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電子足跡:おくのほそ道歩き旅
  一関から岩出山  (陸奥上街道)


プロローグ


芭蕉の「おくのほそ道」では一関(岩手)から岩出山(宮城)の道程に関しての描写はありません。”尿前の関”の冒頭に「南部道遙にみやりて,岩出の里に泊まる。」とあるのみです。

「おくのほそ道」には何の描写もありませんが,陸奥上街道の区間の多くは地理院地形図にも記載が無い山あいの木立の中を、舗装されていない道が続いています。有名な名所・旧跡はありませんが芭蕉と曾良も同じ風景を見ながら歩いたのかと思える当時の面影を残している良い道です。
そして,史実は定かではありませんが陸奥上街道は義経主従が平泉に落ち延びる時に通った道ではないかと言われています。


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要所に各自治体が立てた道標や説明板があり道に迷う事が少なかったです。ここまで道標が整備してある旧街道はあまり無いように思います。ただこの区間は途中に鉄道の駅がなく分割して歩くのは少々厄介です。分割して歩く場合はバスかタクシーを利用する事になります。或いは芭蕉と曾良の様に1日で50㎞近い道を歩き通すか・・・。私はJR一関駅から大崎市岩出山の天王寺追分までの45.5㎞を栗原市一迫(真坂宿)で区切り2日に分けて歩いています。

注意点
・民家が無い区間も多々あります。飲料水・食料・雨具・ヘッドライト・携帯電話などしっかりと準備したほうが良いです。
・未舗装の区間も多いですし急な坂道もあります。天候によってはぬかるむ場所もありますので,しっかりとした靴を履いた方が良いです。
・季節によっては草が生い茂り歩行が困難になる可能性があります。

都道府県 旧街道名   芭蕉が歩いた
日にち(陽暦
)
私が歩い
た日にち
GPS距離 備考
岩手県/宮城県 陸奥上街道 一関~岩出山 1689/6/30 一関~真坂
2009/03/20
31.9km 一関駅、岩出山駅or有備館駅
(一関~岩出山まで鉄道路線なし)
真坂~天王寺追分
2009/04/04 
13.6km

 
 
↑GPSログをGoogleEarthで
ツアーする方法

  ↑地理院地図(電子国土web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。  


カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


一関宿

一関は市街地の南西部の釣山に築城された一関城の城下街として発展しました。市街地は格子状の町割りでスッキリとした街並みです。近代的な建物に建て替わっていますが東北地方の静かな雰囲気を持つ良い街並みです。

JR一関駅を降りて大通りを南に進みます。ほどなく願成寺の山門が見えます。一関城があった釣山周辺には寺院が多く集まっていた様で東北地方の小都市に在っては立派な山門に驚かされます。
願成寺を過ぎて直ぐに奥州街道と陸奥上街道の追分になります。

写真左:白馬山願成寺山門
写真右:境内の石仏群


陸奥上街道追分

台町付近。国道342号線と斜めに接続している登り坂が陸奥上街道です。

如何にも旧街道という雰囲気が漂っています。

蔵主沢付近から一関カントリークラブ付近まで

家並がまばらになり国道4号線一関バイパスの高架下を過ぎた辺りから民家が途絶えて,一関市真柴蔵主沢付近から未舗装の山道になります。
正直に言いますが,下の写真の道標が山の中を指していたのを見たときは,道標が間違っているのではないか?と思ったと同時に「ここを歩くの?!」と不安で気後れがしました。

蔵主沢付近の道標


街道は高速道路の下を通っています


刈又一里塚
これまでに幾つか一里塚を見ましたが街道の両脇に一対の塚が当時のまま残っている一里塚は珍しいです。
小振りの一里塚ですが,意外に高さがある事に驚きました。

一関カントリークラブの中を歩く
刈又一里塚を越えて500m程行くと
”この先通り抜けできません”の看板が設置されていました。道が消滅しているのかと思いましたが,進むと一関カントリークラブの脇に道が続いていて,途中からゴルフ場の敷地の中を通る事になりました。

当時は何の疑問も無くゴルフ場の中を歩きましたが,私有地ですので一関カントリークラブに歩いても良いか電話で確認しました。
ボールに気をつけてもらえれば歩いても良いとの回答でした。
また,担当の方のお話では,街道は市が整備しているけれど,夏場はゴルフ場手前の旧街道は草が生い茂り歩くのが難しい場合があるとの事です。 (2017/09/30 確認)


宮城県金成 付近

一関カントリークラブを過ぎてよしめき坂を下ると宮城県です。
未舗装の道が断続的に続いています。この区間だけではないですが陸奥上街道は一関市や金成町(現栗原市金成)の教育委員会が要所に道標を立ており道を間違える事が少なかったです。

金売吉次の出身地?
金売吉次は本ホームページの ”奥州街道歩き旅 大田原宿から白河宿へ” と ”おくのほそ道歩き旅 一関から平泉” に少し記載していますが,ここ金成町は平家物語,義経記などに登場し,源義経を平泉に導いた商人 金売吉次 の出身地という伝承がある町です。
GoogleMapにも載っていますが,延年閣という温泉施設付近の国道4号線から西に少し入った所に金売吉次兄弟の両親である炭焼藤太夫婦の墓があります。



街道が消滅
金成牧場付近の地理院地形図に”段ノ原”と書かれている付近はそれまで尾根筋を通っていた陸奥上街道と新道が交差しています。尾根を切通して新道を通した為に旧街道は高さ数mの崖の上で途切れています。
左写真の道標の上の平になっているところが旧街道です。
引き返すのも嫌なので崖を下りましたが,通行は充分気をつけて下さい。

岩ケ崎宿 栗原市栗駒岩ケ崎 付近

なんでここに町が発達したのだろう?と思うくらい意外に大きな町が現れます。
町の北側の小高い山に中世に築城されてから明治維新まで続いた鶴丸城の城下町との事です。地図を見ると道が桝形(敵の侵入を防ぐ為に意図的にクランク状に曲げた道)になっている部分が確認されます。
東西約650m南北約400mの広大な山城だったとの事です。

岩ケ崎宿の街並み


写真左:くりはら田園鉄道線廃線跡
写真右:町を過ぎると田園地帯です


岩ケ崎宿から真坂宿(一迫) 付近

岩ケ崎の町を越え田園地帯を進んでいくと,小高い尾根を通る開放的な道になります。説明板によるとこの付近は”祠堂(志登)が森”と言われ早い時期に廃道になった為に逆に当時の姿が良く保存されているとの事です。

途中に芭蕉と曾良が休んだ”芭蕉衣掛の松”がありますが現在は切り株だけが残っています。
歩いた2009年には無かったですが,現在は保存の為に蔽い屋根が設けられているとの事です。
衣掛の松と言っても”おくのほそ道”や”曾良旅日記”には,ここで松に衣を干して休んだと書いてある訳では無いですが,眺望が良くて仙台藩主がここを通るときはここで休んで領内を遠望する場所だったと説明板に書いてありました。芭蕉のみならず多くの旅人が風景を楽しみながら松の木陰で休んだ場所なのでしょう。

写真左:尾根に続く道
写真右:芭蕉衣掛の松


写真右:県道17号線との合流点


真坂宿  栗原市一迫(いちはさま)
曾良旅日記には
十四日 天気吉。 一ノ関(磐井郡之内)ヲ立。四リ,一ノハザマ・岩崎(栗原郡也),藻庭大隅。三リ,三ノハザマ・真坂(栗原郡也)。 (芭蕉 おくのほそ道 岩波文庫より)
とあります。
脚注に  一迫。実際は三迫。  三迫。実際は一迫  とあります。
現在の地名は北から三迫,一迫ですので曾良が間違えて日記を書いた様です。

写真左:一迫川
写真右:真坂宿の街並み


秋葉神社境内
今日は秋葉神社でゴールです。境内に芭蕉の句碑が建っています。
神社から少し行った所の国道398号線はバスが通っていました。
2009年に歩いた時は真坂から築館市街までバスに乗り,築館市街から東北新幹線くりこま高原駅までタクシーを使いました。

インターネットで調べると現在も市民バス花山線が運行されていますが築館行きのバスは一日6本しかありません。

真坂宿から天王寺追分へ

日にちは変って2009年4月4日です。
この区間の堂の沢から天王寺までは”文化庁 歴史の道百選”に選出されており旧街道の雰囲気が良く保存された道です。とりわけ”千本松長根”と言われている尾根伝いの旧街道は雰囲気が非常に良いです。

左図:真山に設置されている説明板の絵地図
写真右:右側の石畳の道が陸奥上街道

↑クリックすると大きな画像が開きます

千本松長根
馬館地区を過ぎて少し行くと,尾根沿いの赤松の森の中に1.5㎞も旧街道が続いています。松独特の清々しい香りの中を小鳥のさえずりを聞きながら歩きます。
陸奥上街道の道中でどこが一番良いか?と問われたら千本松長根と答えます。





天王寺追分
陸奥上街道と出羽街道の追分です。
追分の少し手前に天王寺一里塚が残っています。少し損壊していますが1対の塚が確認出来て規模も大きな一里塚です。

岩出山
曾良旅日記には芭蕉と曾良は天王寺追分を北西に曲がり1km程進んで”一ツ栗村”にまで行ったものの,目指していた”小黒崎”はまだ遠いと知り引き返して岩出山に投宿する事になったと記載されています。
岩出山は伊達政宗が米沢から移封(いほう)され,仙台城(青葉城)を築城するまでの12年間の居城となった土地です。

写真左:天王寺一里塚
写真右:天王寺追分  緩い坂を下ってくると天王寺追分です


写真左:天王寺追分
写真右:天王寺追分付近の茅葺きの民家


エピローグ

天王寺追分を過ぎて奥の細道湯けむりラインの上野目駅を目指して歩いていたら,ワゴンタイプの小さなバスが停車場でもないのに脇に止まりました。気の良さそうな運転手さんが乗って行けと声をかけてくれたので上野目駅まで小さなバスに乗りました。のどかな経験でした。

参考
歩いたのは2009年でしたが,陸奥上街道は各自治体の力で山間部の山道であるにも関わらず,案内板などが良く整備されています。
本ページを作る為に改めてインターネットの情報を調べましたら,宮城県のホームページに奥州上街道を紹介するページが見つかりました。

タイトルは ”おくのほそ道散策マップ 芭蕉とみちのく浪漫を歩く旅(一関~栗原~岩出山~川渡)” です。


END

2022/09/08 これまで "奥州上街道" と表記していましたが、地理院地図に "陸奥上街道" と表記されていましたので "陸奥上街道" に修正しました。
2019/12/12 ver6.11.01 一部内容変更。レイアウトの方式を変更
2018/12/22 ver5.17.0 ポップアップで起動する地図をGooleMapから地理院地図(電子国土Web)に変更

2017/10/10 作成

Column


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