Contact
admin


電子足跡:旧山陽道(西国街道)歩き旅
 備後赤坂から安芸本郷宿へ
  尾道を通り瀬戸内海を見ながら歩く道

プロローグ
 

このページは旧山陽道(西国街道)を 備後赤坂から安芸本郷まで 2日かけて歩いたページです。
この道は旧山陽道の道筋のなかでも最も旧山陽道らしい道筋のひとつではないかと思います。

防地峠を越えて尾道に入ります。尾道は尾道水道を利用した海運で栄えた町で、今でも大きな商店街が街道沿いに続いています。そして尾道を印象付けているのは、放浪記・うず潮などで有名な作家 林芙美子の存在ではないかと思います。
尾道を過ぎると、瀬戸内海を見ながら歩いて三原宿に至ります。峠・市街地・海 と変化に富んだ道は歩いていて楽しいですし、瀬戸内海の穏やかな風景を見ながら歩くと気持ちが落ち着きます。

なお、旧山陽道の道筋からは離れていますが、三原市の高台に 道の駅みはら神明の里 があります。ここから瀬戸内海が一望できる風光明媚な道の駅です。可能であれば訪れてみると良いと思います。

都道
府県
区間  通る宿場等 歩いた日 GPS
移動距離
広島 備後赤坂駅-尾道駅 今津宿、防地峠、福山・安芸藩境、尾道宿、林芙美子記念館 2021/11/25 14.6㎞
広島 尾道駅-本郷駅 尾道宿、糸崎、三原宿、備後・安芸国境、本郷宿 2021/11/26 23.9㎞


↑GoogleMapと地理院地図にGPSログと写真がマッピングされた地図が開きます GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
カシミール3D  国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)



Amazonでショッピング 楽天市場でショッピング 楽天トラベルで予約
お買い物
   




備後赤坂から今津宿へ

今日は備後赤坂駅駅からスタートです。一般的に平地に続く旧街道は山の麓に沿っている事が多いですが、この道も麓に沿って続いています。少しでも高い場所に道を通す事で、水が出た時に通行不能になる事を避けたかったのだと思います。


金毘羅大権現常夜燈
備後赤坂に限らないのですが、金毘羅大権現と彫られた大きな常夜燈を所々で見かけました。
瀬戸内海の対岸が愛媛・香川なので道標を兼ねた常夜燈なのではないかと思います。江戸時代 元禄期頃から始まった庶民の旅行ブームは、お伊勢参りが有名ですが、金毘羅参りも人気が高かったそうです。現代まで続く人気です。


今津宿

今津宿は現在の松永湾の奥深くの山裾に発達した宿場です。
景観の保存をしている訳ではないようですが、所々に宿場だった頃の面影が残る家並みでした。


今津本陣跡
一瞬、城跡かと思えるような石垣と白壁が残る本陣跡です。往時の建物は残されていませんでしたが、福山市史跡に指定されています。



今津宿から尾道宿へ 防地峠越え

松永湾の奥の山沿いをぐるりと歩いて湾の西側に来ると、尾道宿行くには標高90m程の防地峠を越えます。この付近は四国から瀬戸内海の島々を渡って通る瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が南側から新しい国道2号線に接続し、国道2号線は防地峠はトンネルになっていますが峠を越えるまでほぼ旧山陽道に沿って通っています。

写真左:防地峠の登り口
写真右:高須一里塚跡 地理院地図には 一里塚 と字名が書かれています。


辻堂石仏群
西瀬戸尾道 IC付近に東屋の様な建物があって、石仏が梁の上に祀られていました。

2008年11月11日にこの道を歩いた シングルおやじの気ままな一人旅のかっちゃんさんも、2012年06月04日に歩いた 街道歩き旅.comのアンドーさんもこの石仏群を見ているので以前からこの形で祀られているのだと思います。
供えられている花が生花だったので近所の人達が今も大切にお守りしているのだと思います。

防地峠への登り坂
国道2号線が防地トンネルに入る手前で旧山陽道は国道の下を通っています。
その後、車は殆ど通らない気持ちの良い道を歩くと防地峠が見えて来ます。


防地峠  福山藩・安芸藩 藩境
旧山陽道は地図の右上から登って来て、防地峠に至ります。旧山陽道は防地峠で地図の左上から右下に通る道路と交差します。この道路がかつては福山藩と安芸藩の藩境でした。
カシミール3D  国土地理院 (カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)

かつての藩境には道路を挟んで、東側に福山領、西側に藝州領の石柱が建っています。

従是東 福山領 従是西 藝州領

藩境から安芸藩側(尾道側)を望む。
写真左下の道が尾道に向かう下り坂の道です。

上の地図をご覧いただくと分かりますが、つづら折りになった新道を縫う様に繋がっている道が旧山陽道です。道筋が少し分かり難いですが、昔のままの道筋がそのまま残っている様で歩いていて少しワクワクします。

写真左:新道から旧山陽道への降り口
写真右:この場所から、河と見まがう尾道水道が見えました。




尾道宿

参考にしている、五街道細見の 尾ノ道 の所には、
『当所魚多く、船着場には大船着き、あたかも城下の如く見ゆる繁栄の地なり。』 『当 尾ノ道は寺数四十八ヶ所あり』 と書かれています。
昔から海運で栄え、寺院が多い宿場だったと分かります。それにしても、向島との間に運河の様に尾道水道がある地形は偶然にしても良く出来た地形だなと思います。

上の写真は千光寺公園付近から撮影しました。 
尾道水道に架かる橋は四国から続く瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)の尾道大橋です。

尾道水道パノラマ撮影


尾道市街
旧山陽道は昭和レトロな感じのメインストリートに変貌しています。現在は本町商店街の商店が軒を連ねて、900mほど続くアーケード街になっています。

写真右:天寧寺三重塔
 お寺が沢山あるので、写真のお寺がどこのお寺か特定するのが少し大変でした。


写真左:本町通り商店街のアーケード
写真右:石畳小路 所々アーケード街から尾道水道に通じる小路があります。すぐそこが尾道水道です。


林芙美子 放浪記
尾道と云えば放浪記の林芙美子が思い浮かびます。
あいにく閉館中でしたが、アーケード街の終わり近く、尾道駅のそばに小ぢんまりとした林芙美子記念館がありました。


写真左:尾道市立高等女学校時代
写真右:林芙美子旧宅

上の写真2枚は林芙美子記念館の入口に展示してあった写真を使わせて頂きました。

私がかなり小さい頃、NHK朝の連続テレビ小説で ”うず潮” と云う番組がありました。母が見ていたので微かに記憶に残っています。その時、母から 『林芙美子という小説家がモデルのドラマだ。』 と聞いたのが林芙美子の名前を知った最初だと思います。
林芙美子の小説も森光子さんの放浪記の演劇も見た事はないのが残念ですが、尾道と林芙美子の名前は記憶の隅に残っていて、何故か旅情を誘い続けていました。いつかは訪れてみたいと思っていました。ようやく訪れる事が出来ました。

今日は尾道駅近くに車を止めたので尾道で行動終了です。

尾道宿から三原宿へ

日にちは替わって尾道駅からスタートです。この区間は久し振りに海岸沿いを歩きます。

旧山陽道のルートが分かりません
「ここが本当に旧山陽道なの?」と思うような道を歩きましたので紹介します。
尾道駅から西に向かって500mほど進み、栗原川の西側の日比崎町付近がその道です。下の写真の路地の様な道を歩きました。


五街道細見 の記述は ”栗原村(現在の栗原西付近か?)と吉和村(現在の吉和町付近か?)の間は 『曲り坂』” と書かれています。竜王山が海に伸びる小高い丘の坂道に曲がりくねった道が続いていたと推測出来ます。
”京都・大阪・山陽道(平凡社)”の地図(かなり粗い地図です)では日崎小学校の南側を通っています。
他の方達のホームページを見ると、私が歩いた道より北側のイオン尾道の北側の道から日比崎小学校と日比崎中学校の間の道を歩いていらっしゃる方達がいらっしゃいました。
無責任なようで恐縮なのですが、私が歩いた道が旧山陽道なのかどうかは甚だ自信がありません。

大人峠
標高25mくらいの低い峠です。国道2号線の跨道橋を渡ると、 ”大人峠 一里塚跡” と書かれた石柱が建っていました。おそらくですが五街道細見には福地村と木原村の間に 福地峠 と書かれているので、以前は福地峠と呼ばれていたのではないかと思われます。


瀬戸内海を歩く道
大人峠を下って木原地区付近から糸崎駅付近までの4.5㎞くらいは瀬戸内海を見ながら歩く事ができます。瀬戸内海を見ながら歩くと、今、旧山陽道を歩いていると感じます。それにしても、小島が浮かび、入り江が重なり、頭の中で思い描いている瀬戸内海のイメージそのままの風景です。








三原宿


三原城址
三原宿は宿場であると同時に三原城の城下町としての側面も持った宿場です。
三原駅の北側に三原城址があります。現在は天守台周辺しか遺構は残っていませんが、当時は東西に約900m 南北に約700mの規模で、左の説明版に掲載されていた絵図を見ると、現在は市街地が広がっている城の南側はかつては海でした。満潮時には城が海に浮かぶ様に見えた事から「浮城」とも呼ばれていました。
初代城主は『三本の矢』の教えで有名な毛利元就の三男で、小早川家に養子に入った小早川隆景です。
城下町としては城を挟んで東側と西側に町割りがされています。現在の地名も東町、館町、本町、西町と続いています。

注:写真の絵図は説明版に掲載されていた絵図を使用させて頂きました。

東町付近の家並み


 蔵元 山根本店  横山大観愛飲の酒 酔心


三原城址


本町・西町付近の家並み




三原宿から本郷宿へ


備後・安芸国境
三原の市街を過ぎて県立広島大学がある付近に国境の石柱が在りました。
『従是東 備後國  従是 安藝國』 と彫られています。中央付近に破損部を補修した跡が見えます」。
背面に 『明治十?年十月再?』 と読める文字が彫ってありました。
廃藩置県は明治4年(1871年)なので明治4年以後は備後國とか安藝國 などの江戸時代まで使われていた呼称は使わなくなったのではないかと思いますが、インターネットの記事に元々古い国境の石柱が建っていたのを、明治9年に岡山県から備後国の一部が広島県に移管された事を機に明治十?年に再建されたのではないかという記事がありました。


写真左:旧安芸国の風景
写真右:旧備後国の風景


沼田川に沿って続く道
安芸国に入ると道は沼田川に沿って続いています。河口に近い為か流れが穏やかです。




西に傾いた夕日を見ながら本郷駅まで歩いて今日の行動は終わりです。

エピローグ

歩き終わってから 道の駅みはら神明の里 に行きました。
三原市の国道2号線沿いの高台に在って美しい瀬戸内海の風景を望む事ができます。

宿禰島 そして 映画:裸の島

そしてここからは、宿禰島(すくねしま)を望む事が出来ます。
宿禰島は三原湾沖に浮かぶ周囲400mほどの小さな島です。
孤島で暮らす家族の物語を描いた映画 『裸の島』 の撮影地です。
昭和35年(1960年)に公開され、キャスト4名 スタッフ11名で撮影され、セリフの無いモノクロ映画です。
監督:新藤兼人 キャスト:音羽信子、殿山泰司、田中伸二、堀本正紀

音羽信子さんが何も話さないで畑仕事をしているシーンが微かに記憶に残っています。


道の駅 みはら神明の里 から見える風景









END 

2022年07月12日 作成

Column


広告

広告

広告

広告

広告