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電子足跡:中山道歩き旅
 横川から軽井沢宿へ  旧碓氷峠越え


プロローグ


旧中山道随一の難所と言われる碓氷峠越えです。碓氷峠は片峠と言われる地形で群馬側の登りは約800mですが軽井沢までは約250mの下りです。
旧街道歩きと言ってもこのルートは人家の無いちょっとした登山です。事前準備はしっかりと行って安心・安全に歩ける様にすると達成感もひと際です。
また,以前は信越本線が碓氷峠を越えていましたが1997年北陸新幹線 高崎駅‐長野駅の開業に伴ってJR横川駅とJR軽井沢駅間は廃線になりました。この区間はJRバスが運行していますのでそちらを利用すると良いと思います。


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大切な事
1)坂本宿から碓氷峠まで人家はありません。水・食料・雨具・ヘッドライトは必ず持参してください。
2)特に群馬側のコースは岩がゴロゴロしています。また小さな沢を渡河する場所が幾つかあります。靴はしっかりとしたものを履いてください。
3)碓氷峠の軽井沢側は峠から500mくらいですが旧道は地理院地形図にも記載されていません。
 道筋がかなり不鮮明ですので,ガイドがいない場合はGPSにルートを登録したり地形図とコンパスなどの準備をした方が良いと思います。
また,観光案内所で無料で配布していた 「東信州 中山道を歩く」には,この道は”行き止まり(通行不能)”と記載されています。この道の南側の遊歩道を歩くように記載されています。

ルート

JR横川駅‐坂本宿‐旧碓氷峠‐軽井沢宿-JR軽井沢駅
区間
歩いた日 GPS移動距離 天候 備考
JR横川駅~JR軽井沢駅
2017/11/17 16.5㎞ 晴れ

↑GPSログと写真が
マッピングされた地図が開きます
↑GPSログを GoogleEarthでツアーする方法 

旧中山道 碓氷峠越えルート地形図

カシミール3D 国土地理院 
(カシミール3DによりGPSログを国土地理院地形図に描画してそのイメージデータを加工したものです。)



↑再生ボタン  をクリックすると、街道筋を空撮した様な動画が再生されます。 *GPS Log をGoogleEarthProでツアーして動画化した映像です。

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横川

横川駅
駅前には 峠の釜めし で有名な荻野屋が営業しています。 益子焼の容器に入った炊き込みご飯の駅弁は何度か頂いた事があります。朝早かったので営業していなかったのが残念です。

また横川駅は信越本線の終着駅です。以前は高崎から長野を通り直江津を経て新潟市まで続いていましたが1997年北陸新幹線 高崎駅‐長野駅の開業に伴って横川駅‐軽井沢駅の区間が廃止されました。
信州・越後を通っていないのに名前の”信越本線”が残っています。

横川駅‐軽井沢駅間はJRバスが運行しています。今日は軽井沢に車を置き地元の学生や会社員と一緒に横川までJRバスで来ました。

写真左:JR横川駅前
写真右:電車の先の線路が途切れています。


碓氷関所跡
東海道の箱根関所と共に関東に出入りする関所として重要視されていた関所です。
東門と西門の間は52間2尺(約95m)で 箱根関所の江戸口門と京口門の間は約18mと言われているので長さとしては箱根関所より長い事になります。

東門 (復元)


関所跡から50m程碓氷峠よりに行った碓氷峠鎮魂碑が建っている場所に本来の旧中山道と思える道が僅かに残っています。

碓氷関所跡の前は県道92号線の切り通しの道になっています。また明治に信越本線を通す時の工事で本来の中山道は消滅したのではないかと思いますが,この部分だけ残ったのでしょう。

坂本宿

坂本宿は碓氷関所を抜け碓氷峠を越えて軽井沢宿に行こうとすると日が暮れてしまうので,関所と峠の間に計画的に作られた宿場です。計画的に作られた為かほぼ直線の道筋の両側に家屋が並んでいます。

下木戸跡
坂本宿は本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠約40軒があり,碓氷峠を控えて坂本宿での宿泊を余儀なくされる為に山間の宿場としては規模が大きく,現在からは想像出来ませんが軽井沢宿より賑わっていました。

皇女和宮は文久元年11月9日に碓氷峠を越えて,ここ坂本宿の金井本陣に宿泊しています。

写真左:佐藤本陣
写真右:旅籠 かぎや の屋根看板


碓氷峠越え


刎石山の急登

坂本宿を過ぎるといよいよ碓氷峠の登りになります。多くの方は碓氷峠を越せるか不安なのではないかと思います。
私の感想ですが,最初の刎石山(はねいしやま)を越えた後は意外と楽だったというのが率直な感想です。ただ山道をずっと歩くので早く碓氷峠に着かないかなと言うちょっと焦った気持ちになりました。

左の図は佐藤本陣付近から見える刎石山を国土地理院地形データをカシミール3Dで立体化した図です。

平面の地図では判り難いですが,立体化すると一目瞭然で中山道は刎石山の北側を登り ”覗(のぞき)”と言われる場所で坂本宿側に出てきます。
汗だくで登った後 ”刎石の覗” から見る坂本宿の風景は感動的です。

碓氷峠までの傾斜
下記の区間を三角形で近似して傾斜角度を計算すると勾配は 坂本浄水場~碓氷坂関所跡までが10.1度と最もきつく,それ以後は約半分の傾斜になります。
ブラタモリでタモリさんが碓氷峠の群馬側を歩いた時に言っていましたが 「難所というからもっと急坂かと思ったら,意外になだらかなんだね。だらだらという感じですよね。」と言っています。(ブラタモリ4 松江 出雲 軽井沢 博多・福岡  監修:NHK「ブラタモリ」制作班より)
という事で坂本浄水場~碓氷坂関所跡までの1.6㎞の登りを乗り越えれば,後は溶岩流が作った比較的なだらかな尾根歩きの道になります。
つまり,歩きはじめの元気が良い時に一番きつい坂を登るので登ってしまえば後はなんとかなると言う感じでしょうか。
区間
沿面距離 標高差 平均傾斜角度 備考 
坂本浄水場~碓氷坂関所跡
約1600m 約280m 10.1度  
堀り切り~碓氷峠
約5000m 約420m 4.8度  
 碓氷峠~軽井沢宿 約2600m 約250m 5.5度  

カシミール3D  国土地理院      高さ方向は約20倍に拡大してあります。

急登の山道を楽に登るには

登山家の岩崎元郎さんが言っている事ですが,山を登るときは 「歩幅を小さく」 「足運びをゆっくり」を心掛けると意外と楽に登れます。
普段の生活でも,疲れれば歩幅は小さくなりますし,足運びもゆっくりになりますが,山を登るときは疲れる前から 「歩幅を小さく」 「足運びをゆっくり」 にすると息が切れる事が少なく楽に登れます。
大股で急いで登っても途中で息が切れて立ち止まる事が多くなるので,ゆっくり登っても結果的に時間はそれ程変りません。

坂本浄水場から碓氷坂関所跡まで


坂本浄水場のフェンスと杉木立の間を歩きます。  国道18号と交差する暗い小道が旧中山道です。


杉木立の細い道を進みます。  岩がゴロゴロしているので歩きずらいです。


刎石山の柱状節理
柱状節理とは噴出した溶岩が冷える過程で六角形などの柱状になった岩石の事です。
冷えるときに体積が収縮する為に隙間が出来きるのでこの様な岩石になります。
節理(岩石の規則的は割れ目)の方向は冷却面に直交する方向になります。
前記のブラタモリ 軽井沢への道 人はどう「峠」を越えてきた? のなかで,「このなだらかな尾根をつくったものとは何でしょう?」と問いかけられて,タモリさんが「溶岩流ですね。」と即答していますが,この柱状節理がある事でも碓氷峠に続く中山道はかつて流れた溶岩流の上を通っている事が分かります。

写真左:石仏石塔群    
写真右:倒木 こんな所もありました


写真左:”刎石の覗”手前の最もキツイと言われている急登
写真右:”刎石の覗”から見た坂本宿


碓氷坂関所跡
関所跡には東屋が建っています。休むのに丁度よいです。

東屋に自由に記入できるノートが置いてありました。
京都から少しずつ歩いてここまで来た85歳の方や,英文や中国語で書かれたメッセージが数多くありました。

それにしても,こんな狭く急な街道の坂道を輿に乗った皇女和宮の行列はどうやって下ったのだろうかと思います。

碓氷坂関所跡から碓氷峠まで


堀り切り
1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めで進軍してくる北陸・信州軍を松井田城主大道寺駿河守が道幅を狭めて,一気に攻め込まれない様にしようとした場所(説明板より)

写真左:尾根歩きの快適な道です  
写真右:北向馬頭観世音  文化15年(1818年)建立


栗が原
明治天皇御巡幸道と分岐する場所です。
御巡幸道は崩落により廃道になっています。

明治8年(1875年)交番の始まりである群馬県最初の「見回り方屯所」がありました。

妙義山の稜線が良く見えます


写真左:山中茶屋・山中学校跡
写真右:子持山付近の陣場が原 右が和宮道 安政遠足の看板あり


写真左:人馬施行所跡付近の沢 ここを越えて長坂を登ると碓氷峠です。
写真右:碓氷峠手前の仁王門跡 中山道,和宮道,鼻曲山登山道と道が交差しています。


外国人にも人気の中山道
さて,碓氷峠に来るまでに3組の街道歩きの方達とすれ違いました。その3組とも海外の方達で日本人とは会いませんでした。パーティーで歩いて来た方達の最後尾の方はオーストラリアから来たと言っていました。
海外では自然に満ちたロングトレイルを歩く文化がある為なのか,海外の方達も日本の旧街道に魅力を感じているのかと思いました。


碓氷峠
ようやく碓氷峠です。JR横川駅からここまで約11kmで碓氷坂関所跡の東屋で休んだ時間も入れると5時間弱でした。
碓氷峠は群馬と長野の県境であると同時に,日本を太平洋側と日本海側に分ける中央分水嶺が通る場所です。
言わば日本の背骨に位置します。峠には昔から茶屋がたくさんありました。

写真左:群馬側から見た碓氷峠
写真右:しげの屋の敷地内を通る県境


熊野神社
碓氷峠には熊野神社が祀られています。
話がややこしいのですが同じ敷地内に熊野神社,熊野神社本宮,熊野皇大神社が祀られています。
群馬側に熊野神社,長野側に熊野皇大神社,県境上に熊野神社本宮の社があります。
戦後になって宗教法人の登記を県ごとにする事になったのでこの様な事になったとの事です。
宮司さんも群馬・長野でそれぞれ別で,拝殿には賽銭箱も熊野神社と熊野皇大神社の二つ並んでいます。

写真左:山門から見た境内
写真右:山門の石畳を通る県境


見晴台からの風景
 北西方向の風景 左下:離山  右:浅間山


南方面の山並み (この画像はパノラマ合成しています)


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碓氷峠から軽井沢へ


軽井沢側の下り道   地図に無い道

下の地図を見て頂くと分かりますが碓氷峠を越えて軽井沢に下る旧中山道は峠を越えてすぐの部分と県道133号線に出会う部分は地形図に道が書いてありません。(青の破線部分)

所々,小さな標識や木立に赤いテープを巻き付けた目印が有りますが道はかなり不鮮明です。
GPSにルートを登録していたので迷わず歩けましたが,そうでなかったらルートを外れるのではないかとかなり不安になると思います。

この旧道は避けて,北側の133号線を歩くか,南側の遊歩道を歩いた方が良いかもしれません。

”国土調査” の赤い杭やロープが張ってなかったら、ここが道だとはとても思えません。


県道133号線との出合い
軽井沢側から来た場合はガードレールが切れたカーブミラーのところから下に降ります。
旧中山道の標識はありません。

松井田宿付近で軽井沢側から来た街道歩きの方と立ち話をしたとき,旧街道の入口が分からず,結局県道133号線を歩いたと話していました。

軽井沢宿

現在 旧軽井沢と言われている地域が軽井沢宿の場所です。宿の長さ七丁(約760m),軒数130軒と小さい宿場でした。現在の賑わいから想像も出来ません。
ただ五街道細見(岸井良衛 青蛙房)の軽井沢宿には ”文政版 此の辺宿女郎多し。” と書かれています。こんな山奥に?と疑問に思いますが,軽井沢周辺は標高が高く,さらに火山性の土壌で農耕には適さない土地の為に窮乏した農家が多かった為なのかと想像します。

ショー記念礼拝堂  避暑地発祥の地


写真左:つるや   芥川龍之介 室生犀星 堀辰雄などが宿泊した老舗旅館
写真右:旧軽井沢銀座通り 碓氷峠方向を望む


エピローグ


中山道の難所 碓氷峠を越えて少しホットした気分です。
汗だくで難所を越えた後が、多くの人が憧れる少し華やかな感じがする軽井沢という組み合わせも絶妙です。なんとなく苦あれば楽ありみたいな感じで気持ちも華やぐ気がします。


六本辻まで歩いて今回の旧中山道歩きは終わりです。
次回は2018年春になったら六本辻からまた歩き始めます。


END

2018/01/26 作成

Column


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