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電子足跡:旧東海道歩き旅
 小田原宿から箱根宿へ
  天下の嶮 箱根旧街道を歩く


プロローグ
 

旧東海道を小田原宿の上方見附跡から箱根湯本、畑宿、甘酒茶屋、箱根杉並木、箱根関所を通り、箱根駅伝往路ゴールまで歩いたページです。言うまでもないですが箱根越えは旧東海道最大の難所です。石畳の道筋が往時の雰囲気をよく残しています。
天下の嶮の箱根ですが、現在では街道歩きの高齢者もトレランの若者も越していきます。

湯本付近から登りが始まりお玉が池付近まで高度差700m程登りが続きます。急登の道が続きますが旧街道歩きの魅力がたっぷり詰まった道ですし,歩き終わった後の達成感はひときわです。またアクセスもよく首都圏なら日帰りも可能ですし新道はバスも走っているので安心です。ただ車が走る新道と旧街道とが一部同じ部分がありますし,石畳は濡れると滑りやすいので気をつけてください。

今日は、芦ノ湖湖畔の駐車場に車を置いて、箱根登山バスの箱根町港停留所からバスに乗り、箱根登山鉄道の板橋駅付近の停留所からスタートです。

実はこの道は3回歩いています。1回目は2003年9月,2回目は2015年6月,そして今回 旧東海道歩きとして2022年5月31日です。このページは3回目をベースにしていますが写真は前回歩いた時の写真も使っています。
尚、本ページはこれまで "箱根旧街道(旧東海道) 箱根湯本から箱根関所へ" として公開していたページを旧東海道歩き旅シリーズの"小田原宿から箱根宿へ 天下の嶮箱根旧街道を歩く"に統合し再編集したものです。

歩きデータ
都道府県 区間  通る宿場等 歩いた日 GPS移動距離
神奈川県 (箱根登山鉄道)箱根板橋駅
-(箱根登山バス)箱根町港
箱根湯本、畑宿、甘酒茶屋、箱根杉並木、箱根宿、箱根駅伝往路ゴール  2022/5/31 16.4㎞

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ツアーする方法


仮想空撮


歩いた時のGpsLogをGoogleEarthsProの動画メーカーで動画にしました。
画像の中の再生ボタン ▶ をクリックすると再生します。音楽や音声は出ません。
動画を再生するには、Video再生をサポートしたブラウザが必要です。



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小田原宿から畑宿まで

小田原宿上方見附
小田原市街の西側、現在東海道新幹線が通る付近の光円寺が小田原宿の西の外れで上方見附(京側の入口)が在りました。
左の写真はその場所に立っていた説明板の写真です。
旧東海道はこの場所から国道1号線を外れて少し北側の住宅街を通っています。

板橋地区の家並み
写真左:内野邸
明治36年(1903)に建てられた醤油醸造業の店舗兼住宅


小田原用水(早川上水)取水口
日本最古の上水道。正確な設置年代は不明との事ですが、北条氏康(1515~1571)が小田原を支配した頃には成立したと考えらています。ここで取水された水は板橋地区の北側を通水し、板橋見附から旧東海道のを東に流れ小田原城下に供給されていました。


箱根湯本駅
奥に見えるカマボコ型の明り取りが有る白い建物はTVで見た事がある方もいらしゃると思います。箱根駅伝の中継でよく映されます。箱根駅伝のコースは早川の北岸をそのまま進みますが、旧東海道は手前の三枚橋を渡って南岸に続いています。


三枚橋を渡ると、登り坂が少し急になり、いよいよ箱根越えという雰囲気になります。
東海道中膝栗毛には、湯本の宿は両側の家構えが、はでやかに飾ってあって、どの家にも美人が2,3人ずつ店先で挽物細工を売っていると描かれています。
弥次さんは色白の美人店員にちょっかいを出して、300文の物を400文で買うというエピソードが描かれています。

金湯山 早雲寺
北条早雲の依頼で湯本に早雲庵を創建したのが始まりとされる寺院です。北条氏5代、北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の墓があります。氏政 はNHK大河ドラマ 真田丸で高島政伸さんが演じた武将です。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めでは一時秀吉軍の本陣がおかれましたが、有名な一夜城(石垣山城)が完成するとお寺も含め一帯は焼き払われたたそうです。

参考写真左:一夜城(石垣山城)天守台跡
参考写真右:石垣山城跡から見た小田原市街


湯本茶屋一里塚跡
日本橋から22番目の一里塚跡があります。塚は消滅していて石碑が建っているのみです。

最初の石畳
一里塚跡を過ぎて直ぐに、民家の脇の坂道を下って行くと、255mですが最初の石畳が現れます。国の史跡に指定されています。
箱根越えの入場門の様な感じがします。



須雲川自然探勝歩道入口
最初の石畳の道はアッと言う間に終わって現代に引き戻されてしまいます。アスファルトの道に戻って約2.5㎞歩くと須雲川自然探勝歩道の入口になります。箱根旧街道は須雲川自然探勝歩道として整備されています。「女転し坂」が始まり本格的な箱根旧街道の道になります。


須雲川自然探勝歩道の入口です。
写真中央に少し暗いところに道が続いています。

少しの間、須雲川に沿って歩きます。深山に分け入る実感が沸いてきます。


途中東京電力の施設のフェンス脇を通り過ぎて、丸木橋を渡って対岸に行きます。


箱根への登り
須雲川を渡ると本格的な登坂になります。
年配の方は経験があるかもしれませんが,中高生時代の騎馬戦で居並ぶ騎馬が相対峙し,戦いが始まる時に唱歌「箱根八里」(作曲:鳥居忱 作詞:滝廉太郎)を歌ってから戦いを始めました。「箱根八里」を歌うと戦意が高揚します。ここから,唱歌に唄われた風景が展開します。

割石坂
箱根天聖稲荷大権現神社を過ぎて旧東海道(国道732号線)沿いに「割石坂」の登り口があります。

少し行くと「これより江戸時代の石畳」と書かれた看板があります。





大沢坂
大沢川を渡って直ぐの急登の坂です。ここを越えると畑宿です。


畑宿
 


畑宿
石畳の道を登り切ると畑宿の手前で国道732号線のアスファルトの道に合流します。
写真下右は町なかに貼ってあった明治時代の畑宿の写真です。薄暗い山道を歩いて来た旅人は畑宿に着くと安堵感を覚えたのではないでしょうか。


畑宿本陣跡


畑宿の一里塚
畑宿の緩い坂道を登り畑宿の外れに来ると,日本橋から23番目の畑宿の一里塚があります。前述22番目の湯本茶屋一里塚から随分歩いた感じがしますがまだ一里しか歩いていないです,数里歩いた疲労感です。「天下の嶮」を実感する疲れです。標高差で言うと250m位登ったのでむべなるかなです。
一里塚の説明板によると明治以降に一部が削り取られて往時の姿は失われたのですが,発掘と文献調査により復元整備したとの事です。


唱歌 箱根八里 の風景 

羊腸の小徑
畑宿の一里塚から再び石畳の旧街道が始まります。地図を見ると分かりますが,畑宿から見晴し茶屋までは箱根新道も旧東海道(国道732号線)もヘアピンカーブの連続です。箱根旧街道も狭く曲がりくねった急登の道が続きます。

特に畑宿から見晴らし茶屋までの箱根旧街道は「箱根八里」に歌われた「霧は谷を閉ざす」「昼猶(なお)闇き」「羊腸の小徑」とはこの区間を歌っているのではないかと思うくらいです。


雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす


一夫関にあたるや
  万夫も開くなし

狭い道を一人の兵士が守れば 万もの兵が攻めても落ちることはない

見晴し茶屋付近から小田原方面を望む。箱根旧街道を登るなかで眺望できたのはこの場所だけでした。

最後の石畳

甘酒茶屋
文政年間(1818~29年)から続くと言われる甘酒茶屋。登りで疲れた体に甘酒の優しい甘さが美味しいです。店の中には囲炉裏があり煙で燻した香りが充満しています。子供の頃に行った茅葺の親戚の家の香りです。


甘酒茶屋を過ぎて500m程行くと最後の石畳が始まります。
ここからの石畳は道幅が広くこれまでの石畳とは雰囲気が異なります。

道が美しい
これまで色々な道を歩きました。風景や建物が綺麗と思ったことは多々ありますが,道そのものが綺麗と思える道はそれ程多くありません。この区間の箱根旧街道は道そのもが美しいと思える数少ない道のひとつです。




下の写真は2003年9月に歩いたときの写真です。
石畳に落ちたもみじの葉の色合いが移り行く季節を感じます。


権現坂 芦ノ湖への下り道
二子山を模した石碑まで来ると長い登り路は終わります。権現坂の石畳を降ると道の先に芦ノ湖が見えます。
着いたという感慨が沸いてきます。坂の終わりに箱根旧街道の石碑が立っています。須雲川自然探勝歩道は終わりです。





箱根宿
 

薄暗い石畳の山道から、一転して日本有数の観光地が広がっています。


賽の河原
弥次さん北さんは権現坂を下ってきて、鉦(かね)の音を聞き、『やれ、やれ、やっとこさ、賽の河原。賽の河原』

   辻堂はさすがにさいのかわら
          屋根されども鬼はみえぬ極楽

   お茶漬けのさいのかわらの辻堂に
          にしめたやうななりの坊さま

と描かれています。


箱根の杉並木


箱根関所
説明の必要は無いくらい有名な関所です。
芦ノ湖岸に在り、江戸側・京側の門の間は18mでした。
現在は復元した建物で有料で展示が行われています。

笑い話ですが、頭の中には江戸時代、箱根関所を越えるには手形は勿論、所持品なども検められて、簡単には通れないものと思い込んでいました。
門の手前に券売所が在ったので、「通り抜けたいのですが、チケットをください。」と係りの方に言ったら、『通り抜けるだけならチケットはいりません。ここは普通の道です。展示を見る場合はチケットが必要です。』と大笑いされました。


笑われながらも、無事に箱根関所を越えました。
弥次さん北さんも箱根の御関所もとどこうりなく、無事に越え

  春風の手形をあけて君が代の
     戸ざさぬ関をこゆるめでたさ


と峠の宿で、喜びの酒をくみかわしています。

私は、箱根駅伝往路ゴール地点が今日の私のゴールでした。
と云っても仲間も報道陣も観客も誰も居ないゴールです。




エピローグ
 


芦ノ湖の風景









END


2023/05/19 改訂・追記
"箱根旧街道歩き(旧東海道) 湯本から箱根関所へ" のページを廃止して "旧東海道歩き旅 小田原宿から箱根関所へ 天下の嶮 箱根旧街道を歩く" に統合。

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