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電子足跡:奥州街道歩き旅
 宇都宮から氏家宿へ


プロローグ


2017年2月14日 晴天。
宇都宮の日光街道との追分から奥州街道氏家宿まで歩きました。GPSの移動距離は19.3㎞でした。
JR氏家駅前の駐車場に車を置いてJRで宇都宮駅まで行き,日光街道との追分からスタートです。
この道は白澤宿を越えた辺りから,風景が変わり街道沿いの家がまばらになり田園地帯を歩く様になります。
いよいよ「みちのく」に足を踏み入れる序章のような期待感が沸いてくる道です。


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区間 通過する宿場 GPS移動距離 備考
宇都宮城下-氏家宿 宇都宮-白沢-氏家 19.3㎞

奥州街道 宇都宮城下から氏家宿概略地図
GPSログをGoogleEarthでツアーする方法


地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。 

日光街道・奥州街道追分

日本橋から奥州街道と日光街道の共通の道筋を宇都宮まで歩き,伝馬町の清住町通りの追分で日光東照宮に向かう日光街道と白河に向かう奥州街道に分かれます。左が日光街道,直進すると奥州街道です。

日光に向かう清住通りは蔵造の家屋などが残っていますが,奥州街道は宇都宮のメインストリートに変貌しているので近代的な高層ビルが立ち並んでいます。

奥州街道・日光街道追分 左日光街道 直進奥州街道


追分道標に掲載されている江戸時代の追分風景


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宇都宮市街の奥州街道

奥州街道は宇都宮城の北と西を覆うような道筋でした。城下町によくあるクランク状に曲がった道筋が特徴です。
現在,城址公園になっているところは本丸部分だけで,江戸時代の城域はかなり広く,北側は釜川付近までが城域でした。

写真左:現在の宇都宮市街
写真右:江戸時代の宇都宮城下町割り

注:カシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工しています。
注:上記の町割り図は宇都宮城址公園内にある案内施設に掲示されていた"江戸時代宇都宮城下復元図"の一部に街道筋を加筆して使用させて頂きました。

オリオン通り
大通りを東に緩やかに下って釜川を渡るとすぐに南に向かう道があります。突き当たるとオリオン通りのアーケードがあります。奥州街道はオリオン通りのアーケードの中を通っています。都市部の旧街道は意外な場所が道筋です。
アーケードが途切れると,道が微妙にカーブしています。旧街道によくある微妙なカーブです。時代は変っても,この微妙なカーブは残っています。

オリオン通りアーケード街 二荒神社 アーケードが途切れたあたり

旧篠原家住宅
上河原通りを歩き田川に架かる橋を渡ると,ビル群の中に,突然黒々とした蔵造の大きな家が目に飛び込みます。宇都宮市有形文化財に指定されている旧篠原家住宅です。

篠原家は醤油製造や肥料商を営んでいた豪商です。大きな建物は1895年(明治28年)建造で奥の方に見える石蔵は3棟あり一番古いものは,1851年(嘉永4年)に建てられたとの事です。

これまで蔵造の建物は幾つか見ましたがこれ程大きく立派な建物を見たのは初めてです。

白澤宿

宇都宮を発って最初の宿が白澤宿です。日本橋からは30里,18番目の宿場です。
北北東にまっすぐに延びた白澤宿への道は白澤街道とも呼ばれていました。
白沢は地域全体で宿の景観を保存しようとしている様で街道筋の雰囲気が良いです。

白沢地蔵
「ここから白澤宿内」の案内板を越え稚児坂のなだらかな坂を登ると白沢地蔵堂があります。
鎌倉時代伊沢家景が奥羽総奉行として任地に向かう途中,稚児坂で子供が病気になり亡くなりました。
地蔵堂と石塔を建て亡骸をこの地に葬りました。以来約900年間白沢地蔵は白沢南自治会の方達に守られているとの事です。白沢の方達は子を亡くす人の悲しみを思いやる事が出来る心優しい人達なのでしょう。

白澤宿入口 稚児坂 白沢地蔵堂 白沢地蔵堂境内の石仏

江戸時代の公衆便所跡
街道を歩いているといろいろと古い物に遭遇しますが,トイレ跡は初めてです。
荘厳な神社仏閣も良いですが,このトイレ跡は人々の生活がそこで営まれ,生き生きとした生活情景を彷彿とさせます。建物は建て替えられて朽ちかけていますが,ずっと残しておいてほしいものです。

右下の小さな小屋がトイレ跡です。 裏側の写真。
肥桶が懐かしいです。
江戸時代の公衆便所

白澤宿中心部
街道は鬼怒川の氾濫原に下るやげん坂を行きます。途中に元醤油屋だった水戸屋の屋号を掲げる商店があります。白澤宿の家屋は所々に屋号を掲げる家屋があり,元宿場町だった頃の雰囲気が伝わります。

やげん坂を下って北に曲がると,鬼怒川の氾濫原とその河岸段丘の際の部分に発展した白澤宿の中心部があります。街道筋の道路には無粋なガードレールは無く,道の両側は用水路になっています。心憎い気遣いが白澤宿の雰囲気を決定付けています。

写真左:やげん坂
写真右:白澤宿の街並み


鬼怒川


鬼怒川の渡し跡
ここは西鬼怒川の堤防です。あまりにも川幅が狭いので,ここが鬼怒川の渡しがあった場所とは俄かには信じられないです。河川改修で本流の鬼怒川と分かれたのかと思います。

下の鬼怒川の写真を見ると江戸時代の難所,幾度となく河止めされた場所というのも頷けます。

江戸時代は鬼怒川を越すのは夏場は渡し,冬場は仮設の橋だったとの事です。


「五街道細見」 (岸井良衛 青蛙房)のきぬ川の記述には 「十月より三月までははし 舟渡し一人二百五十文」とあります。同様に軽尻(からじり) は四十八文とあります。
軽尻とは宿場で雇う馬のことで,人ひとりと5貫目(18.75kg)までの手荷物を乗せることが出来て,駄賃は次の宿場までの金額だとの事です。
貨幣価値は時代で変わりますが,落語の「時そば」では蕎麦一杯が16文ですし,軽尻が48文ですので,250文はかなりいい値段だった事になります。

鬼怒川上流を望む 阿久津大橋 鬼怒川下流を望む

氏家宿へ

白澤宿を越えた辺りから,奥州街道は田園風景になります。日本橋から歩いて来て街道沿いに家が少なくなり田園の中を歩く様になるのは白澤宿を越えてからの様に思います。
氏家宿は下の右写真の道標を左に曲がるとすぐです。今日の行動はJR氏家駅で終わりです。駅前の駐車場に置いていた車で早速温泉に向かいます。

東北本線の踏切 氏家宿入口の道標

エピローグ


今日の温泉
喜連川温泉 もとゆ温泉: 入浴料300円と格安です。地元の方達に愛されている温泉のようで,入浴者同士で挨拶しあったり,よもやま話をしながら温泉に浸かっている方が大半でした。
美人の湯とうたっているだけあって入浴後肌がすべすべしました。

本日の宿
明日の朝は白河駅に車を置くので氏家と白河の中間位にある国道294号線 道の駅 東山道伊王野 で車中泊です。 季節がら他に車中泊の車は無く,静かというか少し怖い車中泊でした。

END

2017年03月06日 作成


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