(株) の社有地になっている様でしたので新しい道路を迂回して農道を通り旧奥州街道に戻りました。
注:この項を書くために再度調べました。
・GoogleMapには旧街道と思われる道が掲載されていました。
・街道歩きのホームページ ”人力” の地図には十和田燐寸軸木(株)の南側の道を通っています。じかし入り口が分かり難いことや,私有地で事前に通行する旨を伝えたと書かれています。


”秋の夕暮れはつるべ落とし”と言いますが日がとっぷりと暮れヘッドライト無しでは歩けなくなりました。
リュックにヘッドライトを入れておいて良かったと思う瞬間です。真っ暗で風景は見えませんが,森の中の未舗装の道でした。さすがに人気の無い真っ暗な道は少し怖かったです。

基本的には日が暮れると道に迷いやすい,風景が楽しめない,車から歩行者である自分を認識しにくく危険などの理由で日暮前には歩く終わる様にしています。

未舗装の道が終わり145号線(戸来十和田線)に合流すると直ぐに藤島宿です。

奥入瀬川
藤島宿を越え奥入瀬川を渡ると十和田市市街に入ります。奥入瀬川は十和田湖から流れ出る川で上流は奥入瀬渓谷として有名です。
かつては”繰り船渡し”(縄を手繰って船を進める渡し)で,橋が出来たのは明治九年の明治天皇東北行幸のときでした。橋の名前は今でも行幸橋です。

と言われても,「名前が書かれた木柱の写真を見せられてもな~。」というのが本音だと思います。申し訳ありません。

ここから市内中心部まで4kmほどです。今日は十和田市内のホテル泊です。
8時20分頃三戸駅を出発して19時10分頃ホテル到着,GPSの移動距離34.4kmの歩きでした。
今日は十和田市内のホテル泊です。

十和田市

日にちは変わり10月30日です。
十和田市は大きな市街で道路も格子状に走っています。
この地はかつて荒涼とした原野で,幕末の安政6年(1859年)から新渡戸傳と十次郎親子が奥州街道を中心に格子状の町割りをして計画的に開発した土地でした。新渡戸十次郎の三男が以前五千円札の肖像画だった新渡戸稲造との事です。私は訪れなかったのですが新渡戸親子と孫の稲造の墓は市内の太素塚にあるとの事です。

写真左:十和田市街   写真右:稲荷神社


写真左:土手山の大欅 推定樹齢300年  写真右:真登地(まとぢ)の一里塚 西側のみ現存


奥州街道碑
茶屋地区にある奥州街道碑

左側:至江戸日本橋 百九拾参里拾八町
 (注:約759.9km)

右側:至蝦夷松前只今測量中ニ付候

奥州街道の終着地はどこ?
この石碑に説明板は無かったのですが
おそらく伊能忠敬がこの地を測量した時の記録か日記の一部を彫ったのだと思います。
右の記述は蝦夷地の松前までの測量の途中という事でしょうか?

本ホームページ 奥州街道トップページにも書いていますが,奥州街道の終着地問題です。
この辺りの奥州街道は松前道とも言っていたので,当時の人達は終着地は津軽海峡を渡って松前が終着地と考えていたのでしょうか?

馬洗場地区の松並木

牧場の防風林を兼ねていたとの記録もあるとの事ですが見事な松並木です。
旧東海道大磯付近の松並木を彷彿とさせます。同じむき出しのアスファルトの国道4号線を歩いていても全く別の道の雰囲気があります。



七戸宿

七戸城の城下町でもある七戸宿には七戸橋を渡って入ります。町はこじんまりとした落ち着いた風情です。十和田市街と打って変わり道が入り組んでいて分かり難いですが,それがむしろ昔からの町を演出しています。

七戸歴史建物継承酒蔵 (株)盛田庄兵衛


龍泉山 青岩寺
本堂・庫裡・鐘楼など全てを天保9年(1838年)に消失し現在の本堂は安政2年(1855年)に再建された建物との事です。山門は明治六年に七戸城本丸の城門を移築したとの事です。
ちょっと立派な普通のお寺と言ってしまえばそれまでなのですが,城下町の雰囲気が残る街道筋を歩いて突然目に入ると風格を感じます。


新幹線七戸十和田駅

七戸宿を後にして緩い坂を登って高台に出ると今回の終着地 新幹線七戸十和田駅はあと2kmほどです。
本来ですと八甲田山が東に見えるはずですが雲に隠れて見えませんでした。この日は八甲田山の初冠雪だったとの事です。

今回のゴール地点
今回2018年10月10日に宮城県白石市を出発して20日間でここまで来ました。今回は国道4号線678kmポストがゴール地点です。
GPS移動距離は白石からここまで 418.9km でした。

次回は2019年春 温かくなったらここから再開して三厩を目指します。

車中泊の最適地です
新幹線七戸十和田駅は隣接して ”道の駅 しちのへ” があります。
更に隣にイオン七戸十和田駅前店があるので食料・ビールの調達も簡単です。
更に,更に,数100m離れた所に東八甲田温泉があり日帰り入浴も出来ます。

ここまで条件が揃った車中泊地は無いのではないかと思います。

エピローグ


ご馳走様でした

十和田市から歩いてきて七戸宿の手前国道4号線から旧街道に入る所に ”れお” と云うラーメン屋さんがありました。丁度昼時でしたので入って塩ラーメンを頂きました。
店はご夫婦で切り盛りしているようでしたが,歩いていると人と話す機会が少ないので,奥州街道を歩いている事や,新潟県長岡市に在住している事などをお話していたら,サービスですとおしゃってコーヒーを出して頂きました。建前として一応遠慮はしたのですがせっかくのご好意ですので有り難く頂きました。お話が出来たうえに,ラーメンも美味しかったですし,コーヒーも有り難かったです。ご馳走様でした。


END

2019/03/21 作成

Column


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