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電子足跡:門司往還を歩く
関門トンネルを通って 和布刈神社から小倉城下へ

門司往還について
このページは九州の北端、関門海峡に沿って続く、門司往還を対岸の下関の壇ノ浦から関門トンネルを通って小倉城下の常盤橋まで歩いたページです。門司往還は門司の和布刈神社から小倉城下までおよそ15㎞の道です。実際に歩いたときは "長崎街道 門司往還" と書かれた説明板などもありましたので長崎街道の一部と云ってもよいのかもしれません。常盤橋の東詰には伊能忠敬が九州測量の基点にしたモニュメントがありました。
古くは、都と大宰府を結ぶ道であり、九州に落ち延びた平家が安徳天皇を擁立して都を築こうとした大里が在り、そして源平合戦の壇ノ浦の戦いがありました。幕末には長州藩と欧米列強との間で起きた下関戦争の舞台になりました。
幕末の戦乱で当時の建物の多くは焼失したので、旧街道の雰囲気は希薄ですが、それに有り余って門司駅前の"赤煉瓦プレイス"と云われている大正初期に建てられた赤煉瓦の建物群のレトロ感は圧巻です。
更に、ブラタモリで現在は山口県と福岡県は関門海峡で隔たれているけれど、元々はひとつの山塊でホルンフェルスの東側が下関の火の山で、西側は門司の古城山。鞍部に海水が流れ込んで関門海峡になったと説明していました。
15㎞の行程ですが悠久の時を感じます。
歩きデータ
都道 府県 |
区間 | 通る宿場等 | 歩いた日 | GPS 移動距離 |
山口/ 福岡 |
JR下関駅-バス御裳川-JR小倉駅 | 壇ノ浦、関門トンネル、和布刈神社、門司、豊前大里宿、門司赤煉瓦プレイス、小倉市街、常盤橋 | 2023/10/03 | 16.9㎞ |
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下関 壇ノ浦
スタートは2022年4月6日に旧山陽道を歩いて京都から下関まで歩いて壇ノ浦まで来たので、山口県の壇ノ浦からスタートです。この地をスタート地点にしたのはもう一つ理由があります。小学生の頃、本州と九州は関門トンネルで繋がっていると聞いた事がありました。それまでトンネルというのは山の中に在るものだと思っていました。海の底にトンネルがあるというのはチョットした驚きでした。子供心に一度行ってみたいと思ったのがもう一つの理由です。
壇ノ浦古戦場跡(みもすそ川公園)
ここは源平合戦の壇ノ浦の戦いがあった場所でもありますが、幕末の文久3年(1863)と元治元年(1864)に起きた下関戦争があった場所でもあります。公園には長州藩が欧米列強に砲撃した大砲のレプリカが展示してあります。明治維新に向かう夜明けの様な光景です。
歴史の教科書の最初から最後のページまで何回も出てきますが、歴史が変わる・時代が変わる、そのとき必ずと言ってよいほど武力での衝突があります。知識として分かっている事ですが、人間は武力・暴力から離れる事は出来ないのか?と思います。

関門トンネル人道入口


九州に入りました
いよいよ、ここから九州です。
ホルンフェルスの鞍部の更にその地下の花崗岩の中を歩いています。
子供の頃から一度は来てみたいと思っていた場所です。トンネルなので外の風景は見えませんが、頭の中では、この上に海があって魚が泳ぎ、貨物船が行きかっているのかなとか、大昔、陸続きだった頃もしかしたらナウマンゾウが歩いて渡ったかもしれないなどと空想しながら歩きました。
でも山に在ろうと、海底を穿っていようと、トンネルはやはりトンネルでした。ただ、山のトンネルは空気がヒンヤリしていますが、関門トンネルは湿度が高く空気が濃い感じがしました。

関門トンネル人道出口を出て九州上陸です。
下関側が良く見えます。みもすそ川公園の人道入口も見えました。ですが、この海の下を歩いて来たという実感がいまいちわかないです。


門司
和布刈(めかり)神社
九州の最北端、関門海峡に面して鎮座する神社です。社伝では14代仲哀天皇九年(西暦200年頃)に創建されたそうです。




車で関門自動車道の関門橋を渡ったことがある方は、九州に入ってすぐに "めかりPA" が在る事をご存じかと思いますが、"めかりPA" の名称は和布刈神社に由来しています。めかりPAから見た風景です。


門司関跡

門司市街

関門トンネル門司料金所

門司港駅付近
JR鹿児島本線と門司港レトロ観光線の駅付近です。
現在は九州鉄道記念館と使用されている赤レンガの建物がレトロです。

懐かしい電車が並んでいます。学生の頃、夕方 東京駅に行くとブルートレインと云われていた寝台特急列車が停車していました。新幹線の車両よりブルートレインの方が旅情を誘われた記憶があります。




豊前大里宿
豊前大里宿は平安時代は "内裏(だいり)" と呼ばれていました。源平合戦で京を追われた平家がこの地に御所を定めた事から "内裏"
と名付けられたそうです。さらにアンドーさんの "街道歩き旅.com" には『幕府の公文書には大里が旧山陽道の終点と書いてあり』との記述があります。「えっ!旧山陽道の歩き旅はまだ終わっていなかったのか。」と思いますが歩を進めます。
参勤交代が行われると本州への船は小倉と大里の湊を使ったので大里宿は宿場として発展しましたが、幕末の戦乱で多くの建物が焼失してしまいました。
ですが、門司駅周辺には明治以後建てられた赤レンガの建物が点在してなんともレトロな雰囲気が漂っています。
長崎街道 大里渡海口

関門製糖株式会社

大里宿の家並み

前述のように、幕末の戦火で多くの建物が焼失したので建物は残っていませんが、建物跡には石碑が建てられています。
写真左:庄屋 石原宗裕邸跡
写真右:本陣(お茶屋)跡


写真左:御在番役宅・浜郡屋跡
浜郡屋は藩の役人や庄屋が湊に出入りした者や船の検問・取り締まりを行いました。
写真右:御高札・南部屋跡


門司赤煉瓦プレイス
歩いていると突然レトロな赤レンガ造りの建物が眼に飛び込んできます。門司赤煉瓦プレイスと云われているエリアです。場所としては門司駅の前です。大正2年4月に創業した帝国麦酒(株)の建物群です。7月に"さくらビール"を販売し、以後、桜麦酒→大日本麦酒→日本麦酒→サッポロビール と社名は変わりました。平成12年大分県に新工場が建設されこのビール工場は閉鎖されましたが、この場所は各種イベント・レストラン、TVドラマの撮影などで現在でも現役で活躍しています。




なんとも重厚な建物です。
巌流島(船島)
門司赤煉瓦プレイスの前は関門海峡です。少し分かり難いのですが、塔の前の緑の部分が宮本武蔵と佐々木小次郎が戦ったとされる巌流島(船島)です。


小倉城下
大里宿を過ぎると道筋は海岸線を通ったり、山の麓を通ったりして小倉城下に向かいます。


門司口門跡
今は、鉄道の高架下になったり、海岸線が沖に延びているので元々の地形が分かり難いですが、ここが小倉城下の東側の門が在ったところです。


小倉城下に入りました
京町

門司往還は行止りと思いきや、大きなショッピングモールのメイン通路が門司往還のルートでした。




小倉中央商店街


商店街を越えると紫川に出合って本日のゴール常盤橋です。
伊能忠敬 測量200年記念碑

伊能忠敬64歳から前後2回九州の測量を行ったと書いてありました。
常盤橋


エピローグ
明日は常盤橋を渡って長崎街道を歩きます。小倉はいつも読ませて頂いている "シングルおやじの気ままな一人旅" のかっちゃん氏が住んでいるらしいのですが、面識はありませんのでお会いすることもなく通り過ぎました。ただ、学生のとき就職活動をしていた頃の事なのですが、学生課の掲示板に、かっちゃん氏の会社の募集が掲載されていて、応募しようかと考えた事がありました。応募する前に他の会社が決まったので結局応募はしなかったのですが会社の名前だけは記憶に残り続けていました。偶然が重なれば、かっちゃん氏の会社の社員になっていたかもしれません。
それから何10年も経って、"シングルおやじの気ままな一人旅"のホームページでお世話になるとは思ってもいませんでした。
END
2024年4月26日 作成
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