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電子足跡:奥州街道歩き旅
氏家宿から大田原宿へ
プロローグ
2017年2月15日 晴天。
このページは奥州街道を氏家宿から大田原宿まで歩いたページです。
GPSの移動距離=26.5㎞
奥州街道を宇都宮の日光街道との追分から福島県白河宿まで歩きます。
実はこの区間は現代の難所です。
車中泊の場合,氏家宿から白河宿までの区間は街道筋近くに鉄道の駅が無いので,尺取り虫方式で歩くことが難しいです。やむなく大田原でホテル泊にして,次の日は大田原から白河まで約40Kmの歩きにしました。
JR白河駅北側の城山公園駐車場(無料)に車を置いて,JRで氏家駅に行き,昨日のゴール地点氏家駅からスタートです。
氏家まで電車に乗っている時間は僅か60分,運賃1140円の区間を2日かけて歩く,時間をタップリ使ったなんとも贅沢な旅です。
区間 | 通過する宿場 | GPS 移動距離 |
備考 |
氏家宿-大田原 宿 | 氏家-喜連川-佐久山-八木沢-大田原 | 26.5km |
GPSログをGoogleEarthでツアーする方法 |
地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます |
本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。
氏家宿
氏家宿は奥州街道,会津中街道,会津西街道,原街道の結節点であり,鬼怒川水運も加わり交通・経済の中心として栄えた宿場です。しかし残念ながら往時の面影は殆ど残っていません。それでも1759年(宝暦9年)に鋳造された約3mの光明寺の青銅不動明王は往時の繁栄を彷彿とさせる仏像です。街道沿いに鎮座していますので是非ご覧ください。
光明寺にお参りして,奥州街道に戻るとすぐに道は東に曲がります。その四つ角にある古めかしい商店のショーウインドーに手が込んだ布製の小さな箱が並んでいました。色鮮やかですが派手さはなく,上品な色合いです。街の片隅の小さな箱に古き良き時代の面影を感じました。
光明寺 青銅不動明王
村上家門・滝沢家住宅
氏家の中心街から500m程離れると,立派な門に遭遇します。
最初の門は村上家の門で1806年(文化3年)に作成された奥州道中文間延絵図に既に描かれています。
隣は立派な塀に囲まれた滝沢家住宅です。こちらは明治になって建てられたとの事です。望楼がある蔵座敷が特徴的です。
話は変りますが
氏家町は喜連川町と合併して「さくら市」になっています。左の絵図に「櫻野村」とあります。櫻野村が市名の由来かと納得しました。
写真左:村上家門 写真右:滝沢家住宅
田園の道
氏家宿を過ぎると暫く田園地帯の道を歩きます。どこまでを関東平野と定義するのかは知りませんが,既に鬼怒川を越え,氏家と大田原の間には標高200m程の山塊があるので,弥五郎坂を登ると関東平野とはお別れです。早乙女坂古戦場から見る関東平野が見納めです。関東平野って,それにしても広い。
写真左:釈迦ヶ岳方面を望む 写真右:明治時代の水準点
写真左:弥五郎坂
写真右:早乙女坂古戦場跡
注:五街道細見(岸井良衛 青蛙房)では松山から羽黒までの間は弥五郎坂と記述があります。弥五郎坂の途中に早乙女坂古戦場跡の説明板がありました。ここでは坂の名称を弥五郎坂,古戦場跡を早乙女坂古戦場と表記します。
早乙女坂古戦場跡から関東平野を望む
ウォー広い! 日本で直線的な地平線が見える平野って幾つあるのだろう?
この地平線の向こうに世界的な大都会が在って、幾多の人生があり、恋をし、泣いたり、悲しんだり、笑ったりして、毎日生活しているとは思えない風景です。
弥五郎坂を越えると関東平野は見えなくなります。関東平野の北の外れです。
最初の古道
弥五郎坂を登り切ると右側に僅か500m程ですが羽黒地区に続く古道があります。日本橋から歩いてきましたが,ここが奥州街道で最初に現れる古道だと思います。1880年(明治13年)に迂回路が出来たので残ったとの事です。
古道と言っても車の交通量が増える前まで普通に使われていたようで舗装されています。でも欝蒼とした森の中に続く道は充分に雰囲気があります。
氏家宿側入口
写真右:喜連川宿側入口
喜連川宿
最初に喜連川という地名を知ったのは電車のつり広告で「びゅうフォレスト喜連川 温泉付住宅」という広告でした。喜連川という漢字からくる良い語感の地名は頭に残り続けました。喜連川という川は無い???
ところで「あれ?」っと思うのですがこの地には,荒川,内川,少し離れて江川,岩川が流れていますが喜連川という川は流れていないです。川が連なって流れているので喜連川という地名にしたとか諸説あるようです。
喜連川宿は城下街の側面と宿場町の側面を併せ持つ町です。荒川と内川に挟まれた河岸段丘の上に御所様といわれた足利氏の後裔が城主の喜連川城(倉ヶ崎城)がありました。
写真左:古道が終わり羽黒地区に入る 写真中:羽黒地区 写真右:荒川上流を望む
写真左:喜連川宿の街並み
写真右:喜連川城址(お丸山公園)入口 大手門を模した大きな門があります。
佐久山宿を越えて大田原宿までの道
喜連川宿を過ぎて佐久山宿までは少しアップダウンのある山間の道が続きます。佐久山宿を越えると一転して那須野ヶ原の平坦な道が大田原宿まで続いています。石仏もどことなく素朴な感じになり,昔の人たちの質素な中にも信仰心のある暮らしぶりを想像します。
大田原に近ずくと,源平合戦で扇の的を射抜いた那須与一の名前を冠したお店や看板を目にする様になります。那須野ヶ原の草原を軍馬に跨った中世の武将が駆け抜けて行く気がします。
路傍の涅槃仏 (琵琶池ゴルフ場付近) |
佐久山宿 | 佐久山宿 観音堂石仏群 |
那須野ヶ原の風景 |
蒲蘆の碑(ほろのひ) |
大田原宿入口付近 |
エピローグ
本日の宿少し早い時間に那須プラザホテルに到着しました。風呂で汗を流した後,大田原市街の居酒屋で生ビールを頂きました。疲れた体にビールがしみわたります。
程よく酔いが回ったところでホテルに帰りベッドで眠りにつきました。温かい部屋と暖かいベッドで眠るのはやはり心地良いです。
END
2017年03月10日 作成
Column
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