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電子足跡:奥州街道歩き旅(仙台道)
  白石城下から長町宿へ


プロローグ

この道は白石城が在る白石から白石川沿いに下り,阿武隈川が山塊の切れ目から仙台平野に流れ出る場所からは仙台平野の西側を北上して仙台城下に向かいます。
岩沼宿は日本三大稲荷と言われる竹駒神社があり街道筋も宿場の雰囲気を感じます。竹駒神社のそばには歌枕の松 武隈の松(二木の松ともいう)があり松尾芭蕉も訪れています。
街道筋の東6~7km先は太平洋ですが,街道筋から海を望む事は出来ません。しかしそこはかとなく海を感じる事が出来ます。太平洋を望む事が出来たのは東北地方最大の前方後円墳である雷神山古墳からでした。奥州街道を歩いていて近くに海を感じられるのはこの区間が初めてです。

3.11東日本大震災 による津波は多くの尊い命と生活を飲み込みながら,その雷神山古墳の麓の国道4号線付近まで押し寄せました。(注)
そのとき私は宮城県で仕事をしていました。けたたましいアラートが鳴り響いた直後,突然地鳴りとともにシェカーの中に放り込まれたような大きく長い揺れが続き,女性社員の悲鳴と建屋がきしむ音,設備が倒壊する音が聞こえた後,全館停電になり揺れが収まった後はただ静寂が包んでいました。
幸い海岸からは離れていましたので津波の被害は受けませんでしたが,電気・水道・通信が止まり情報源はラジオだけでしたので映像として惨状を知ったのはそれから1週間程後の事でした。

注:「津波による浸水状況 -平成23年東北地方太平洋沖地震- 国土交通省国土地理院 応用地理部防災地理課 鈴木義宜」による。


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区間 通過する宿場  歩いた日 GPS移動距離
白石駅~槻木駅 白石宿-宮宿-金ヶ瀬宿-大河原宿-船迫宿-槻木宿-岩沼宿-増田宿-中田宿-長町宿
 
2018/10/10 25.8km
槻木駅~長町駅 2018/10/11 23.9km


GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法



↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。


本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

白石城下

かつて白石城は越後から会津に移封になった上杉景勝の支城でした。慶長5年(1600年) 関ヶ原の合戦で東軍勝利の後は伊達領となり,政宗の重臣 片倉小十郎が城主になり,明治の廃城令で廃城処分されるまで続きました。

蔵王連山が見える盆地の中央付近の小高い丘の上に復元された白石城を市街のいたる所から見る事ができます。街道筋は残念ながら古い建物はありませんが,それでも所々土蔵が残り城下町だった頃の面影を感じます。



写真右:白石川堤防から見える白石城


巨大な馬頭観音
白石市 巨大な馬頭観音白石川を渡った山の下地区の路傍にあります。
隣の家の高さと比べるとその大きさが実感できると思います。これまで幾つも馬頭観音をみましたがここまで巨大な馬頭観音を見たのは初めてです。
説明板が無かったので由来などは分かりません。

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宮宿

白鳥伝説
国道4号線と合流して ”児捨川” を渡ると宮宿です。それにしても 児捨川 という名前は怖い名前です。

白石には”白鳥伝説”が複数残っていてその一つが
”日本武尊が姫と王子を残して帰京した。姫は日本武尊を慕い「白鳥となって都に飛んで行く。」と言い,王子と共に川に身を投げ,二羽の白鳥になった。というものです。
この地方の人達は,この川を児捨川と呼ぶようになったとの事です。”(説明板より)

小野訓導殉職記念碑
宮宿の手前に蔵王町立宮小学校があります。学校の入口に”小野訓導殉職記念碑”があります。
説明板によると 
小野さつき は大正11年宮城県女子師範学校を卒業し宮小学校に赴任。その年の7月7日 担任だった4年生を連れて白石川に野外活動に出かけたが,3人の児童が間違って川に入り,溺れる子供を救おうと2人まで助けたが,もう1人を救おうとしたが力尽き激しい流れの中に消えてしまったとの事です。その年齢わずか22歳でした。

そして,宮宿の 松川山 三谷寺 に亡くなった児童と共に葬られています。お寺の地蔵尊は先生を慕っていた児童の葬送の列の様に見えます。


金ヶ瀬宿・大河原宿・船迫宿

三つの宿場を一緒の章にしたのにはこの三つの宿場に跨って一目千本桜という桜の名所があるからです。

一目千本桜
金ヶ瀬宿から大河原宿さらに船迫宿を越えたさくら船岡大橋付近までは ”一目千本桜” と言われる白石川の両岸8.5kmもの距離に植樹された約1200本もの桜並木があります。
歩いたのは10月でしたので,満開の桜の下を歩くという訳には行きませんでしたがその桜の木の多さには圧倒されました。春満開の桜並木のときに再訪したいものです。

満開の桜の風景は下のリンクからお楽しみください。
大河原町 観光物産協会ホームページ



金ヶ瀬宿

 巨大な花崗岩
金ヶ瀬宿の手前にまるで仁王様が立ちはだかっているような岩石があります。隣の電柱と比べてもその大きさが分かると思います。
この付近の地質図を見ると約1億4600万年~1億年前にマグマが地下で固まった阿武隈花崗岩類と書かれています。

金ヶ瀬宿の街並み
歩いた道が本来の旧街道の道筋なのか自信はないのですが,宿場内の道筋がくの字に曲がっている珍しい宿場です。家屋は立て替わって古い家は無いのですが宿場町の雰囲気が残っています。

宿場内に曲がった野物の木材がそのまま梁として使われている民家を見かけました。
自然のままを上手く活かそうとする当時の大工の知恵だと思います。規格化されていないと発想が自由に広がるものなのかと思いました。


大河原宿の家並
ごちゃごちゃした家並がかつての賑わいを感じさせてくれます。
街道筋には海鼠壁の土蔵造りの家屋をいくつか見る事ができて江戸時代米や紅花の集積地として栄えた宿場の面影を残しています。



槻木宿

一目千本桜の桜並木が終わってさくら船岡大橋北詰を越えると白石川を進みます。白石川は河口に近づいて阿武隈川と合流します。槻木宿は阿武隈川と白石川の合流地点に置かれた宿場です。

写真左:白石川河口  写真右: 槻木宿の街並み


阿武隈川
宿場を過ぎると街道は阿武隈川と出会います。少しの間,阿武隈川のほとりを進みます。
阿武隈川は福島宿付近で分かれて以来の再会です。


岩沼宿

岩沼宿は日本三大稲荷に数えられる竹駒神社と松尾芭蕉もその端麗な姿を愛でている武隈の松(二木の松)があります。
街道筋には所々土蔵造りの家が残り,歩いていてもどことなく宿場の香りが漂います。

日本三大稲荷 竹駒神社


武隈(たけくま)の松(二木の松とも云う)
竹駒神社から北に数100m離れた道路沿いにあります。別名を二木の松と言われる様に根元は一本の松ですが高さ1m程のところから二本に分かれています。
千年以上前に陸奥の国司藤原元良が植えて,その後能因,西行などに詠まれた歌枕の松です。

松尾芭蕉は元禄2年5月4日(1689年6月20日)に訪れて おくのほそ道 に以下の様に表現しています。

「武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木に分かれて,昔の姿失はずと知らる。 (中略) 今はた千歳の形整いて,めでたき松の気色になんはべりし。」

  桜より 松は二木を 三月越し
 芭蕉

おくのほそ道には伐採されて名取川の橋杭にされた事もあると記述されています。芭蕉が訪れたときには新たに植樹された松が昔の姿のままこの地にそびえていてその姿に大感激したとの事です。

現在の松は7代目と言われ文久2年(1862年)に植えられたものと伝えられています。(説明板より)



増田宿・中田宿

増田宿は現在のJR名取駅付近の増田地区にあった宿場です。
今は仙台市から家並が続いてどこが増田宿だったのかさえ不鮮明になっています。
その増田宿の手前3kmほどの小高い海蝕崖の上と思われる場所に雷神山古墳があります。

雷神山古墳
雷神山古墳は全長168mの前方後円墳で4世紀後半頃の築造と考えられています。これは東北地方最大の前方後円墳です。
更に雷神山古墳の北側10数m先に隣り合って小塚古墳がありこちらは長径54m高さ6mの円墳です。
古墳に葬られた人物が近畿地方のヤマト政権と強い関係を持って,名取を中心とする広い地域を治めていた有力者であると推測されています。(説明板の内容を要約)

驚くのはその築造年代で
大和朝廷が東北地方で当時蝦夷と言われていた先住民の居住地を侵略するために仙台市の北側,現在の多賀城市に軍事拠点である多賀城を創建したのは神亀元年(724年)。
坂上田村麻呂を派遣して抵抗を続けていた阿弖流為(アテルイ)や母礼(モレ)など先住民を力で屈服させたのは延暦22年(803年)。私はこれまで坂上田村麻呂が東北地方に侵略してから東北地方が大和朝廷の影響下に入ったと漫然と思っていましたが。それより数100年前に中央政権との関係を持ちながらこの地方を治めていた有力者が居た事になります。

雷神山古墳: 写真左側奥 前方部分  右側 後円墳部分 


小塚古墳
写真左:円墳中央部  右:西側部分


雷神山古墳から太平洋を望む
古墳から太平洋を望んだ風景です。小雨の為に太平洋はハッキリとは見えません。太平洋は直線距離で6~7km先です。

冒頭にに3.11の津波が雷神山古墳の手前まで押し寄せたと書きました。俄かには信じられませんが事実です。
多くの人達が亡くなり,生活基盤も失われ多くの深く苦しい思いが今も残っていると思います。それでも人は今を生きています。生きなければならないと思います。

長町宿

名取川を渡ると長町宿です。長町は再開発が進み近代的なビルや広い道路などが出来て,今は面影は殆どありません。

写真左:名取川   写真右:長町宿の街並み 笹谷道道標付近


エピローグ

白石城下から仙台城下まで歩きました。天候が悪く曇りまたは小雨の天気続きで写真が上手く撮れませんでした。と,天気のせいにしていますが写真の腕はこれが実力なのでしょう。
でも雨が上がり雲間から日光が差し込む風景は何回見ても良いものです。


END

2019年01月06日 作成

Column


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