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電子足跡:奥州街道歩き旅
 仙台城下から古川宿へ

プロローグ

奥州街道を仙台城下から 七北田宿-富谷宿-吉岡宿-三本木宿-古川宿  まで歩いたページです。

言うまでもありませんが仙台城下は「杜の都」と言われ大都会にありながら静かなたたずまいです。
とりわけ定禅寺通りのケヤキ並木は 「杜の都」 を象徴する通りです。


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仙台市街を過ぎると奥州街道は田園地帯を進み,豊かな自然と稔りを感じながら歩きます。
映画「殿,利息でござる!」の吉岡宿を越えて大衡(おおひら)村のトヨタ自動車工場の端から500m程ですが日本橋から歩いてきて奥州街道初めての未舗装の道があります。静かな森のなかの道です。

その後,東北自動車道に沿って歩くと三本木宿手前で大崎平野を望む高台に出ます。ここからは奥羽山脈の山並みと田園地帯。日本の原風景の様な光景を望めます。

区間 通過する宿場  歩いた日 GPS移動距離
長町駅~八乙女駅 仙台城下‐七北田宿-富谷宿-吉岡宿-三本木宿-古川宿 2018年10月12日 11.9km
八乙女駅~古川駅 2018年10月13日 36.6km


GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法



↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。


本地図はカシミール3DによりGPSデータを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。

仙台城下

仙台城下へは広瀬川に架かる広瀬橋を渡って入ります。

ここからの風景を見ていると 
♪♪広瀬川流れる岸辺 思い出は帰らず・・・
さとう宗幸さんが歌った 「青葉城恋歌」 の歌詞とメロディーが頭の中で静かに流れます。
仙台の空気に溶け込んだ様な綺麗な音楽だと思います。


仙台市街は近代的な都市に変貌しています。
仙台市街は何度も訪れましたが高層ビルが建ち並ぶ大通りでも大都市の喧噪はありますが何処となく落ち着いた雰囲気があります。
今回旧奥州街道を極力正確にトレースしてみましたが,土蔵造りの商家が残っていたり,なんと言っても町名が南材木町・南鍛冶町・三百人町など城下町の名残と思える町名の道筋を歩くと景色より町名で歴史を感じます。



芭蕉の辻

説明板によると,この地は仙台城(青葉城)の大手門から城下を東西に貫く幹線と奥州街道が交差する十字路で仙台城下の町割りの基準になった場所であり,諸国への里程の基準になった場所です。

正式には「札の辻」と言い,幕府の指令による忠孝を勧めたり,切支丹や捨馬を禁止する制札が掲げられていました。何故「芭蕉の辻」と言われる様になったかは諸説あります。

里程標
芭蕉の辻と同じ場所に里程標が復元されています。

南 江戸 69次 日本橋迄 93里
北 津軽 45次 三厩迄  107里22丁

宿場の数では半分以上通り過ぎましたが,距離では約372km歩いて残りは約430kmとまだまだです。

国分町
芭蕉の辻を越えると国分町という東北地方随一の歓楽街になります。奥州街道に沿った町人町として商業の中心として栄えました。現代は夜になると色とりどりのネオンや看板が灯り酔客が千鳥足で通り過ぎて行きます。

昼時でしたので牛タン発祥の店と言われている「太助」で牛タン定食を頂きました。12時前に店に入ったのですが満席でした。牛タン焼き・テールスープ・麦ごはんのシンプルな味わいは何回食べても美味しいです。


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定禅寺通り
仙台の街並みを印象付けているのはなんと言っても 欅並木 だと思います。杜の都と言われるゆえんです。
元々は仙台城の鬼門を抑える為に定禅寺が建立され,その参道として現在の定禅寺通りが整備されたとの事です。

大都市に在りながら夏は木漏れ日が輝き,爽やかな風が通り抜けて行きます。
冬 12月に行われる「光のページェント」と言われる欅並木のライトアップは冬至に向かい気持ちが沈みがちな寒い季節をウキウキとした気持ちにさせてくれます。


注:写真右の光のページェントの写真は以前訪れたときのものです。

七北田宿


仙台藩刑場跡

仙台地下鉄南北線の八乙女駅手前に仙台藩刑場跡があります。
説明板によると元禄3年(1690年)に米ケ袋刑場から移され,この刑場は百姓・町人の罪人が対象で明治維新まで178年間に渡り刑が執行されたとの事です。

七北田宿は仙台地下鉄南北線の八乙女駅を越え七北田川を渡って緩やかな河岸段丘涯を登る途中の宿場です。今は宅地造成などで昔の面影は殆どありません。町名だけが宿だった昔を偲ばせます。

富谷宿


七北田宿を越えてほぼ国道4号線に沿って進むと,湯船沢付近で4号線に斜めに接続する旧街道が現れます。
ここからが富谷宿です。
富谷宿は国道沿いの道と異なり,本陣跡や内が崎酒造,内が崎家別邸など趣がある建物が残っており宿場の雰囲気があります。

写真左:本陣跡   写真右:内が崎家別邸


宿札(縮小レプリカ)
説明板によると
宿札は大名が宿泊または休息している事を示す為に本陣または脇本陣に掲げた木の板です。

富谷宿を利用した大名は松前藩、弘前藩、黒石藩、八戸藩、盛岡藩、一ノ関藩の6藩でした。

街角にこんな小さな板が掲げられているだけで、随分と宿場の雰囲気が増します。

でもこの宿札って、現在でも観光ホテルや旅館の入り口に掲げられる、”○○御一行様”の看板と同じ事ですよね。きっと宿札がルーツなんでしょうね。

富谷宿は元々富谷村の中に新しく作られた町で,元和6年(1620年)に宿場として独立したとの事です。
歩いた2018年10月13日は偶然富谷宿の街道まつりの日でした。武者行列や出店などで賑わっていました。


吉岡宿


吉岡宿には国道4号線を歩きます。ここからは大都会を離れて田園地帯を歩きます。

七つ森
田園の西側に特徴的な形の山々が見えます。七つ森です。
松倉山,笹倉山,大倉山など7つの連なる山の総称ですが特徴的な地形で仙台のビルの上や古川の方からも簡単に確認する事ができます。
以前宮城県で仕事をしていた時に七ツ森の自然歩道を歩いた事があります。深い森の中でクマゲラが木を打つ音が響き渡り豊かな自然を感じました。


映画 「殿,利息でござる!」の舞台
さて吉岡宿は 映画「殿,利息でござる!」の宿場です。歩いていたら「殿,利息でござる!」のポスターが一杯貼ってあったのでようやく気づいた次第にです。
現在大和町観光物産協会がある本陣跡地に映画の題材になった故事を展示・説明するスペースがあり,そこの説明員の方が熱く語ってくれたのが印象的でした。

映画の中で主人公の穀田屋十三郎(:阿部サダオ)の息子 音衛門(:重岡大穀)が仙台藩に貸す金1000両に250貫文(約1500万円)足らず、不足分を得る為、仙台のみうら屋に年季奉公に行く事を自ら決断し、前借した給金を父に渡した後、仙台に向かって歩いて行くシーンの背景に上の七ツ森が映し出されています。

宿場内は蔵造りの商店などが幾つか残っていますし、映画のラストシーンにも映されていますが、主人公の穀田屋は酒店として現在も営業をしています。店舗の前を通ったのですが、一階は店舗に改装されていますが、二階は昔の建物の雰囲気が残り、格子戸もありました。歩いた時はまだ映画を見ていなかったので写真を写さずじまいでした。

幾重にも曲がった桝形はそのまま残っていますし,間口が狭くて奥行きが深い江戸時代を彷彿とさせる町割りだったりと,宿場だった時代の香りと、そして何より「殿、利息でござる!」の歴史と感じます。

吉岡宿は映画を見てから訪れると良いと思います。



奥州街道初めての未舗装の道


吉岡宿を越えて国道4号線を渡り段丘涯を登ると工場用地造成で旧街道は消滅しています。
今はトヨタ自動車の大きな工場が稼働しています。

ところが工場用地の北側の端から500mほどですが未舗装の道が現れます。日本橋から日光街道・奥州街道と歩いて来て初めての本格的な未舗装の道です。

かつては人馬が行きかった道を潰して,人馬の移動に変わる自動車を作る工場のすぐそばに昔のままの道が残っているのは新旧が混在した面白い組み合わせです。




注:
栃木県氏家から喜連川に至るニッカウイスキー工場付近の道も旧街道の雰囲気を良く残していますがその区間は舗装されています。

三本木宿

三本木宿には伊賀という所で北に進路を変え東北自動車道沿いに進みます。
三本木宿に近ずくと鳴瀬川・江合川の作った大崎平野が広がる風景が望めます。豊かな稔りを感じさせる土地です。霞んでいますが左上の山は栗駒山です。栗駒山は宮城県・岩手県・秋田県にまたがる山です。

大崎平野


左:船形山  右:薬莱山
奥羽山脈船形火山群に属する山で船形山はその主峰です。船形山の西側は山形県です。


大豆坂地蔵尊
鳴瀬川に下る坂の途中にあります。元々は明和2年(1765年)に火あぶりで処刑された人を弔う為に建立されたとの事ですが,現在は延命子育ての地蔵尊として信仰されています。

境内の裏側は 道の駅 「三本木 やまなみ」 です。
この三本木宿の項に掲載した写真でもお分かりの様に,道の駅 やまなみ の名前の通り この付近からは奥羽山脈の山々が望まれ変化に富んだ風景が楽しめます。

宿場は鳴瀬川の河畔周辺にありましたが現在は宿場の面影はあまりありません。
鳴瀬川


古川宿

古川駅まで歩きましたが,夕闇に包まれて写真が写せませんでした。古川宿は次のページに掲載します。

エピローグ

かつて単身赴任で仕事をしていた土地を再訪しました。懐かしい思い出や仕事での苦労などが頭の中をよぎりました。仕事は大変な事も、嫌な事も多々ありましたが,それ以上に新しい事を生み出す仕事の楽しさと責務、そして人の役に立つ事をしたいという気持ちが勝っていた様に思います。

話は変わりますが,小学校2年生のときの授業で,先生が「世の中の仕事で一番大切な仕事は何だろう?」と児童に問いかけた事がありました。児童は自分の親の仕事を口々に答えていましたが,ある女性の同級生は「人の役にたっている仕事はどれでもみんな大切な仕事だと思います。」と答えました。同級生達が「アッ!」と息を飲みこみ、教室が静まり返った事を今でも覚えています。それにしても小学2年生にこんな問いかけをする先生も凄いけれど,その問いかけに見事に答えた小学2年生の児童も凄いと思います。


END

2020年07月31日 富谷宿,吉岡宿に記述追加
2019年01月22日作成 

Column


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