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電子足跡:おくのほそ道歩き旅
 松島から石巻へ  (石巻街道)


プロローグ

おくのほそ道の”石の巻”の段では,芭蕉と曾良は平泉を目指して松島を旅立ち,途中,奥州街道沿にある,歌枕「あねはの松」(宮城県栗原市姉歯),「緒だえの橋」(宮城県大崎市古川)を訪れようとしたが,道を間違えて石巻に着いたという事になったと描かれています。道も定かでない,如何にも「みちのく」の旅と言う描写が印象的です。
当時のこの周辺の道筋は分かりかねますが,”路ふみたがえて”石巻に行ったと言う表現は文学的なレトリックの様な気もしますが,大崎市古川に行こうとしたが,高城村北部付近で北方向,現在の道路で言えば国道346号線(佐沼街道)に行くところを北東方向に行ってしまい,”路ふみたがえて”そのまま石巻街道を進んで石巻に行ったのかなと想像します。

さて,松尾芭蕉と河合曾良は塩釜から海路で松島に渡って雄島の磯に上陸しています。
2007年7月7日 私の奥の細道歩きは雄島からスタートしました。


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都道府県 旧街道名等 芭蕉が歩いた日(西暦)  私が歩いた日 GPS
移動距離
 区間
宮城県 石巻街道 松島~石巻 1689/6/26 2007/7/7 32.0km 松島海岸駅~石巻駅 


↑GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法

↑地理院地図(電子国土web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

おくのほそ道 松島から石巻概略地図 (ほぼ石巻街道)
赤い実線は私が歩いたGPSログをプロットした道筋です。
おくのほそ道と曾良日記に記載がある地名を地理院地形図の現在の地名に当てはめると下の地図の様になります。文献にあたっていないので,全ての地名の場所が正しいかは定かではありません。
おくのほそ道 松島から石巻
カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


雄島(御島)

雄島は,お土産屋さんなどがある松島の中心地から西側に少し離れた周囲600m程の島です。
諸国から集まった僧侶が修行をした場所で全島が霊場でした。松島という地名の発祥の地とも言われ,松が生い茂る島のいたる所に岩窟や石仏が点在して独特な雰囲気があります。また古来より歌にうたわれた歌枕の地でもあります。

朝早い事もあったと思いますが観光客は誰一人としていませんでした。
静かな佇まいの中に横たわる雄島から霊気を貰ったような清々しい気持になります。

渡月橋を渡って左側が雄島






上の写真右 ”奥の細道 雄島”と書かれた スタート地点の木柱。ここから私の奥の細道が始まります。

瑞巌寺

洞窟遺跡群の石仏
瑞巌寺の創建は平安時代初期に遡り 828年(天長5年)慈覚大師円仁が延福寺を建立したのが始まりと伝えられています。
奥州藤原氏,鎌倉幕府などその時々の権力者の庇護を受けましたが鎌倉時代中期開創以来400年の歴史をもって閉じました。
その後法身禅師が円福寺を開山し勢力を拡大しましたが戦国時代に衰退しました。
関ケ原の戦い以後は1604年(慶長9年)に伊達政宗自ら縄張りを行って始まり丸4年の歳月をかけて伽藍が完成しています。
(以上,瑞巌寺ホームページより抜粋)

芭蕉と曾良が訪れたのはそれから80年後1689年(元禄2年)の事です。


瑞巌寺は伽藍は勿論,狩野派の屏風絵などを鑑賞するのも良いのですが静かな境内を散策するのも良いものです。
この日は朝早かったので境内に観光客は少なく,
更に朝日が石仏の真横から差し込み幻想的な光と影で浮かび上がっていました。

洞窟遺跡群


中門     苔生した境内


松島湾

おくのほそ道の ”序章” で芭蕉は ”松島の月先ず心にかかりて,・・・” と書いています。
”松島”の段には 芭蕉が詠んだ句が無いのは有名ですが,松島の風景を ”其気色窅然(そのけしきえうぜん)として,美人の(かんばせ)(よそほ)ふ”と表現しています。

秋田の象潟は "象潟や 雨に西施が ねぶの花" と詠んでおり,紀元前5世紀春秋時代の中国の美女 "西施" に例えています。美しい風景を美女に例えたのは記憶の限りでは松島と象潟だけではないかと思います。

写真左:五大堂 (元々は瑞巌寺の一部)
写真右:松島の風景 
 ”二重にかさなり,三重に畳みて,左にわかれ右につらなる。”と おくの細道 に書かれた風景


石巻街道

松島湾を後にして石巻街道を進みます。石巻街道は仙台城下と石巻を繋ぐ街道です。

石巻街道の宿場”高城”の街中を北に向かいますが,所々北北西方向に分岐して国道45号線に繋がっている道があります。現代でもどちらに進んで良いのか迷います。

写真左:日本橋より百里の一里塚跡
写真右:供養塔 明和三年丙戊(1766年)と刻まれています。


写真左:高城を越えた辺りのおくの細道 (松島高校付近)
写真右:松島町北小泉十文字付近


"芭蕉の道" 石柱
松島市上下堤平崎前付近。国道45号線に沿って一段高い場所に旧道が続いています。途中に”芭蕉の道”と書かれた石柱があります。この道が "おくのほそ道" とお墨付きを貰った様でホットします。


山沿いの道が鳴瀬川と吉田川の合流点付近にぶつかると風景が一転して開放的な空が広がります。

さて,ここから先の "おくのほそ道" の道筋ですが
曾良日記には ”小野(四里余),石巻,仙台ヨリ十三里余,小野ト石ノ巻の間,矢本新田ト云町ニテ咽乾,・・・”
とあります。私が歩いた道は国道45号線ですが 45号線は"小野" "矢本" と云う地名を通っています。

写真左:鳴瀬川より太平洋方向を望む
写真右:三輪神社 小野付近




写真左:北上運河 明治になって開削されました。
写真右:石巻市街



END 

2019/12/12 ver6.11.01 一部内容変更。レイアウトの方式を変更
2018/12/21 ver5.17.0 ポップアップで起動する地図をGoogleMapから地理院地図(電子国土web)に変更
2017/08/22 作成

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