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電子足跡:おくのほそ道歩き旅
石巻から一関へ (一関街道)

プロローグ
”おくのほそ道”では石巻から平泉に行く道中の記載は驚くほど素気なく書かれています。
石巻を旅立ち,北上川の堤防を歩き,長い沼に沿って歩いて,戸伊摩(現在の宮城県登米市)で一泊して,平泉に行った。その距離二十数里だったと思う。と書かれているのみです。
一方,曾良旅日記には,下記の様に歩いた道筋と距離が書かれています。曾良旅日記に書かれている地名を現代の地名に当てはめると下記の地図の様になります。
十一日 天能。石ノ巻ヲ立。(中略) 二リ鹿ノ股(一リ余渡有),飯野川(三りニ遠し。この間,山ノアイ,長キ沼有)。曇り。矢内津(一リ半,此間ニ渡し二ツ有)。戸いま(伊達大蔵),儀左衛門宿不借,仍検断告テ宿ス。検断庄左衛門。
十二日 曇。戸今を立。三リ,雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ,安久津 (中略),加沢。三リ,皆山坂也。一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。
(芭蕉 おくのほそ道 岩波文庫より)
都道府県 | 旧街道名 | 芭蕉が歩いた 日にち(陽暦) |
私が歩い た日にち |
GPS距離 | 区間 | |
宮城県/岩手県 | 一関街道 | 石巻~登米 | 1689/6/27 | 2007/08/25 | 25.5㎞ | JR石巻駅-柳津駅 |
2009/01/17 | GPSログ消失 | JR柳津駅-花泉駅 (30km) |
||||
登米~一関 | 6/28 | 2009/02/14 | 15.7㎞ | JR花泉駅-一関駅 |
おくのほそ道 石巻から一関 概略地図
注:柳津から花泉の区間のGPSログを消去してしまいました。青の破線は推測したルートです。

![]() |
↑地理院地図(電子国土web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。 |
GPSログをGoogleEarthでツアーする方法 |
カシミール3D 国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。
石巻から柳津
スタート地点は前回のゴールJR石巻駅からスタートです。”おくのほそ道”では石巻を発って ”遙かなる堤を行” とあるので旧北上川の堤防に沿って進みます。北上川の流れはゆったりとして”悠久”という言葉が頭に浮かびます。
写真左:旧北上川から愛宕山を望む
写真右:堤防沿いの石仏群



おくのほそ道を歩くといたる所に馬頭観音の石柱を見かけます。東北地方は馬の産地だった事もあると思いますが,輸送手段や農耕が馬に依存していて,馬が生活に溶け込み人々が馬に感謝していた姿が目に浮かびます
天王渡し跡

JR石巻駅からおよそ9㎞歩いて石巻市鹿又の旧北上川に架かる天王橋を渡って少し行くと ”天王渡し”跡 があります。
曾良日記に書かれている”渡”はこの地の事ではないかと思います。
今は河川敷が広がっていますが当時はこの辺りまで川幅が広がっていたのでしょう。地理院地形図の地名は”舟渡”となっています。
天王橋を渡って旧北上川と北上川に挟まれた腰の様にくびれた場所を進むと飯野川橋に出ます。
現代は北上川と言っていますが,以前は飯野川と呼ばれていたようです。
飯野川橋を渡ると蛇行する北上川の川沿いに開けた飯野川地区に出ます。橋の上から飯野川地区の家並が見えますが何とも言えず懐かしい感じの街並みが遠望できます。
飯野川地区を越えると
山に挟まれた北上川に沿って続く国道45号線を進みます。大型トラックが通るので少し怖い感じがしますが,河の流れと木々の深い緑を満喫する事ができます。


この歩きの後,”おくのほそ道歩き旅”は中断してしまいました。
柳津から花泉
写真が突然冬景色になります。この区間を歩いたのは2009年1月17日です。登米市付近
登米市付近の北上川

登米大橋を渡って堤防を少し北上すると,検断庄左衛門の屋敷跡に”芭蕉翁一宿の跡”の石碑が建っています。
河川改修で検断屋敷が堤防に埋もれた為に堤防の上に石碑が建てられたとのことです。
話は変わりますが
登米市は”みやぎの明治村”と言われて,明治・大正期の建物が多く残っています。
とりわけ”旧登米高等尋常小学校校舎”は校舎が当時のまま建っていて圧巻です。
長徳山歓喜院 弥勒寺
登米市中田町にある真言宗智山派の古刹です。


一関市花泉町永井付近の案内板
この付近の一関街道はバイパスなどを除けばほぼ現在の国道342号線に沿っていたようです。

花泉から一関
花泉町金沢宿 曾良旅日記では ”加沢” と書かれている宿場です。


金沢宿の西のはずれにある金沢郵便局の交差点を北に曲がり北上します。しばらく行くと国道342号線に合流します。GoogleMapでは合流点から西に向かう国道342号線に一関街道と書かれているので342号線を西に進みたくなりますが,岩手県の調査では西に向かわずそのまま北上する道を通ったと記載されていたインターネット情報がありましたのでそのまま北上しました。
下の写真は ”三リ,皆山坂也” と曾良旅日記書かれている風景です。
五合田の”芭蕉行脚の道”の石碑




一関市内
黄昏時に一関に着いた芭蕉と曽良は,磐井川のほとりの松尾芭蕉二夜庵跡に宿泊して,翌日日帰りで平泉を訪問しています。写真左:芭蕉の辻 JR一関駅前のメインストリート
写真右:旧沼田家武家屋敷


写真左:酒の民俗文化博物館
写真右:松尾芭蕉二夜庵跡(金森邸跡)
平泉に行く前に一泊,帰ってきて一泊。磐井橋のたもとにあります。


END
2019/12/12 ver6.11.01 一部内容変更。レイアウトの方式を変更
2018/12/21 ver5.17.0 ポップアップで起動する地図をGoogleMapから地理院地図(電子国土Web)に変更
2017/09/07 作成
Column
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