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電子足跡:旧山陽道(西国街道)歩き旅
 欽明路から大河内駅へ  早春の旧山陽道を歩く

プロローグ

このページは旧山陽道(西国街道)を2021年12月3日に広島県から山口県に入ってすぐの欽明路まで歩いて、冬ごもりの為に一旦帰宅して中断した歩き旅を2022年3月30日から再開です。


この道は旧山陽道(西国街道)を山口県欽明路から大河内まで歩いたページです。
宇野千代が育った高森宿や江戸に護送される吉田松陰と弟子の寺嶋忠三郎が無言の別れをした呼坂宿など、玖珂本郷宿、今市宿を通ります。
季節がら街道沿いには桜をはじめ春の花が咲き乱れ、気持ちが華やぐ美しい道でした。

私が住む新潟県長岡市は3月末でも山には雪が残っていますが、ここ山口県では穏やかな風がそよぎ、桜も咲いています。
欽明路周辺と長岡市は直線距離で700㎞ほど離れていますが、北緯で言えば僅か3.34度の違いですし、標高も数10m程しか違わないのに季節は半月くらい違う感じがします。
狭い日本と言いますが、歩いて旅をすれば、多様な風景に出会い、多様な食べ物に出会い、多様な方言を聞く事ができます。

都道
府県
区間 通る宿場等 歩いた日 GPS
移動距離
山口 欽明路駅-大河内駅 玖珂本郷宿、高森宿、中山峠、今市宿、呼坂宿 2022/03/30 19.2㎞



↑GoogleMapと地理院地図にGPSログと写真がマッピングされた地図が開きます GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
カシミール3D  国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)



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欽明路

大河内駅前の駐車場に車を置いて、JR岩徳線で欽明路駅まで移動してスタートです。車窓からも春の花が咲いているのが見えました。街道沿いにも花が咲き乱れているのではないかと期待が膨らみます。

玖珂(くが)本郷宿


義民 田坂市右衛門の碑
現在、玖珂本郷宿は山陽本線の玖珂駅を中心に家が広がっています。
家並みが始まる付近に地理院地図にも記念碑記号が書かれている義民 田坂市右衛門の碑があります。
説明板によると、江戸も終わりに近い安政年間、岩国藩の代官は重税を課して贅沢な暮らしをしており、村民の怨みの声が渦巻いていたそうです。田坂市右衛門は代官に掛け合い悪政を改めるように説得に乗り出したもののの、代官の怒りをかい、岩国山に265日幽閉して、瀬戸内海の柱島に島流しされたそうです。
その後、村民が家老に訴え出て無実を認められ釈放。その後地域の善政に努めて、明治2年に死去。葬儀には二千名が会葬したそうです。大正10年に玖珂町有志がこの顕彰碑を建立したとの事です。

脇本陣門
如何にも古い門です。脇本陣 建林家の門です。
一般の家で云う、屋根の鬼瓦の部分の造形が変わった形です。

本陣跡 岩国市久我総合支所
何てことない現代の建物ですが、この付近に上記の義民 田坂市右衛門を幽閉した悪代官が居た代官所や本陣が在ったそうです。

藤川醤油醸造場
旧街道を歩いていると、本陣や旅籠の建物は建て替えられている事が殆どですが、造り酒屋・醤油・味噌の醸造所の建物は立派な造りの建物が残っている事が多いです。
やはり醸造業は伝統を大切にするからなのでしょうか?

高森宿


高森という地名について
高森の漢字表記は何回か変遷していて、今は『高森』ですが、昔は『高守』『椙杜』と表記していました。ちなみに『椙』は杉科の常緑高木だそうです。太陽コレクション 京都・大阪・山陽道には 『椙杜』に”すぎのもり”とルビがふってあります。
更に『椙杜』を調べると、椙杜氏という氏族が居て、元々は鎌倉幕府に仕えた問注所初代執事の三善康信を祖として、鎌倉時代中期 三善氏は備後国(広島県東部)世羅郡太田庄を拝領し太田氏と名乗っていたのですが、太田時直は足利尊氏に従って活動し、祖父の太田貞連から周防国(山口県東部)玖珂郡椙杜郷の地頭職を譲られた。時直の孫 太田正康は南北朝時代に南朝の勢力の強い九州を平定すべく、筑後国(福岡県南部)に所領を得て西国に下り、その後、椙杜郷に移り苗字を“椙杜”と称したそうです。(Wikipediaを要約)
長々と書きましたが、『高森』と云うたったひとつの地名にも1000年の悲喜こもごもの人々の歴史があり悠久の時を感じます。


高森本陣跡
高森本陣は本陣門以外は残っておらず、その敷地には たかもり本陣保育園が在りました。少し離れた所の駐車場の一角に立派な庭が在りましたがこの庭は本陣の庭だったのかもしれません。


宇野千代文学碑
宇野千代の作品は読んだ事はありませんが、その写真、と言っても丸眼鏡をかけた老齢期の写真や、断片的な生涯は聞いた事がありました。幼少期に実母が亡くなった為、ここ高森の父親の実家の裕福な造り酒屋で育ったそうです。


吉田松陰宿泊跡地

吉田松陰が江戸に護送されるときに宿泊したとされる場所です。高森宿の、この付近の旅籠で一夜を過ごしたのでしょう。

島田川の桜
高森の街中を進むと島田川に行き当たります。そこに天満宮があり、そこから島田川の堤防に桜並木が続いています。
それにしても、桜と云う花が早春に咲く花で本当に良かったと思います。寒い季節が終わりを告げ気持ちが華やぎます。




高森宿から今市宿へ

この区間は取り立てて有名な名所や史跡がある訳ではないのですが、高森宿を過ぎてからも街道沿いに春の花が咲き、里山の道が続き、美しい日本の春を感じながら歩きました。






石仏群
島田川が大きく流路を南に変え、旧山陽道と離れる付近から中山峠の緩い登り坂になります。その坂に差し掛かる付近に4体の石仏が鎮座しています。
西国33観音の内の4体だそうです。
奥の小高い所には宗泉寺跡があり、豊臣秀吉が朝鮮出兵のときに休んだ場所と言われているそうです。






郡境碑  岩国市/周南市 市境
中山峠と云われている峠に現在の岩国市と周南市の市境に郡界の石柱が在りました。以前は岩国市側は玖珂郡、周南市側は熊毛郡と云われていたようです。
現在でも玖珂郡は錦帯橋の北東の山口県最東部の郡として残っていますし、熊毛郡は室津半島の先端付近の郡として残っています。




今市宿

今市宿はこじんまりとした山間の集落です。次の呼坂宿とは2㎞ほどしか離れていません。越えて来た中山峠が控えているので、荷継や休息の為に補完的に設けられた宿場との事です。こじんまりとしていますが、風情の良い家並みでした。

正覚寺
寛政10年(1798年)に建立された山門。電柱が無ければ良い写真なのですが、残念です。
昔、お寺は宿泊施設を兼ねていたと聞いた事があります。例えば織田信長は本能寺に宿泊していて、明智光秀勢に攻め込まれたというのが分かり易い例だと思います。
この正覚寺は脇本陣としての役割もあったそうです。




呼坂宿

呼坂はかつては海老坂と呼ばれていて海老坂が転化して呼坂になったとか、丘陵に挟まれた土地で呼び声が反射して良く聞こえることから呼坂になったなどの説がある土地です。
呼坂宿はそれ程大きな集落ではないですが、本陣をはじめ古い建物が幾つか残っています。



呼坂宿本陣


かつては漢方薬を商っていたといわれている民家


吉田松陰/寺嶋忠三郎 決別の地
呼坂宿の中村川を越えた付近にあります。
安政6年(1860年)江戸の護送される吉田松陰は、呼坂宿のこの地で、呼坂出身で16歳で松下村塾で吉田松陰の弟子となり、たまたま郷里に帰っていた寺嶋忠三郎とこの地で無言の別れを告げた場所です。

石碑には
   かりそめの 今日の別れは幸なりき 
   ものをも言ハば 思いましなん  松陰

   よそいに見て 別れゆくだに 悲しさを 
   言にも出でば 思いみだれん  忠三郎

と刻まれています。

寺嶋忠三郎はここで吉田松陰を見送ったあと、久坂玄瑞に手紙を送り『縄付き、護送役人番人30名という警戒振りの内に松陰先生は駕籠の中で静かに本を読んでいた。』と書いているそうです。
護送の役人が30名も居て、ものものしい警戒だった為、声もかける事が出来なかったと云われています。
寺嶋忠三郎は吉田松陰に学び、尊王攘夷に奔走しましたが、禁門の変(元治元年 1864年)のとき久坂玄瑞らとともに自刃したとの事です。

決別の地を過ぎると、宿場外れは登り坂になっています。坂の途中から桜越しに呼坂宿の家並みが見えました。


その坂は国道2号線と並行していて、小高い山の鞍部を通っています。僅かな区間ですが土の道でした。


呼坂宿から大河内駅へ

旧山陽道はほぼ国道2号線に沿って続いています。更にJR岩徳線も並行して通っています。おそらく古代から道を通しやすい地形だったのだと思います。
国道2号線は旧山陽道のルートを踏襲して敷設されたのだと思いますが、ところどころ旧山陽道が国道2号線から外れて残っている部分があります。
これから紹介する道も僅か400mほどですが、国道2号線から外れて残った道です。住所で云うと 周南市大河内 字遠見 付近です。


国道2号線と斜めに接続して旧山陽道が続いています。


ここまで荒れていると、本当にここが旧山陽道なのか?と不安になります。


竹藪を抜けると国道2号線に出会って冒険は終わりです。


大河内駅
今日は大河内駅前の駐車場に車を置いたので駅まで歩いて今日の行動は終わりです。国道2号線の上を山陽自動車道が通って、自動車道を潜ると大河内駅です。


エピローグ

まだ肌寒い新潟県から山口県に来ると、桜が咲き、そよ風がはんなりとした桜の香りを運んできます。別天地に来たと云う感じがします。


END

2022年11月05日 作成

Column


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