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電子足跡:奥州街道歩き旅
 青森宿から蟹田宿へ


写真は ねぶたの家 ワ・ラッセ に展示されていたものです

プロローグ

奥州街道を 青森宿から油川宿‐蓬田宿‐蟹田宿 まで歩いたページです。

陸奥湾の西側の海岸沿いを北上する道です。
旧奥州街道は海岸線から100mくらいしか離れていませんが,街道沿いは家並が続いて途切れる事がなく意外と街道沿いからは海が見えません。 それでも磯の香がし,鴎が飛び,海を強く感じます。途中,小さな港が点々とあって,おそらくかつては漁業で賑わった街道筋なのでしょう。
これまで日本橋から海を見る事は無く,場所によっては人里離れた山の中をずっと歩いて来たので,海のそばを歩くのは新鮮な感じがします。

旧奥州街道沿いに津軽線が通っていて,駅の間隔も他の地方より短い感じがします。街道のそばに鉄道が走っていると安心感が増しますし,待合室で休む事も出来るので歩く上では本当に助かります。

この道は太宰治の小説「津軽」で青森からバスに乗って蟹田まで行った道でもあります。
「津軽」は昭和19年(1944年)に太宰治が36歳のとき出版社の依頼で,生まれ故郷の津軽を取材旅行したときの事をベースに書かれた小説です。文章中にこれまで歩いて来た地名やこれから歩く地名が散見されこの区間を歩く上では是非とも読んでおきたい一冊です。

区間 通過する宿場 等 歩いた日 GPS移動距離
青森駅‐蟹田駅 青森宿-油川宿‐蓬田宿‐蟹田宿 2019年03月29日 26.9km


GPSログが添付されています。

GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法




↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図と
ポイントの写真が開きます。



本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

青森宿

青森駅の西口からスタートです。東口駅前は大きなビルが建っていたり,バスターミナルがあったりしますが,西口は青森駅の勝手口のような雰囲気で閑静な住宅街の雰囲気です。

沖舘川に係留されているボートを見て青森市は港の街なのだと再認識しました。



なんで道路案内板を掲載したのか?と思うかもしれません。以前 20代の人と話したとき 青森から北海道に行くフェリーは無くなったと思っていた若者がいました。
青函トンネルがあり,北海道新幹線が開業したので車で北海道に行けると思っていたようです。

勿論青函トンネルは車は通れません。今でもフェリーは健在です。
かく言う私も1988年に青函トンネルが開業しJR青函連絡船が廃止されたときに青森‐函館のフェリーは無くなったとかなり長い間思っていました。廃止されたのはJR青函連絡船だけだったのですね。

油川宿

新城川を越えると青森市も郊外に来た感じがします。
振り返ると岩木山の白い頂きが見えました。岩木山は標高1625mでそれ程高い山ではありませんが富士山に似た円錐形の独立峰なのでその姿は秀逸です。

古い建物は少ないのですが油川宿には西田酒造店の建物がありました。銘柄は喜久泉,田酒(でんしゅ),善知鳥(うとう)があります。
”田酒” は,ここに来る前から知っていました。ときどき閲覧する街道歩きのホームページ ”人力 シングルおやじの気ままな一人旅” のなかで かっちゃん氏 が蔵元の西田酒造店で購入しようと思っていたが昔から醸造石高を変えていないので入手出来なかったと書いてあったので記憶に残っていました。

写真左:岩木山
写真右:西田酒造店


”田酒”を飲みました (2020年1月29日追記)
先日 仙台に用があって出かけたのですが、仙台に来たからには、やはり牛タンでお酒をと思って利休という牛タン屋さんに行きました。

なんとメニューに ”田酒” がありました。
早速、店員さんを呼んで注文したのですが、店員さんがなんでこのオヤジ ”田酒” でこんなに興奮しているのだ? と怪訝そうな顔つきをされました。
その ”田酒” ですが癖がなく、なんと言ったらよいか、里山を歩いていて、岩の間から湧き出る清水を飲んだときの様な爽やかな感じの飲み口でした。

羽州街道・松前街道 合流之地
西田酒造店の端の所に合流之地の石碑があります。
羽州街道は福島県桑折宿で奥州街道と分かれ,山形・秋田を通り矢立峠を越えて青森に入り弘前などを経てここ油川で奥州街道に合流します。

ここが羽州街道の合流点と知ると感慨深いものがあります。
今回の奥州街道歩きで一年ほど前に桑折宿で羽州街道の追分を通りました。
あの時,左側の道に進んでいたらどんな風景に出会っていたのだろうと思います。

”ロミオとジュリエット”や”曽根崎心中”の様な事情で,引かれ合っていながら結ばれなかった二人が何十年も経って再会したような,なんかロマンチックな感じがします。

現実世界で何十年振りに再会したら,「え!誰? この腹の出たおじさん!」 「あの奇麗な人が・・・。」となると思います。でも歳を重ねたことで,内面的な魅力は増しているはずです。たぶん・・

陸奥湾
油川付近から見た陸奥湾です 右にマサカリの形をした下北半島の北海岬,左にはこれから歩いて行く津軽半島の平舘方面が写っています。


六枚橋付近

冒頭にも書きましたが,下の写真の様に街道沿いは家並が途切れる事が無いので意外と海を見る事ができません。この道の右側ほんの50~100m先は陸奥湾です。



昇龍の松

樹齢約500年の天然記念物に指定されている黒松です。
説明板によると所有している赤平家は代々松前藩の宿泊所を勤めた家柄で,藩主が労をねぎらう為に日々愛観していた黒松の盆栽を赤松家に贈り,後年移植され現在に至っているとの事です。
これまで松は何千何万と見たと思いますが,この松は独特な形です。もともとは盆栽だったと知ると,なるほどと納得します。
それにしても,”三つ子の魂百まで” と言いますが,これだけ巨大化しても盆栽の様な樹形を維持しているものなのかな?と不思議に思います。

後潟駅
他のページにも書いたと思いますが,都市部以外の旧街道を歩いていると,歩いている人に会う事があまりありません。ここでも滅多に歩いている人は無く,老婆がひとり無人駅に向かう姿が寂しそうだったのでシャッターを押しました。

海の風景

歩いているとときどき家並が途切れ海岸に行く小道があります。その小道から海岸に出て写した写真です。

蜃気楼の様に海に浮かびあがる青森市街
これまで内陸部を歩いてきたので歩いている途中やゴール地点からスタート地点を見る事が出来ませんでした。海越しに青森市のビルが小さく見えた時、「よく歩いて来たな~」と思わず感動しました。


写真左:青森市街の背景に見える八甲田山
写真右:夏泊岬


写真左:陸奥湾の奥に見える下北半島
写真右:下北半島 恐山方面


陸奥湾を出て行くフェリー
この風景を見ていたら,井上陽水の 「白い船」 という歌が突然頭の中に流れました。
何十年も前にアナログレーコードで聞いて,もうすっかり忘れていた曲なのですが・・・
「白い船」は陽水の曲の中でもとりわけ暗い曲です。その暗さがひとり旅を一層センチメンタルな気分にします。
こんな歳になっても若い頃の記憶や感情は脳の奥底に残っているものなのですね。


蟹田宿

太宰治の 小説「津軽」 では蟹田が太宰治が最初に宿泊した町になっています。

蟹田手前から見える市街地
小説「津軽」では17時30分の急行列車で上野を発った太宰は翌朝8時に青森に到着して,蟹田行きのバスの発着時刻までT君の家で熱燗の酒をのみ,バスに2時間弱ゆられて蟹田まで来ています。
おそらく,そのバス路線は今歩いて来た奥州街道だったはずです。
蟹田の旧友N君の家に行き蟹田浜からあがったばかりの山盛りの蟹を食べながらお酒を飲んだと書かれています。

蟹田駅前には ”ウェル蟹” と名前が付いた広い駐車場があり,物産販売の店や休憩所,トイレがあり道の駅の様になっています。今夜は”ウェル蟹”で車中泊です。

そばに居酒屋さんがあったので普段は外で酒を飲む事は無いのですが,小説「津軽」を真似て蟹田でお酒を飲みました。蟹が無かったのは残念でした。

エピローグ

蓬田駅で休んでいたら,選挙のチラシを持った元気の良いおじさんが話しかけてきました。
新潟県長岡市から来たと話したら,田中角栄の話から始まり,現在の世界と日本の政治状況の話になり,この地方の経済の話になり,話が止まる事がありません。「♪ ・・・北へ帰る人の群れは 誰も無口で・・・」 なんて歌詞の中だけの話です。
ちなみに、後日インターネットで調べたら、そのおじさんが持っていた選挙のチラシの方は当選してました。

その話のなかで,昔は多くの人達が漁業で生計を立て陸奥湾で漁をしていたけれど,近年は魚も取れなくなり廃業する人達が多く,残った漁業者も漁よりホタテ貝の養殖で暮らしているとの事でした。
若者の多くは地元を離れたり,残った者も青森市まで働きに出ているとの事でした。
途中,頻繁にすれ違った選挙カーも一様に「青森県で若者が働ける様にする。」と大きなボリュームで訴えていました。現在の地方の状態を垣間見た気がしました。


END

2020/01/29 ”田酒を飲みました” を追記
2019/04/23 作成

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