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電子足跡:北海道縦断歩き旅
 旭川から名寄へ   塩狩峠を越える道

プロローグ


北海道をほぼJR鉄道路線に沿って函館から宗谷岬まで歩いて縦断しました。
このページは旭川から比布、塩狩峠、士別、を進み名寄まで歩いたページです。
 
この道は塩狩峠を越えます。三浦綾子氏の小説 「塩狩峠」 の舞台になった峠です。
クリスチャンの鉄道職員 長野政雄氏 が連結器が外れて峠の坂を暴走する客車を止める為に客車の前に身を投げて客車を止め乗客を救ったという実話に基づいて書かれた小説です。

塩狩峠を越えるとかつては天塩国と言われていた地域に入ります。耕作地も水田が減り麦畑やジャガイモ畑が増えてきます。水田が少なくなると北海道もいよいよ北まで歩いて来たと感じます。


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↑地理院地図(電子国土Web)に詳細ルート地図とポイントの写真が開きます。

GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法

この地図は収集したGPSログをカシミール3Dにより国土地理院地形図に表示した画像を加工したものです。

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旭川

旭川市は札幌市に次いで北海道第2の人口の都市です。中心部の通りはビルが立ち並びますが道幅が広い為かゴミゴミとした感じがしませんでした。
街中に所々ブロンズ像が展示してありってオシャレな感じがする都市でした。

ブロンズ像のなかの一つに 佐藤忠良作 ”若い女” が展示してありました。
遠くから見えたとき、その周辺だけ特別な空気が包んでいる感じがしました。(私の写真ではそんな感じは全然しないですけど) 佐藤忠良は奥州街道を歩いた時に通った宮城県大和町の吉岡宿(映画 ”殿、利息でござる!”の舞台)の隣の落合舞野出身で、幼少期に母の実家の北海道夕張に移住して二十歳で上京するまで過ごしたとの事です。

写真左:旭川市街
写真右:佐藤忠良作 若い女


写真左:市内を流れる石狩川
 石狩川の語源はアイヌ語で イシカラ=非常に曲がりくねった川 という意味だと説明板に書いてありました。
写真右:北海道護国神社


上川郡 比布町

比布神社
旭川を過ぎて真っ直ぐ続く道を歩いていたら、GoogleMapに ”比布” の文字が見えました。いきなりフラッシュバックの様に ”ピップエレキバン” のコマーシャルを思い出しました。これは、もう訪れるしかありません。
若い世代の方は知らないと思いますが、1980年代に この神社で撮影されて、肩こりに御利益がある神社としてピップエレキバンのTVコマーシャルが放映されていました。

TVコマーシャルが放映されていた頃のイメージとしては神主さんも居ない寂れた神社という感じでしたが、訪れたら社務所もある立派な神社だったので意外でした。
あるいはTVコマーシャルで有名になったので立派な社殿を建築したのかも知れません。そうなるとTVコマーシャルの御利益が凄いという事になりますが、ピップエレキバンの会社も発展している様ですし、Win-Winの関係なのでしょう。


境内にある双体道祖神
記憶にある限りですが、北海道を歩いていて道祖神を見たのは比布神社の境内だけだった様に思います。
旧道を歩いた訳ではないので、たまたま道祖神を見なかっただけかもしれませんが、アイヌ民族には和人と同じように道に道祖神的な神を祀るという文化は無かったでしょうし、そもそも北海道の多くの道は明治になってから敷設された道なので明治以前の旧街道の様に道祖神を祀るという事はしなかったのだと思います。
路傍に道祖神が無いという、こんな事からも別の文化世界に来たという感じがします。


地図に無い道
GoogleMapには掲載されていないのですが、比布駅を越えた付近から蘭留駅手前1kmくらいまで宗谷本線に沿って道があります。
国道40号線を歩くの比べて三角形の底辺の部分を歩くような感じなので蘭留駅には数km近いです。なんか少し得をしたような気分です。



塩狩峠

説明板によると、塩狩峠は明治2年に設定された、石狩国と天塩国の国境(くにざかい)の峠であった事から天塩と石狩の各一文字をとって ”塩狩峠” と命名されました。
明治31年(1898年)に現在の道の原型となる峠道が開削されましたがかなりの悪路だったとの事です。
翌明治32年道路と並行して天塩線(現 JR宗谷本線)が開通しました。
その後この峠道は一般国道40号線として改良・改修され昭和48年に完成したとの事です。

写真左:塩狩峠への登り道
写真右:塩狩峠 塩狩パーク 


塩狩峠の碑
刻まれている 塩狩峠 の文字は
三浦綾子著 「塩狩峠」より と刻まれています。

三浦綾子 「塩狩峠」 そして 長野政雄氏の殉職 の地

重い話になりますが、
「塩狩峠」はその地名としてよりも三浦綾子の小説 「塩狩峠」 と、その題材となった 長野政雄氏の殉職 の地として知られています。

明治42年(1909年)2月28日、名寄を発車した列車は旭川に向かって塩狩峠に差し掛かっていましたが、最後尾の客車の連結器が外れ塩狩峠の坂を逆走し暴走しました。坂の下は急カーブになっており、このまま暴走すれば脱線・転覆し乗客の命が危険にさらされる状況のなか、乗り合わせていたクリスチャンでもある鉄道職員の長野政雄氏が客車の前に身を投げ自らの身体で客車を止め乗客の命を救って殉職した地です。29歳の若さでした。
私は原作は読んでいないのですが、学生のとき同名の映画を見ました。今でも祈りを捧げ、暴走する客車の前に身を投げるシーンは記憶に残っています。

この様な究極的な自己犠牲と言える崇高な行いに対して、私が何かを書けるような高貴な精神も知識も持ち合わせていません、ただただ頭が下がる思いです。冥福を祈ります。

長野政雄氏殉職の碑
塩狩駅のそばJR宗谷本線沿いにあります。


写真左:塩狩駅
写真右:ホームから名寄方面を見る


塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)
塩狩駅のすぐそばにあります。
塩狩峠記念館のパンフレットによると、
昭和34年に夫光世氏と結婚し、昭和36年に旭川市豊岡に新居を建て雑貨店を営んでいました。
この建物で「氷点」「塩狩峠」など初期の代表作が執筆されました。
昭和39年に「氷点」が朝日新聞の懸賞小説に入選したことから雑貨店を閉店し作家活動に専念するようになりましたが、手狭になった為新宅を建築しこの建物はキリスト教会に伝道所として寄贈されましたが、平成5年に取り壊されました。有志により構造材、造作材等が保存され、平成11年にここ塩狩峠に復元されたとの事です。中は質素な造りで当時の面影が極力再現されています。

閉館時間を過ぎても見学させて頂きました
開館時間は10時から午後4時30分までなのですが、4時ちょっと過ぎに入館し,閉館時間を過ぎても見学していました。係の方は嫌な顔ひとつせず閉館時間を過ぎても対応して下さいました。誠にありがとうございました。

塩狩から士別へ

塩狩峠を越えると明治の初期は天塩国と言われていた土地に足を踏み入れます。

塩狩峠は北海道の分水嶺というか、これまでは、降った雨は石狩川に集まる方向、南向きに流れていましたが、峠を越えると雨は天塩川に集まる方向に流れ北向きに流れて行きます。

峠の坂を下り和寒町や士別市の平地に来るとこれまであった水田が減り麦畑やジャガイモ畑が目立つようになります。何といったらよいか 「風景が静かに変わった。」 感じがします。





民家の庭にカラフルな手作りの風車がいっぱいありました。


士別から名寄へ

今日も天塩の平野を歩きます。北海道らしい広さですが、遠くには山並みが見えて、どことなくいつも生活している土地に近い風景です。でも水田が広がっていない、白樺や針葉樹が多いなど植生の違いと、道路沿いに家が無い事が北海道を歩いていると感じさせてくれます。







北海道で初めてバスに乗りました
今日は士別駅前の無料駐車場に車を止めて名寄駅まで歩きました。名寄駅前から ”路線バスに乗って” 士別駅まで車を取りに行きました。車窓から今歩いて来た道の風景を眺めましたが数時間前に見た同じ風景でも、歩いて見る風景とバスに乗って見る風景は印象が違います。

歩き旅をコンセプトにしているホームページでこんな事を書くのもなんですけど、
正直に言うと、バスに座って風景を見ると身体的にゆとりが出来る事と視線が高くなるので、より風景を楽しむ事ができます。バスの旅も良いものです。

エピローグ

今回の北海道縦断歩き旅を計画している時、塩狩峠を通る事を知りました。学生の時に「塩狩峠」の映画を見た事を思い出して必ず訪れようと思っていました。

そこは深い森の中で100年以上前にあった出来事を静かに優しく包み込んでいるようでした。


END

2019/08/28 作成

Column


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