電子足跡: 薩摩街道歩き旅 スタートです
熊本城下里程元標から宇土宿を通り松橋駅へ

プロローグ
このページは薩摩街道を、スタート地点の熊本城下の里程元標が在った札ノ辻から宇土宿まで歩いたときのページです。熊本市街は近代的な都市に変貌していますが、所々風情のある家並みが残り江戸を感じる街並みがあります。
宇土宿はその中心部の船場川の河岸に、かつて宇土城下の水運で賑わった船場橋界隈の家並みがあります。川の両岸に樹木が生い茂り、時代劇に出てきそうな風景です。その船場川にはツートンカラーのお洒落な石橋、船場橋が架かっています。
歩きデータ
都道 府県 |
区間 | 通る宿場等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
熊本県 | 鹿児島本線 熊本駅-松橋駅 | 里程元標跡、熊本城下、西村邸、唐人町通り、旧第一銀行熊本支店、川尻宿、宇土宿、船場橋、水道塘 | 2023/11/12 | 21.0㎞ |
kmz形式のGPSデータがリンクされています。GoogleEarthがインストールされているとGoogleEarthで表示されます。
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熊本城下
里程元標跡 薩摩街道スタート地点


熊本城の西側、現在は清爽園になっている所に里程元標跡の石碑がありました。
ここはかつては熊本城の西の玄関口である 新一丁目門 があり、藩の法令を掲げる高札があったので『札ノ辻』と呼ばれていました。
この地点が豊前・豊後・日向・薩摩 街道の起点でした。江戸で言えば五街道の起点である日本橋の様な場所です。
この里程元標から九州の各街道は里数が測られ、1里ごとに街道の両側に榎を植えてこれを里数木と言っていました。現在でも地名やバス停に1里木、2里木など当時の呼称が使われている所があるそうです。


薩摩街道の歩き旅は、この里程元標跡からスタートです。
熊本市内は近代的なビルも立ち並んでいますが、所々風情のある建物が残っています。

明八橋 = 新三丁目御門跡

かつて、この場所は熊本城の出入り口で櫓門が在り新三丁目御門と呼ばれていました。
清水本店


西村邸
レンガ造りの防火壁が目を引きます。登録有形文化財になっています。


唐人町通りの家並み

旧第一銀行熊本支店

白川と長六橋


薩摩屋敷跡と付近の薩摩街道


薩摩街道一里木跡

川尻宿
鹿児島本線 川尻駅付近がかつての川尻宿でした。毎年20万俵もの米が熊本藩川尻米蔵に集まり、物流の中心地として栄えていました。現在はあまり宿場町だった雰囲気は残っていませんが、それでもいくつか昔の面影を感じる建物がありました。



里程元標跡から2里目の二里木跡です。
GPSの移動距離は 約8.5㎞ でした。


加勢川
加勢川に架かる新町橋から上流を見た川尻の町です。この橋から河口までは9㎞程です。この橋の少し下流の南岸に船着き場があり、この川を使って船運が行われ熊本城下はもとより大坂蔵屋敷に搬送されていきました。

川尻宿から宇土宿へ
地平線が印象的な道です。この区間は海抜数mのほぼ平坦な道です。北海道を歩いたときも広大な平野の果ての地平線を見ましたが、同じ地平線でも北海道の地平線はこの風景の中に自分ひとりという孤独感を感じる風景でしたが、九州の地平線はこの道の向こうに人が住んでいると思える温かみのある風景です。

富合町国町付近の浜戸川のそばの狭い水路の写真です。水草の名前は分かりませんが、あまりにも奇麗な緑色だったので思わずシャッターを押してしまいました。

一般のお宅の前に在った石仏です。風化が進み、苔むした石仏です。

吉祥山西安寺と放牛地蔵


宇土宿


船場橋界隈
浜戸川の支流 船場川は宇土城下の水運で賑わい、細川藩蔵屋敷が在り、周辺には武家屋敷もありました。江戸時代の風情を色濃く残しています。



船場橋
馬門石(まかどいし)と言われるピンクの阿蘇溶結凝灰岩を使ったお洒落な石橋です。
NHKアーカイブスで紹介されています。船場橋|地域|NHKアーカイブス

轟泉(ごうせん)水道井戸

宇土は良質な地下水に恵まれなかったため、江戸時代初期から上水道の整備が行われていました。
高札場跡

水道塘(すいどうとも)

城下や上記の轟泉水道井戸などに水を供給していました。
鹿児島本線 松橋駅

エピローグ
薩摩街道歩きをスタートしました。
初日はほぼ平坦な道を熊本城下から川尻宿、宇土宿を通り鹿児島本線の松橋駅まで歩きました。この道はなんと言っても熊本城下のビル群の中に所々残る城下町の雰囲気の家並みと、宇土宿の船場橋界隈の時代劇に出てきそうな河岸の風景が印象的な道でした。
END
2025年3月28日作成
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Column
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