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電子足跡:奥州街道歩き旅 
 七戸十和田駅から野辺地宿へ
  初めて海が見える道

プロローグ

奥州街道を 七戸十和田駅から野辺地駅 まで歩いたページです。

この区間は下道(しもどう)とも言われる本道と上道(かみどう)の二つの旧街道があります。今回は下道(本道)の方を歩きました。
七戸十和田駅から北上して中野川を渡った付近が分岐点です。上道は現在の国道4号線の道筋に近いルートを通っていたとの事です。下道(本道)は山の中や野原を進む道で「奥州街道」(無明舎出版)には参勤交代や幕府巡検使などは下道(本道)を使い,地元の人達は上道を使う事が多かったと書かれています。

奥州本街道は山や野原を通っていた為か天間舘一里塚・卒古沢一里塚(蒼前平一里塚ともいう)・坊ノ塚一里塚と原形を留めて残っています。道も未舗装の道が長く続いて みちのく を感じる雰囲気の良い道です。そしてなんと言っても野辺地手前の鳴子館坂の上からは日本橋から700km以上歩いて来て初めて海が見えます。


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区間 通過する宿場 等 歩いた日 GPS移動距離
七戸十和田駅-野辺地駅 七戸十和田駅-天間舘一里塚-卒古沢一里塚-坊ノ塚一里塚-野辺地 2019年03月26日 21.7km


         
  GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法


↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

七戸十和田駅付近


再スタート地点

2018年10月30日に新幹線七戸十和田駅そばの678kmポストまで歩いて中断したのでここから再開です。
東京方向を写しています。


歩き始めるとすぐに西側は松並木が続いています。それ程古い松ではありませんので植え継がれて今日に至っているのではないかと思います。東側には牧場があり馬が牧草を食む牧歌的な風景が広がっています。
古くから馬の産地である事を思い起こさせてくれます。


旧街道の痕跡松並木と牧場を過ぎて中野川の手前に,国道4号線と並行に続く旧街道と思われる道が見えます。地理院地図には掲載されていない道です。

「奥州街道」(無明舎出版) の地図には国道4号線から少し離れて旧街道の道筋が記載されているのでこちらが本来の旧奥州街道の痕跡なのだと思います。

天間舘一里塚

昭和37年に青森県史跡第九号に指定されている日本橋から175番目(約687km)の一里塚です。
遠くから見えたときは欅の木があまりにも大きくて塚がある事に気が付かなかったくらいです。
欅は樹齢360年を超えているとの事で,その圧倒的な存在感はもしかしたらトトロが住んでいるのではないかと思えるほどです。

根元に小さなふきのとうが顔を出していました。
360年以上そこで大きく育った欅と一年で次の世代に命を繋ぐふきのとうが一緒に生きていました。営々と続く自然の営みを感じました。



人家の無い道が続きます

坪川に架かる天間舘橋を渡り一本木地区の社会福祉法人 天寿園 を過ぎると人家が途絶えます。
ここからは長者久保地区など所々に人家はありますが野辺地まで15km以上は人里離れた道が続きます。

天寿園の緩い坂を登ると農地整理で旧街道の道筋が失われた平原に出ます。
冬が終わり,早春と言うにはまだ少し早い季節。土がむき出しの何も生えていない平原は荒涼として寂しいです。



卒古沢一里塚 (蒼前平一里塚ともいう)

前述の天間舘の次の一里塚です。
この一里塚は小振りですが一対で残っています。特筆すべきは,他の現存する一里塚の多くは塚と塚の間は拡幅されて舗装された道になっていますが,この一里塚は塚木は無いですが,おそらく当時のままの姿なのではないかと思います。
これまで幾つか一里塚を見ましたが,舗装された道路が塚まで迫り,「一里塚は旅人の休憩の便宜を兼ねていたと言うけど,ここでどうやって休むのだろう? 塚に登って塚木の下で休むのかな?」などと思っていました。
この形なら街道脇の平らになった所に腰をおろして休む事が出来ます。
ちなみに,下の写真の ”奥州本街道” と書かれた石柱の東側に東屋があってそこで休める様になっています。

奥州本街道と書かれた石柱の隣に ”青森県歴史の道整備促進会” ”協賛 天間林村教育委員会” と書かれ説明板が有りましたのでその方達が保護・整備しているようです。





行き止まりでした

旧街道の道筋は一里塚からそのまま北に続いていました。
植林された杉林の中に雪に埋もれて道が続いているようでしたが進んでみると,小さな川が行く手を遮っていて橋も無く先に進むことが出来ませんでした。やむなく馬込地区を通り迂回しました。

注:私は雪国育ちですが,春の雪は表面はざらめ状の固い雪ですが,雪の下は溶けて空洞になっている場合があります。そこを歩くと雪が崩れて下の空洞に落ちる場合がありますので歩行には充分気を付けてください。



千曳地区付近の風景

寒々とした風景が続きます。でも,それが みちのく を歩いている実感を演出してくれます。
もう少し暖かくなると一斉に芽吹きが始まり,寒い地方独特の春が音を立ててやって来る季節になります。





長者久保から野辺地へ

長者久保の僅かな家並を過ぎると野辺地手前までは未舗装の山道です。と言っても写真の様に残雪がかなり残っていて未舗装か分からない部分も多かったです・・・。



坊ノ塚一里塚
奥州街道に残されている最北の一里塚


奥州街道で初めて見える海
鳴子館坂の坂の上から初めて見える海です。
日本橋から700km以上歩いてきて,実際には曇り空の下,遠く鈍色の海が小さく見えただけですが,曇天や地味な海の色とは裏腹に初めて見えた海には感動しました。


この後,坂を下り野辺地駅まで行って今日の歩きは終わりです。

エピローグ

歩いた季節が少し早かった為に所々残雪が残っていました。もう少し暖かくなってから歩いた方が良かったかもしれません。
でも寒い地方を寒い時に歩くのも,その地方の本来の姿を見る事が出来るのでそれはそれで良かったと思います。

END

2019/04/09 作成

Column


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