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電子足跡:中山道歩き旅
 長久保宿から下諏訪宿へ  和田峠越え


プロローグ

”民宿みや” に宿泊して朝6時起床です。朝食は6時半からなので洗面を済ませて温かい朝食を頂きました。
宿泊施設に泊まると体力の回復も良いようで,これから中山道の最大の難所と言われている ”和田峠越え” ですが 「やってやろうじないの。和田峠待ってろよ!」 と言う前向きな気持ちになります。

和田峠を歩いてみた感想ですが,
冬場や残雪期はいざ知らず,和田宿側から越える場合は勾配が急峻という場所は無くて木立の中のダラダラとした登りが続きます。登りがキツイかキツクないかで言えば碓氷峠の刎石山の登の方がキツです。ですので意外と楽に越えたという感じです。


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注意事項
1.和田宿を越えると下諏訪まで飲食店・宿泊施設はありません。和田宿内も旅館は休業しているようです。事前に良く調べる事をお勧めします。
2.和田宿側から和田峠を越える場合はそれ程急な登りはありません。下諏訪側から越える場合は峠付近の登りがきついと思います。
3.ルートはハッキリしていますが,急斜面の細い道やガレ場(大小さまざまな岩や石がゴロゴロ散乱している場所)もあります。車が走る道路を横断する箇所があります。また峠手前の国道は一部ですが白線だけの細い歩道があります。

ルート
区間 ルート 歩いた日 GPS移動距離
民宿みや~和田宿~下諏訪宿 大門道-和田宿-和田峠-木落し坂‐下諏訪宿 2018年6月15日 30.4㎞

↑GPSログを
GoogleEarthでツアーする方法
↑詳細ルート地図が開きます
↑ 再生ボタン  をクリックすると、街道筋を空撮した様な動画が再生されます。
*上のの GPS Log をGoogleEarthProでツアーして動画化した映像です。


カシミール3D 国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


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和田峠の傾斜
下記の区間を三角形で近似して傾斜角度を計算すると下記の様になります。
碓氷峠越えのページと比較して頂くと分かりますが和田宿側から登る場合は碓氷峠の刎石山に登る様な急登は無くダラダラとした坂道を登る事になります。
一方,下諏訪側から登る場合は最後の登りの傾斜がかなりキツイという事が分かります。
区間 距離 標高差 平均傾斜角度 備考
男女倉口~和田峠 約4700m 約500m 約6.0度  
和田峠~国道142号出合い 約1070m 約215m 約11.3度  
国道142号出合い~ヘアピンカーブ 約1530m 約200m 約7.6度  



参考:群馬県坂本宿から長野県下諏訪宿までの標高



カシミール3D 国土地理院
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)


和田宿

ユニークなバス停
多くの方達のホームページにも紹介されていますが,落合橋を渡り1km程進むと茅葺屋根のバス停があります。バス停は幾つも見ましたが茅葺屋根のバス停は初めてです。
他にも洋風・古民家風などバリエーションがあって目を楽しませてくれます。



和田宿の風景
和田宿は和田峠を越えて下諏訪宿に至る五里十八町(22.8km)の中山道で最も長丁場の行程です。
その為に旅人は和田宿に宿泊せざるを得なく,山中の宿場でも規模も大きく,繁盛したとの事です。

時代によっても異なると思いますが,本陣・旅籠など宿泊施設が30戸ほど,荷駄を運搬する伝馬役の家が70戸もあったとの事です。

文久元年(1861年)3月10日の大火で本陣を含む宿場の2/3,109戸が焼失しました。
おりしも同じ年の11月には皇女和宮一行が宿泊する事になっており急遽再建されました。

歴史の道資料館(=旧旅籠かわちや)


和田宿本陣 
旧問屋 山木屋 道中ここまで梁をせり出した家屋はあまり見ませんでした


和田峠へのアプローチ

和田峠を控えて,朝から愚図ついていた雨が強くなりました。雨具を着込んで歩きます。

和田宿を過ぎると和田峠の登口である男女倉口まではほぼ国道142号線を歩きます。
大型トラックが行き交い,白線だけの狭い歩道の部分もあります。気を付けて歩いてください。

いよいよ和田峠越えの核心部に入ります。

写真左:男女倉口 右に曲がると和田峠の登口
写真右:和田峠登口


写真左:やすみ茶屋跡 (現避難小屋)
写真右:三十三体観音 やすみ茶屋跡と隣り合っています


雨に洗われた木々の緑が鮮やかに映えます。
雨が木立の葉を打つ音,沢のせせらぎ,小鳥のさえずり,そして自分の吐息・・・
それ以外の音が聞こえない贅沢な空間です。



接待茶屋(永代人馬施行所跡)
説明板によれば江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が幕府に貸した千両の利子百両を坂本宿と和田宿に50両づつ下付して文政11年(1828年)に設置。山崩れで流失したが嘉永5年(1852年)に現在地に再建され明治3年(1870年)まで11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火,牛馬には小桶一杯の煮麦を施行したとの事です。

現在は建物が再建されています。和田峠を登って少し休みたいと思う場所にあるのでちょうど良い休憩所です。



参考:碓氷峠の人馬施行所跡
群馬県 碓氷峠にあったもう一つの人馬施行所跡です。説明板には同じく江戸呉服の与兵衛の名前が書かれています。こちらは沢筋の為か痕跡は確認できません。

長坂 石畳の道
接待茶屋から広原の一里塚までの坂を長坂といいます。坂の途中に小さな避難小屋があります。その避難小屋から先は石畳の道です。

箱根旧道の石畳は石の大きさは小振りで綺麗に敷き詰められていますが,こちらは自然石を敷き詰めた様で,石の一つ一つが大きくてワイルドです。山奥を進む中山道の雰囲気をより強く感じる事ができます。


広原の一里塚


東餅屋手前の石畳
東餅屋手前の国道142号線に出る手前の石畳です。
こちらの石畳は江戸時代のものではなく,石畳風に舗装された道です。

熊の爪痕?
この写真は広原の一里塚の手前で見た幹の傷跡です。
私はマタギではないので確定的な事は言えないのですが,傷は古いですが熊の爪痕の様に見えます。勿論他の原因で傷ついたのかもしれません。

いずれにしてもこれだけ山深いと熊が居ないとは言い切れないので,クマよけの鈴やラジオなど音が出るものを身に着けて歩いた方が良いと思います。私はクマよけの鈴とホイッスルを持って歩いています。
注:ホームページ電子足跡に掲載する記事は個人的な感想などを除いて極力事実に基づいて記載するよう心掛けています。この記事は熊の爪痕であると確証はとれませんでしたが旧街道を歩く方達の注意喚起にと思い掲載しました。

東餅屋跡
説明板によると当時は5軒の茶屋が名物の餅を売っていましたが,鉄道が開通すると通行が途絶えてさびれて茶屋も店じまいしてしまいました。今では営業していないお土産屋さんが廃墟の様にたたずんでいるだけです。


和田峠の黒曜石
和田峠と聞くと黒曜石の産地であると思い浮かべる方もいらしゃると思います。
黒曜石はガラス質の火山岩で外観は黒や黒褐色で,割ると鋭い破断面が出来る為,石器の材料として使われました。石器時代や縄文時代を通して,他の地方で和田峠産の黒曜石の矢じりやナイフが出土する事はロマンを掻き立てられます。
歩き旅をしていると思うのですが,水・食料・睡眠・体温を維持できるという条件がそろえば数100㎞を歩くという行為はそれ程困難な事ではない様に感じます。ですので石器時代や縄文時代のご先祖様達は各地と交易していたと言うのはそれ程不思議では無いように思います。
写真の黒曜石は数十年前に車でこの和田峠を通ったとき上の写真のお店が営業していて,立ち寄った時に販売されていたものを購入しました。

最後の登りです

東餅屋跡を過ぎるとビーナスラインを串刺しする様に登ります。
驚いた事に旧中山道がビーナスラインの下のコルゲート(トンネル)を通っていたり,ビーナスラインを横切って斜面に続いていたりします。

右上のコルゲートの中が旧中山道です。  左側の斜面に旧道が続いています。


和田峠


この日は雨模様でした。眺望は悪かったのですが,霧が立ち込めて幻想的な風景が望めました。

案内板の屋根の下で民宿みやで作ってもらったおにぎりの昼食を頂きました。
最初は体が火照っていたので通り過ぎる風が心地よかったのですが,次第におにぎりを持つ手が凍えてきて,じっとしているのが辛くなり,感慨にふける間もなく早々に下諏訪側に下りました。
6月とは言え,1600mの標高ですので気象条件によっては10度以下の気温になることもあります。

和田宿側の和田峠直下の登り道


和田峠


賽の河原七曲り
峠から下諏訪側の下りは風景が一変してガレ場を下ります。道は九十九折りになっていますが勾配はきついです。賽の河原七曲りは距離としては短く,すぐに樹林帯の道になります。


和田峠からの下り

賽の河原七曲りを過ぎると樹林帯の中を進みます。
和田宿側と下諏訪側の道を比較すると,下諏訪側の方が道の整備が少し悪い様に思います。
急峻な斜面を横切る細い道があったり,草に埋もれかかったりしている部分があります。
歩くにはそれ程支障になる訳ではありませんが,大雨のときなど地盤が緩む事があると思いますので気を付けて歩行してください。

樹林帯の中の道


写真左:西餅屋跡
写真右:西餅屋の一里塚跡


写真左:急斜面を横切る細い道
写真右:垂木坂のガレ場


国道142号線がヘアピンに曲がるところで,旧中山道は国道142号線と合流します。
ここまで来ると,和田峠を越えたという安堵感が湧いてきます。
この先,浪人塚辺りまで国道の拡幅工事などで旧街道の道筋が確定していないとの事です。

下諏訪宿までの道

ルートが確定していないので浪人塚まで国道142号線のアスファルトの道を進みます。

浪人塚
説明板によると,元治元年(1864年)水戸藩の尊王攘夷運動を行った志士千余名が尊王の志を遂げるべく和田峠を越えてきたが,それを高島・松本両藩が阻止した古戦場との事。
戦の後,浪士達は戦没者をこの地に葬って去ったが,その後,高島藩は塚を作って戦没者を祀った場所との事です。

元治元年(1864年)は黒船が来てから11年後,皇女和宮の降嫁の行列が通ってから3年後,明治まであと4年という時代の流れの中の出来事です。

浪人塚から国道142号線の下のトンネル(函渠とかカルバートと言うらしい)をくぐって先に進みます。

樋橋茶屋本陣

現在は小さな何の変哲もない部落ですが,ここに茶屋本陣がありました。皇女和宮はここで休息してから和田峠に向かっています。

ホントに旧中山道?
国道142号線から一段沢側に降りた「ここが本当に旧中山道なの?」 と疑問に思う様な道を進みます。
一応道標もあるので間違ってはいないと思います。

諏訪化学工業裏の中山道 旧中山道から国道142号線に戻る場所の道標

木落し坂
幾度となくTVの映像で見た諏訪大社御柱祭の ”御柱木落し” が旧中山道の道筋でやっていたとは初めて知りました。
実際その地に立つと,その急峻さと長いスロープに驚かされます。死人が出るのも頷けます。
ここを御柱に跨って滑り降りる度胸は如何ばかりかと思います。

なお,旧中山道はこの坂を通っている訳ではなく,坂の脇を通っています。

傾斜は約45度 スロープの長さは約100mです。


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下諏訪宿

木落し坂を過ぎると旧中山道は国道142号線と付かず離れず進みます。
足は痛くなっていますが,和田峠を越えたという安堵感で疲れはあまり感じません。
暫く進むと諏訪湖が見え隠れする様になります。



下諏訪宿

写真左:伏見屋邸 (代々名主を勤めた家)
写真右:下諏訪宿岩波家本陣 (公開されています)


甲州街道追分から中山道を望む
後で知ったことですが
本陣の一部だった ”聴泉閣かめや” のホームページには皇女和宮が宿泊した上段の間が現存しており,宿泊したお客には無料で公開していると書いてあります。
一度宿泊してみたいものです。

甲州街道との追分の所に諏訪大社下社秋宮があります。参拝して旅の無事を感謝して今日の歩きは終わりです。

エピローグ


この後,中山道で唯一の温泉地であった下諏訪宿の温泉に入って疲れを癒しました。
”遊泉ハウス児湯” に入浴したのですが,入浴料がなんと¥230円でした。地元の方と思える人達が大勢入浴していました。

また、街道筋には樋を伝って温泉水を路傍に流している所が有って、そこでお母さんが子供達と洗い物をしていました。温泉で洗い物をするって、贅沢な土地です。


END

2020/05/11  改定:仮想空撮動画を追加
2018/07/24 作成

Column


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