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電子足跡:日光例幣使街道歩き旅
 天明宿から栃木宿へ


プロローグ

日光例幣使街道を 天明宿(てんみょう)-犬伏宿-富田宿-栃木宿 まで歩いたページです。

これまで倉賀野からほぼ東に向かって歩いてきた道が東武日光線静和駅付近で北東に進路を変えて日光に向かう様になります。
途中には、NHK大河ドラマ 「真田丸」 で有名になりましたが、関ヶ原の合戦を目前に控えて、真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子の「犬伏の別れ」の舞台になった薬師堂を通ります。
また、足尾山地の南端に位置する、切り立った断崖を持つ岩船山の奇景を望む事ができます。

天明宿は栃木県佐野市にあった宿場です。
この日は佐野駅から合戦場駅まで歩こうと思っていたのですが、合戦場駅付近に駐車場が見当たらなかったので、予定を変えて佐野駅から栃木駅まで歩く事にしました。
朝、栃木駅前の駐車場に止めて、栃木駅からJR両毛線で佐野駅まで僅か15分。日光例幣使街道はアクセスが良いので本当に歩き易いです。


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都道府県 区間 歩いた日 GPS
移動距離
備考
栃木 佐野駅-栃木駅 2020年1月16日 19.6km  

 kmz形式
↑GoogleMapと地理院地図に
GPSログと写真がマッピングされた
地図が開きます
GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法


カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


天明宿

佐野駅から南に歩いて佐野市役所を左に曲がってスタートです。昨日歩いた佐野市役所の西側の天明町、本町などには古い建物が残っていましたが、東側の通りは建物が建て替わっています。

佐野市役所から東に500mほど歩くと道は90度曲がり北に向かいます。1kmほど進むと今度は東に90度曲がっています。桝形というには曲がり方が長すぎます。

その突き当りに永仁2年(1294年)に開創した妙顕寺があります。立派な伽藍です。
その隣には鳥居がありますが、参道の奥に拝殿や本殿が見えないです。写真奥に見える小高い岡の上にある八幡宮の鳥居です。
もしかしたら、元々は参道だった道がそのまま例幣使街道として使われる様になったのかなと思いましたがあくまで推測です。

写真左:妙顕寺
写真右:八幡宮鳥居


犬伏宿

犬伏宿は大きな宿場で 新修五街道細見 (岸井良衛 青蛙房)の犬伏のところには「犬伏は町長し、ひなにはめづらしき綺麗なる町なり。」と書かれています。

本陣跡は犬伏小学校が建っているところとの事ですが特に何も残っていませんでした。
犬伏小前の道路を挟んだ反対側に古いですが立派な作りの旧家がありました。説明版が見当たらなかったので詳細は分かりません。


犬伏宿の家並みと米山古墳
写真右の奥に見える丘は米山古墳です。もとから在った山が前方後円墳の様な形のため、関東最大の前方後円墳と誤認された時期もあったらしいですが、山頂部に47m・高さ5mの帆立貝式古墳が築かれているとの事です。
現在は米山古墳としてより、真田父子「犬伏の別れ」の舞台になった薬師堂がある場所として有名です。


真田父子「犬伏の別れ」

NHKの大河ドラマ 真田丸 で描かれた 真田父子の犬伏の別れはここ米山古墳の麓にある薬師堂が舞台です。
説明版によると
慶長5年9月15日(1600年10月21日)の関ヶ原合戦の目前、7月21日(8月29日)、徳川家康に参陣して会津の上杉討伐に向かって、この地に陣を張っていた真田父子のもとに石田三成から豊臣方に味方するよう密書が届きました。
この密書を受けで真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)の父子は三人で話し合い、どちらが勝っても真田家が残るように、信幸(信之)が徳川方、昌幸と信繁(幸村)が豊臣方に分かれて戦うことを決断した場所がこの薬師堂だったといわれています。




絵は説明版に掲載されていたものを使わせて頂きました

岩船山

ページのトップに掲載した写真が岩船山です。

足尾山地の最南端にある標高172.7mの山です。関東の高野山ともいわれて霊山としても知られており、山の上には高勝寺があります。江戸時代から採石が始まり昭和初期まで採掘されて、現在の様な切り立った崖に囲まれた地形になったとの事です。現在では特撮物などのロケ地や切り立った崖をバックにコンサートを開いたりと地形を利用した活用が進められているとの事です。

元々の山容がどんなだったのかは分かりかねますが、名前の岩船山から察するに山の上が平らになったメサ(卓状台地)だったのではないかと思います。地形図を見ても高勝寺がある山頂部はなだらかな地形になっています。


双体道祖神
上の写真を写して両毛線の踏切を渡って直ぐのところに双体道祖神がありました。
双体道祖神は中山道を歩いたとき高崎を過ぎたあたりから長野でよく見かけました。

中山道から随分と離れた所を歩いていると思っていましたが、中山道沿いの双体道祖神がある群馬、長野と同じ文化圏を歩いているのだと認識しました。
倉賀野の追分から直線距離で50kmしか離れていないのでそれ程驚く事でもないですけど。

三毳山(みかもやま)
地元の人以外にこの地名を読める人はそうそう居ないと思います。難読地名というより、 毳 なんて漢字初めて見たという方が大半だと思います。

三毳山は歌枕の地で万葉集の東歌に

 下毛野 みかもの山の 小楢のす まぐはし児ろは 誰が笥(け)か持たむ

意味:笥はご飯を盛る食器のことで
  三毳山の楢の若木のように美しい娘は誰の食器を持つのか
という意味で食器を持つとは妻になる事を意味するとの事です。

娘をかわいく思う父親の複雑な心情を歌った歌です。
科学技術や経済や人の暮らしぶりは大きく変わっても、昔も今も人の感情はそれほど変わるものではないなと思ういます。

慈覚大師 円仁 誕生地


話は変わりますが、三毳山の麓に 「慈覚大師 円仁 誕生地 いわふね」 とかかれた大きな看板がありました。円仁は天台宗の開祖最澄に師事して、遣唐使として唐に渡り帰国後、延暦寺三世座主(慈覚大師)となり天台宗山門派の開祖となった僧です。
以前、奥の細道を歩いたとき、宮城県松島の瑞巌寺、平泉中尊寺、山形県の立石寺(山寺)を建立や再興した僧として何度か名前を聞いた事があります。京都から随分と離れた、ここ岩船が誕生の地とは思いもよりませんでした。

岩舟駅付近
この付近は古くから開けていた地で大化2年(646年)には既に史料に名前がみえるとの事です。
地理院地図を見ると、JR両毛線の岩舟駅付近の地名に 馬宿、宿坪、宿上、宿下など宿とつく地名が沢山あります。東山道の頃の宿駅だったのかとも思いますが定かではありません

岩舟駅付近の街道筋には立派な門がありました。





岩舟を過ぎて 「富士山」という標高93mの山の脇を通って少し行くと、和泉という所で道は北に曲がります。

富田宿(とんだじゅく)


JR両毛線の大平下駅と東武日光線の新大平駅に挟まれた付近が富田宿です。

あまり宿場町だったという感じはしませんが、火の見櫓が懐かしい昭和感がある街並みです。


冨明山 宗光寺
宿場外れの街道沿いに朱色に塗られたお堂がありました。神社かなと思いましたが時宗のお寺との事です。
倉賀野から境宿へのページの五料宿の項にも書きましたが、ここにも 「天明三龍次癸卯歳」 と書かれた石仏がありました。



栃木宿


富田宿を過ぎて少し行くと県道11号線(富田バイパス)を越えて暫し永野川の堤防や東武日光線の沿線を進みます。程なく栃木市の中心部に入ります。



市街には木製の道標が所々建っているので道を間違うことはありませんでした。
それにしても何てことない生活道路が日光例幣使街道だったのは意外ですが、今も生活に溶け込んで街道が活きている事がなんか嬉しい感じがします。


栃木駅
今日は栃木駅のそばの駐車場に止めた車まで行って行動は終わりです。

明日は日光例幣 使街道最後の行程、栃木宿から楡木宿までを歩きます。

エピローグ


歩き旅をしていると、歩いているときに人から話しかけられる事は稀です。
そもそも地方の街道筋は人口も減り、空き家が目立つ事が多くて、歩いている人に出会う事も少ないです。
今回、日光例幣使街道を歩いたら随分と声を掛けられました。多くは、「何をしているのですか?」「山に登るのですか?」「どこまで歩くのですか?」「どこに住んでいるのですか?」と聞かれる事が多いです。

今日、犬伏宿では散歩中の男性が話しかけてくださって、もう少し行くと真田父子の犬伏の別れの場所があるから行ってみなさいと教えて頂きました。嬉しかったです。


END

2020/02/28 作成

Column


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