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電子足跡:旧山陽道(西国街道)歩き旅
山口県 四辻駅から厚東駅へ
  小郡宿 山中宿 どんだけ道(殿様道)を通ります

プロローグ

このページは旧山陽道(西国街道)を山口県四辻駅から厚東駅まで歩いたページです。小郡宿(新山口駅付近)、山中宿を通ります。
小郡宿周辺は新山口駅が出来た事もあり、古い街並みに新しい街が付けたされた様な印象で大きな街でしたが、あとは山中宿という宿場の名前の通り山の中に続く道です。ですが旧街道は辺鄙なところの方が風情が良いですし、人の歴史を感じます。

圧巻なのは どんだけ道(殿様道) と呼ばれている2㎞ほどの道で山の中をを往時のままの道なのかと思わせてくれる様な道が続いていました。

都道
府県
区間 通る宿場等 歩いた日 GPS
移動距離
山口 四辻駅-厚東駅 小郡宿、新山口駅付近、おいはぎ峠、山中宿、どんだけ道(殿様道) 2022/04/03 23.4㎞


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↑GPSログをGoogleEarthでツアーする方法
カシミール3D  国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)



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四辻駅から小郡宿へ

旧山陽道は山陽本線と現在の国道2号線と付かず離れずに通っています。
国道2号線は旧山陽道のルートを外して敷設した様で旧山陽道はそこはかとなく良い雰囲気が残っています。


建石(たていし)
平石・平岩・立石・建石などと呼ばれている堆積岩の一枚岩で、旧山陽道と神社の参道が交差する場所に立っています。
説明板によると、いつ、誰が、何のために建てたのか記録が無いので正確には分からないとの事ですが、『古老が言うには、平岩は昔からここに在って、田んぼの道に南北・東西の方向に建てられていいる。』との伝承が記されて史料があるそうです。実際に建石はほぼ東西の方向に建てられているそうです。ちなみにこの付近は 立石 と云う地名です。


尚、付近には古代の貨幣鋳造所であった、周防鋳銭司跡 があります。
明治末年には和同開珎・るつぼ・ふいごの口などが出土したと云われています。

街道沿いの風景
左の写真は旧山陽道から見えた墓地です。古から、この土地で多くの人達が産まれ、生きて、そして亡くなり。
教科書には載らないけど、多くの人達がこの地で生きた歴史を感じます。



一里塚跡
  従安芸境小瀬川二十二里
  従赤間関十四里
と彫られています。
安芸境小瀬川(おぜがわ)は安芸国と周防国の国境で現在でも広島県と山口県の県境です。
赤間関は現在の下関のことで旧山陽道の始終点です。ゴールまでおよそ56㎞ いよいよゴールが近づいてきたと感じます。
小郡宿の手前、椹野川(ふしのがわ)のそばにありました。因みに 椹 とは サワラ のことでヒノキ科の常緑高木のことだそうです。

小郡宿

小郡宿は現在の山陽新幹線・山陽本線の新山口駅付近の宿場です。
昭和16年発行の地図を見ると、勿論山陽新幹線は通っていませんが、山陽本線の小郡駅(現新山口駅)周辺に新しい町が出来始めていますが、旧山陽道沿いに町が発達していてこちらが中心地だった事が分かります。
現在では新山口駅周辺にホテルやマンションなどが立ち並び様変わりしています。


上の写真を見ても感じるかもしれませんが、山に挟まれた狭い平野部に椹野川が流れ、かつては陸運と水運の要衝の地で、狭いながら 行政区のひとつである  郡 と同等の重みを持った地域だったので 小郡 という地名になったそうです。

新山口駅が旧山陽道から少し離れた所に出来て、駅周辺は開発されたのに対して、旧山陽道の市街は比較的そのままの状態で残った様で所々古民家や昭和感がある家並みが残っています。




小郡宿から山中宿へ

小郡宿を過ぎると田園が目立つ道に変わってきます。
街道沿いには、100年以上は経っているのではないかと思える古民家も在りました。表札がかかっているのでリホームして現在も生活しているのだと思います。

上嘉川駅付近


嘉川駅付近
なんと云うのかは分かりませんが、軒下の壁にコテ絵の様な装飾がある家です。
何故,この意匠に興味を持ったかと云いますと、小郡宿の古民家で同じ様な図柄を見たからです。
当時の流行りの図柄なのか、同じ職人さんが作ったのか、それとも本家と分家なのかなどと想像が膨らみます。

写真左:嘉川駅付近
写真右:小郡宿


その意匠がある家の窓から猫が顔をのぞかせていました。それにしても穏やかな一日です。


熊野神社
嘉川駅から650mほど西の山口市江崎上高根に鎮座しています。神社は街道沿いに多くあるので普段はあまり参拝する事はないのですが、境内に桜が咲き乱れていたので足を運びました。
大内氏22代政弘は子が授からず、この熊野神社に祈願したところ 亀童丸 が授かり、それ以後、子授け・安産の神として崇敬されているそうです。




周防・長門国境
国道2号線と山口宇部道路が交差する嘉川ICの所から旧山陽道は国道2号線に合流します。
峠付近に不思議な名前の食堂が在りました。
その名も 『食事処 おいはぎ峠』です。この峠の正式な地名は 割小松峠 と云うらしいのですが、俗称で おいはぎ峠 と呼ばれていたようです。それにしても物騒な名称です。


『食事処 おいはぎ峠』のすぐそばに 周防・長門国境碑 の石柱があります。現在では山口市と宇部市の市境です。


割木松(わりごまつ)地区
周防・長門国境碑 を過ぎてすぐに国道2号線から斜めに接続している僅かな道が旧山陽道です。この付近の地名は 割木松 と云うのですが、周防・長門の国境の論争があって、境にあった松を両国の農民が割って取った為に名付けられた地名とインターネットに書いてありましたが、真偽のほどは定かではありません。


山中宿

現在の地名は宇部市山中です。
特に宿場らしい遺構や案内板は見かけませんでしたが、小さな集落ですが旧街道らしい雰囲気の良い集落です。

写真左:熊野神社
写真右:三界地蔵




車地地区

車地地区の厚東(ことう)川河岸の桜です。
私のみならず春の陽ざしと陽気に誘われて多くの人達が 桜 を 春 を楽しんでいました。




どんだけ道・玉木坂

宇部市瓜生野の宇部丸山ダム付近から国道2号線から離れて山の中の道を歩きます。
私がふざけて 「どんだけ~!」と言っている訳ではなく、宇部市瓜生野付近から厚東駅付近までの2㎞ほどの旧山陽道はルートが2つあって、ひとつは、山の中を進むこのどんだけ道 で、もう一つは山の麓を厚東川沿いに歩く道です。
どんだけ道は参勤交代の大名や役人・武士が通る道で、庶民は厚東川沿いの道を使っていました。

その為に 地元では『殿様だけが通る道』と云われていたのが省略されて『殿様道』、更に訛って 『どんだけ道』 と云われるようになったと案内板に書いてありました。
ですが、道の途中にあった木柱には『どん嶽に登る坂道』とも書いてありました。

大歳社の前を過ぎると本格的な山道になります。

野生動物が生息しています。
人里離れた、と言っても人里から1㎞にも満たないような山中の旧街道でたまにある事ですが、 猪、狸などの野生動物が生息している場合があります。多くの場合人目に触れる事は無いですが、足跡・糞 などの痕跡が残っています。 どんだけ道 でも猪と思いますが足跡と砂浴び場を見かけました。この写真を写した場所は深山幽谷と思うかもしれませんが、10mほど離れた場所に大きな工場の様な建物があり駐車場には車が何台も止まっている場所です。
多くの場合、野生動物は人間を恐れているので、こちらの存在に気付けば、野生動物の方から離れて行くとの事ですので、不安を感じる様でしたら大きな声を出す、ホイッスルを鳴らすなどをしながら歩くと良いと思います。


おそらく地元の方達が整備しているのだと思いますが、下草もなく、良く整備された気持ちの良い道です。往時も同じ様な風情の道だったのでしょう。




春日地区の下り坂
どんだけ道を下って春日地区に入ると旧山陽道は県道37号線と交差します。

県道37号線に曲がらずそのまま田んぼの中に真っすぐ続いているのが旧山陽道です。
獣害対策で柵が設けられていますが、扉は開閉できるので通った後に扉を閉めれば旧山陽道の道筋を歩く事ができました。

大坪川西岸 吉見地区の旧山陽道

旧山陽道は、柵を越えるとすぐに大坪川を渡って吉見地区に続いています。道は山の麓に続いています。

写真左:大坪川西岸の旧山陽道
写真右:一里塚跡
  一里塚には安芸境小瀬川より26里  赤間関(現下関)より10里 と書かれた木標が立っていたとの事です。ゴールの下関まであと40㎞になりました。


下の写真でもお分かり頂けると思いますが、旧山陽道は麓の人家より少し高いところを通っています。人の生活の場のすぐそばに昔の人達が往来した街道が残っています。


麓の山道が終わると小さな集落がある田園地帯を通って厚東駅まで行き、今日の歩きは終わりです。

エピローグ

参考にした 『太陽コレクション 京都・大阪 山陽道』 でルートを調べているとき、宇部市瓜生野付近から厚東駅付近の道に "殿様道" と書かれていたので、これはいったい何だろうと思っていました。
実際歩いてみて、"殿様だけが通る道" が省略されて "殿様道"、更に訛って "どんだけ道"  と呼ばれていたと知る事が出来ました。
本やインターネットで得る知識には限界がありますし、実際に身体を動かして得る知識はより深いですし記憶に残ります。


END

2023年01月07日 作成

Column


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