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電子足跡:おくのほそ道歩き旅
 楯岡宿(村山)から新庄宿へ
  羽州街道を歩く道


プロローグ

このページは松尾芭蕉と曾良が歩いた”おくのほそ道”を楯岡宿(山形県村山)から大石田を通り、猿羽根峠を越えて新庄宿まで歩いたページです。
この道は立石寺(山寺)から帰って来て、最上川沿いの大石田に逗留したあと、羽州街道を北上しました。この区間は猿羽根峠(さばねとうげ)を越えます。当時は難所と言われていました。猿羽根峠への道は未舗装の雰囲気の良い道です。

大石田で開かれた連句の会の発句が

 五月雨をあつめて涼し最上川

で、後に推敲されて ”涼し” が ”早し” になっておくのほそ道に掲載されたのは有名な話です。

補足ですが
羽州街道は福島県桑折宿で奥州街道と別れて宮城県の山間部を通り山形に入り上山-山形-天童-楯岡(村山)-尾花沢-新庄を通り秋田県に抜け青森県の油川で再び奥州街道と合流していました。


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都道府県 旧街道名   芭蕉が歩いた
日にち(陽暦
)
私が歩い
た日にち
GPS距離 備考
山形県 羽州街道 立石寺~大石田 1689/7/14 2009/06/27 37.2㎞ 村山駅~新庄駅
猿羽根峠越え
大石田~新庄 1689/7/17

   
↑GPSログに写真がマッピングされた
 地図が開きます

GPSログをGoogleEarthでツアーする方法

カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


楯岡宿(村山市街)付近

前ページの「おくのほそ道歩き旅 村山から立石寺(山寺) 羽州街道」にも記載しましたが、村山は山形県の小都市です。
旧街道の雰囲気は余りありませんが山形県の地方都市の長閑なゆっくりと時間が流れている感じがします。

街中には所々古風な建物がありどことなく懐かしい雰囲気がある街です。

写真右:やまか呉服店


愛宕神社
街の中に突然なんの前触れもなく岩塊がむき出しになっていました。不思議な地形なので信仰の対象になったのだと思います。

古くから 「火伏せ愛宕大権現」 と言われて、特に火防に御利益があるとして信仰されていました。
境内には12本のケヤキがあり御神木として信仰されている大木は推定樹齢300年、樹高約20m、幹回り3.1mとの事です。



尾上のマツ
村山駅から北に5kmほど進んだ路傍にあります。

説明板によると
最上家隆昌の頃から羽州街道沿いにあったとの事です。 もとは雌雄2株のマツで相生マツと言われていました。 雌株のマツが大正12年に雪で折れて枯れたとの事です。 雌株の年輪を数えて雄株の樹齢約600年と推定したとの事です。 左側のマツは大正12年4月に本飯田の有志の方達が植えました。

大石田


 五月雨をあつめて涼し最上川

この句は大石田の一栄(英)宅で連句の会が開かれ、その発句であり、後に推敲されて ”涼し” が ”早し” になった事は有名な話です。

 五月雨をあつめて早し最上川

芭蕉と曽良は宮城県から山刀伐峠を越えて出羽の国(山形県)に入り尾花沢で清風という紅花問屋を営んでいる俳人の家に逗留します。
人々から立石寺(山寺)を訪れると良いとの勧めで立石寺(山寺)を訪ねます。
翌日、立石寺(山寺)から来た道を戻ります。”曾良日記”には 立石寺に行った道を馬を借りて天童に行き、六田を通って大石田の一英(栄)宅に着いたとあります。一栄(英)は大石田で船問屋を営んでいて芭蕉と曾良は3日間宿泊します。

「おくのほそ道」には、”最上川を舟で下ろうと思い大石田で舟遊びよい晴天を待った。 待つ間に請われるままに土地の人達に俳句の指導をした"と書かれています。

そこで、私は尾花沢に向かわず、羽州街道から離れますが大石田を通って新庄に向かう事にしました。
羽州街道から暫し離れますが芹沢の種林寺付近で合流します。

羽州街道追分 追分茶屋 道標跡
村山駅から9km程歩いた場所の羽州街道の追分です。
写真右の道が羽州街道、左の道が大石田に向かう道です。

説明板によると
この地が羽州街道と大石田に向かう道の追分で、かつては室町時代か江戸時代頃から大石田・尾花沢へのみちしるべがあったのですが、戦後の道路改修で取り壊されましたとの事です。平成11年に道標の一部発見され、「大石田」「道」と書かれた文字が刻まれていたとの事です。

最上川
追分を過ぎて1.5km程進むと、山形新幹線・羽州本線を越すと直ぐに最上川に出会います。
ここで初めて最上川を見ました。

河川改修が進んだ現在と江戸時代を比較しても意味はありませんが、”おくのほそ道”にも書かれている ”ごてん(碁点)・はやぶさ(隼)” という最上川の難所はここから直線距離で10~5kmほど上流ですが、この場所では急流という感じはしません。

大石田船役所跡
寛政4年(1792年)に設けられた幕府の川船役所跡です。当時は最上川の川船差配役制度が混乱し、円滑な河川交通が行われなくなったため、幕府が最上川船運を直接支配する様になったとの事です。(大石田町ホームページより)

上流は ”ごてん(碁点)・はやぶさ(隼)” という船運には適さない難所があったため上流で収穫された米や紅花は陸路で大石田に運ばれ、北前船で運ばれた荷物は大石田で降ろされ更に内陸に運ばれるという物資の集散地だったとの事です。明治になって鉄道路線が整備されるまで、船運は現在で言えば高速道路や主要国道のような物流の主要な流通経路ですので大石田は船運で栄えました。



船運で栄えた町をである事を証明する様に蔵造の商店が複数ありました。


前述の様に ”おくのほそ道” には ”最上川を舟で下ろうと思い大石田で舟遊びよい晴天を待った。” と書いてありますが、”おくのほそ道”にも”曾良日記”にも大石田で船に乗ったとは書かれていません。

”曾良日記”には六月朔(朔=陰暦の第一日目=新月の日 陽暦7月17日)に大石田を発ったとあります。

猿羽根峠(さばねとうげ)

曾良日記によると大石田を発った二人は
『六月朔 大石田を立。辰刻、一英・川水、阿弥陀堂まで送ル。馬弐疋、舟形迄送ル。二里。一里半、舟形。大石田ヨリ、出手形ヲ取、ナキ(名木)沢二納通ル。・・・(以下略)』 (岩波文庫 芭蕉おくのほそ道 より)
舟形も名木沢も猿羽根峠を挟んで現存する地名です。

この道は国道13号線と自動車専用道の尾花沢新庄道路が最上川の河岸の狭い場所に並行して走る川原子ICの手前から山道に入り旧羽州街道の面影が色濃く残る未舗装の心地良い道が続いています。





地蔵堂
猿羽根峠には地蔵堂が祀られています。
山の中の地蔵堂ですが、多くのロウソクが灯され、参拝者も数名訪れていました。




猿羽根峠の一里塚
慶長九年(1604年)幕府の命令で街道沿いに一里塚を築くように命じてからですが、
羽州街道は羽州の大名筆頭である秋田藩主佐竹氏が参勤交代の為もあったと思いますが積極的に整備してしたとの事でその箇所を「佐竹道」と読んだとの事です。

猿羽根峠


舟形宿


夫婦せんのき
猿羽根峠を下ると舟形宿です。現在の舟形宿はそれほど大きな街ではありません。町を過ぎ小国川を越えると山神と書かれた鳥居があります。山の斜面に根本からふたつに分かれた”せんのき”(=ハリギリ)があります。”夫婦せんのき”と説明板に書いてありました。

羽州街道踏切
羽州街道に限った事ではないですが、鉄道と旧街道が交差する踏切に旧街道名が書いてある場合があります。
ここはJR陸羽東線(=愛称 奥の細道湯けむりライン)との交差点です。

陸羽東線は宮城県の小牛田から山形県の新庄までをを結んでいる鉄道路線です。
本ホームページの 「おくのほそ道歩き旅 岩出山から赤倉温泉駅」のページでも紹介していますが、宮城県岩出山から山形県赤倉温泉駅の区間は陸羽東線に沿って奥の細道が続いています。

史実は定かではないのですが、源義経主従は平泉に庇護を求めて落ち延びるときに、この地を流れる小国川を遡って奥羽山脈を越えて平泉に向かったと言われています。

写真左:紫山 夫婦せんのき
写真右:羽州街道踏切


新庄宿


新庄宿は最上地方の中心的都市で比較的大きな街です。かつては新庄藩の城下町として発展しました。
明治4年(1871年)の廃藩置県で新庄県が置かれ、その年の内に山形県に合併される僅かな期間の県でした。

鳥越の一里塚
新庄城跡から直線距離で2.5kmほどの所にある一里塚です。
「羽州街道遺跡 新庄城下南入口」と書かれています。

新庄氏のホームページによると
寛政11年の本によると江戸から新庄城まで110里25丁と書かれていることから、鳥越の一里塚は110番目の一里塚との事です。
気のせいかこの付近から家が多くなったような気がしました。

エピローグ

新庄駅の周辺に宿泊したのですが、駅のそばの居酒屋に食事に行きました。
私以外にお客はいなくて、私より10歳ほど年上と思えるご主人と話しながら食事をしたのですが、ご主人は時々店を休みにして車で日本中を旅するとの事で、これまで7回日本を縦断したそうです。
その都度テーマを決めて、例えば”有名な神社仏閣を巡る旅” ”名瀑を巡る旅” などの様にして日本中を旅したとの事です。

このページは歩いてから10年経ってから書いていますが、どんな料理を食べたのか、どんな銘柄のお酒を飲んだのかは全く覚えていませんが、7回も日本を旅をした話は記憶に残っています。


END

2022/02/26 ver8.18.00  不要コード削除
2019/12/12 ver6.11.01  一部内容変更。
2019/10/30 作成

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