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電子足跡:奥州街道歩き旅
 大田原宿から白河宿へ


プロローグ


2017年2月16日 晴れ 
大田原宿出発時刻=6時5分  白河宿到着時刻=18時35分
GPS移動距離=43.1㎞


街道沿いの近くにJRの駅が無いので40㎞越えの行程です。
財布にゆとりのある方は,芦野宿のそばにある芦野温泉で一泊して1泊2日のルート取りをしても良いと思います。


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区間
通過する宿場 GPS
移動距離
備考
大田原宿-白河城下 大田原-鍋掛-越堀-寺子‐芦野‐
板谷‐寄居‐(境明神峠)‐白坂‐白河
43.1㎞

奥州街道 大田原宿から白河宿概略ルート地図
GPSログをGoogleEarthでツアーする方法



↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます

本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。 

大田原宿

曾良旅日記によれば松尾芭蕉は日光から日光北街道を通って大田原を訪れていると思われます。大田原の黒羽の知人宅を訪れてに2週間ほど滞在しています。

  夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな

  木啄(きつつき)も庵はやぶらず夏木立


奥の細道の那須の章には「野越え」「野中」「野飼ひの馬」と「野」を強調した記述になっています。那須野原の広大な印象が強く伝わります。

さて,"お江戸日本橋七つ立ち"の歌がありますが,今日は大田原宿から白河宿まで40Kmの行程です。昔の旅人が一日で歩いた距離です。日の出前に起きて出発の準備です。ホテルの窓から見えた東雲(しののめ)が神秘的です。
(注:七つ=日出前2時間程の間の時刻)
白々とした奥州街道を行きます。上町の十字路に道標を兼ねた金灯籠があります。西側に江戸,東側に白川と刻まれています。初代は1819年(文政2年)に建てられましたが,戦時中に供出され,現在は昭和54年に商店街の有志により再建されたものです。
暫く進み, 明け六つ です。残念なことに東側に家が並んでいたので日の出は拝めなかったのですが反対側の工場のガラス窓に昇る朝日が見えました。

ホテルから見た東雲 旧道沿いの市街地 金灯籠

明け六つ

奥州道・棚倉道道標
 
町はずれの奥州街道(県道72号線)と県道342号線の三差路に「是より左奥州道」「是より右たなくら」の道標があります。黒羽刑務所の看板があるのですぐ気づきます。
街道を歩くときはGPSにルートを登録していますが,それでもよく道を踏み外します。一歩間違うと行きつく先は全く異なります。人生では人の道を踏み外さないようにしたいです。

鍋掛宿・越堀宿

鍋掛宿と越堀宿は那珂川を挟んで隣り合っています。越堀宿の案内板によると,伊達藩が江戸に向かう時に那珂川の氾濫で渡河出来なかった為,急遽,越堀に仮屋を建てて水が引くのを待って江戸に向かった。その時の仮屋が堀越宿の始まりだとの事です。

鍋掛の一里塚
拡幅工事の為,元々は現在より11m東にあった一里塚を切通の上に復元したものだとの事です。

鍋越宿
鍋越宿八坂神社前の風景です。

境内にある火の見櫓が懐かしいです。ラウドスピーカーが付いています。役割は変れど現役です。


写真左:那珂川  写真右:昭明橋
昭明橋から見下ろすと随分と深い谷です。渡し場はもう少し下流にあったようです。

写真左:越堀宿の街並み  写真右:越堀宿 桝形の地
桝形は宿場に敵が侵入しにくい様に道を直角に二度曲げた部分を言います。本来の道筋はここでクランク状に曲がっていたのではないかと思います。

城郭に於いては,まさに升形で方形の構えで直進出来ない様に門を作り敵を足止めする為の防御施設です。

芦野宿 遊行柳


芦野宿

芦野宿は何と言っても 遊行柳 がある地です。
街並みは往時の面影はありませんが各家に”唐傘屋””港屋””住吉屋”などの屋号が書かれた石灯籠風の門柱が立っています。
なかでも,丁子屋は元旅籠で江戸時代から旅籠と鰻で商いをしているそうです。屋内には蔵座敷もあるとの事です。

写真左:芦野宿街並み   写真右:うなぎ 旅籠丁子屋


写真を写していると,年配の方に呼び止められられました。家で休んで行きなさいと言われ,言われるままに玄関先でお茶とお菓子を頂きました。お話を聞くと若い頃電電公社に勤めていて,昔は大田原まで自転車で通っていたとの事でした。退職後は通信関係の会社を興し今は社長なのだそうです。お年を召していますがかくしゃくとしています。その時頂いた羊羹は途中で疲れた時に有り難く頂きました。本当に有り難うございました。

遊行柳
西行法師が奥州下りの経験から
  ”道のべにしみず流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ”  と詠み。

時宗十九代尊皓上人がこの地方巡化の時に柳の精が老翁になって現れこの地に案内して,上人が十遍の念仏を唱えると成仏したと伝えられています。その後,この言い伝えから 謡曲”遊行柳” が作られたとの事です。

松尾芭蕉は西行ゆかりのこの地を訪れて
  ”田一枚植えて立ち去る柳かな”    と奥の細道に詠んでいます。

更に時代は下り蕪村は
  ”柳散り 清水涸れ 石処々”    と詠んでいます。

私が訪れたのは2月なので柳特有の葉は生繁っていませんが,田園の中にポツンとある柳は夏であれば涼しい木陰を作ってくれるでしようし,田植え時期なら薫風に長い葉を揺らして,そよ風が去って行く光景を想像します。



話は少し飛びますが,箱根駅伝で神奈川県藤沢市付近で ”遊行寺の坂” が中継されますが,この旧東海道沿いにある遊行寺は時宗の総本山です。

芦野宿から境の明神までの道


写真左:べこ石の碑
べこ石から人家の前を100m程歩くと道が消えています。
左の写真の鉄の階段を降ります。この階段が”旧街道?”です。

写真左:高瀬付近の道標 (道標の”白河の関”は東山道の白河の関の事です)
写真右:脇沢の地蔵様


寄居本郷 豊原駅への分岐点
寄居から左に折れるとJR豊原駅に行きます。
奥州街道 氏家から白河の間で最も鉄道に近ずく地点ですが,それでも約3kmあります。

写真左:泉田の一里塚
写真右:山中大久保付近の石仏群


標高400m程なのでまだ雪が残っています。

境の明神

芭蕉は奥の細道の冒頭で ”・・,春立る霞の空に,白川の関こえんと,そぞろ神の物につきて心くるはせ,・・”と書き。
白川の関の章では ”心許(こころもと)なき日数重なるままに,白川の関にかかりて旅心定まりぬ。” と書いています。白河の関は旅情を誘う場所なのでしょう。現代で言えば成田空港に行ってこれから海外旅行をする時の気持ちなのかもしれません。

ただ,奥の細道に書かれた”白川の関”は”境の明神”の場所ではなく,ここから東に6km程離れた現在の県道76号線が通る東山道の白河の関跡の事です。

明神の地蔵様
境の明神の手前(栃木県側にある地蔵尊
関守が見ている感じがします。

境の明神
境の明神がある場所が栃木県と福島県の県境です
 写真左:栃木県側から福島県側を望む   写真右:福島県側から栃木県側を望む


境の明神 福島県側
奈良・平安の頃は国境の内側に女神を祀り(国を守る),外側に男神を祀る(外敵を防ぐ)という信仰があり境の明神もその信仰に基づいて建立されています。

で話がややこしいのですが,栃木県側から見れば南側から玉津島明神(女神)-国境-住吉明神(男神)の順番で祀られている事になりますし,福島県側から見ると北側から玉津島明神(女神)-国境-住吉明神(男神)の順番で祀られている事になります。見方を変えると同じものも別なものになるという教えの様にも感じます。

衣がえの清水
境の明神から百数十mほど白河に行った所にある清水です。

かつて弘法大師がこの清水で身を清め,衣替えをしたと伝えられています。
弘法大師はともかく,旅人の喉を潤し,汗を拭いた清水なのでしょう。
現在,飲むのは・・,相当ためらいます。


白河宿への道 白沢宿

境の明神を越えると白河まであと8㎞ほどです。

白河の関跡への分岐点
東山道(県道76号線)にある白川の関に行く分岐点です。

境の明神から1km程の白澤宿入口に白河の関への分岐点があります。芭蕉と曽良はここで右に曲がって白河の関に向かったと言われています。

(伝)金売吉次兄弟の墓
金売吉次(かねうりきちじ)は平安末期の商人で奥州で産出する”金”を京で商う商人でした。
義経主従が平泉に下るのを手助けしたと伝えられています。
この地で盗賊に襲われ殺害され,憐れんだ村人がこの地に葬ったと言われています。

那須岳が遠く暮色に浮かんでいます。

白河口戊辰戦争古戦場

ここ松並の地は戊辰戦争白河口の激戦地です。
1868年(慶応4年),北進してきた薩長連合軍を奥州列藩同盟軍がこの地で激戦を繰り広げました。
一旦は薩長連合軍を退けましたが,再び来襲し会津藩家老西郷頼母,横山主税等が迎え撃ちましたが敗退し白河城(小峰城)は落城しました。
この後,時代のうねりの中で会津鶴ヶ城をはじめ各地で壮絶な戦が繰り広げられ函館五稜郭まで戦は続きました。

NHK大河ドラマ”八重の桜”では会津藩家老西郷頼母を西田敏行,横山主税を国広富之が演じたのでご存じの方もいらっしゃるかと思います。

会津藩士戦死者墓 上の写真の松の中に建っています。


長州・大垣藩戦士六名の墓
会津藩士墓と道路を挟んで建っています

白河城(小峰城)


夜の白河宿を進み,車が置いてあるJR白河駅北側の城山公園駐車場(無料)まで歩きます。
夜の街道歩きは車からの視認性が落ちて危険であったり,史跡を見落としたり,写真を写せなかったりしますので基本的には日没前に歩き終わる様にしています。
今日は大田原から40㎞越えの歩きで日没後になってしまいました。
駐車場に着くとライトアップされた白河城が目に飛び込みました。奥州街道の歩きはここで終わりです。

引き続き仙台街道,松前街道を歩き青森県三厩まで行きたいと思っています。

エピローグ


今日の温泉  矢吹町あゆり温泉
アルカリ性単純温泉で筋肉関節痛,疲労回復などに効くと書いてあります。
実は久し振りに40㎞以上歩いたので太腿の筋肉が痛くなりかけていました。ゆっくり温泉に浸かり脚をマッサージしたら次の日は痛みが消えていました。 あゆり温泉凄い!!

今日の宿
福島空港のそば ”道の駅たまかわ” で車中泊です。こじんまりとした道の駅で車中泊は私一人だけでした。
敷地内に放射線モニタリングポストが設置してあり放射線量が表示されています。正確な数値は忘れましたが,スマホで調べたら,人体に影響があるような線量ではなく特に気にすることもなく眠りにつきました。

このページを作成している6年前の今日,福島第一原発3号機が水素爆発を起こしました。
多くの避難者が謂れのない苦労を強いられているなか,あの日を忘れ無い様にしたいと思います。


END

2020年01月06日 レイアウト変更
2017年03月14日 作成

Column


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